1.完璧な悪女と、その執事
「伯爵令嬢カミラ、君との婚約を、ここに破棄する!」
その瞬間、私は確信した。
──教育は、成功した。
王太子殿下の言葉に、パーティー会場がどよめいた。婚約破棄を言い渡された伯爵令嬢カミラは──お嬢様は何でもないように笑った。
ああ、私の……この執事ダニエルの愛しいお嬢様!
「面白い事を仰るのね、王太子殿下。このわたくしに? 婚約破棄?」
お嬢様はやれやれとため息をついた。金髪の長い髪が揺れる。お嬢様は、私に目配せをした。翡翠のような美しい目だった。
「ダニエル。ワイン」
私は赤ワインの入ったグラスを差し出した。
「はあ、気分が悪いわ。屈みなさい、ダニエル」
膝をついて屈んだ。すると。
ビチャビチャビチャ……!
頭からワインをかけられる。赤い液体が私の頬を伝った。お嬢様は変わらず涼しい笑みを浮かべている。
「あら嫌だわ。わたくしったら、取り乱してワインを零してしまいました。ごめんあそばせ」
王太子殿下が目を見開き、声を上げた。
「君はいつもそうだ! 執事のダニエルが可哀想じゃないか! ダニエルだけじゃない……人を人と思っていない!」
私を心配そうに見つめる王太子殿下。
あ〜、本当にアホですね、王太子殿下。こちらは、全く問題ありませんよ。
私は──執事ダニエルは今、有頂天でございます。
王太子殿下が、遂にお嬢様と婚約破棄をしてくださった!
それは私の長年の夢。お嬢様を悪しき令嬢に育て上げたのは、この婚約破棄のためでございます。
そのためなら、頭からワインをかけられるなど、褒美の範疇なのです。
──そう、はじまりはお嬢様が産まれた日。
私は5歳でしたが、すでに伯爵家でお手伝いをしておりました。
あの日、お嬢様を初めて見た日。私は思ったのです。
──この天使を、なんとしても自分だけのモノにしなければならない。
しかし、なんたる悲劇。生後数日で、お嬢様と王太子殿下の婚約が成立してしまったのです!
私は小さな頭で考えました。そして、辿り着いた結論。
婚約破棄!
お嬢様をとびっきりの悪女に育て上げ、王太子殿下から婚約破棄させる。我ながら完璧な作戦でございました。
そうして十数年。私の教育により、立派な悪女となられたお嬢様は、遂に婚約破棄を言い渡されたのでございます。
執事ダニエル、大勝利でございます!
ええ、ええ。大勝利ですとも。心の中でガッツポーズをしつつ、王太子殿下とお嬢様の対話を見守りましょう。
「君の悪行を数えると、片手どころか、体のすべての指を使っても足りない」
「あら、数えてらっしゃるの。マメですのねぇ、殿下は」
お嬢様はパッとグラスを手から離した。
パリン。
地面とぶつかったグラスが割れる。
王太子殿下はあり得ないものを見る目で、お嬢様を睨む。
素晴らしい。もっともっと険悪におなりなさい。全ては私の計画のうちでございます。
「君は王立学校でたくさんの生徒を不登校にしたな!」
そうですね。ざっと27人のご子息ご令嬢が不登校になりましたね。
「勝手にいらっしゃらなくなっただけですわ。ちょっとお話しただけですのよ」
「言い逃れはできないぞ、カミラ。伯爵家の権力を笠に、気に入らない者をいじめていただろう。可哀想に、靴に毛虫を入れられた令嬢もいたそうじゃないか」
毛虫を捕まえたのは執事の私でござます。うじゃうじゃっとした気持ちの悪い毛虫を、たっぷり捕まえて参りました。
「毛虫が苦手な方でしたのね。毛虫だって命ですのに。ね、ダニエル?」
お嬢様は持っていた扇をパッと広げた。私は頷いた。全てお嬢様の仰る通りでございます。ええ、毛虫も大事な命です。
「カミラ……! とにかく酷い事を繰り返してきたんだ、君は」
そうでごさいますね。
気に入らない者の靴を燃やし、悪口を流布し、教科書を池に投げ込む悪行三昧。
それでこそ、私が教育したお嬢様です!
……ああ、悪行の数々は全て私の入れ知恵でございますよ。ただ、私は知恵を入れただけ。それを実行し、快感を得たのはお嬢様でござます。
「君は人の痛みを喜ぶ、酷い人間だ!」
「あら、皆そんなモノですわよ。人の不幸は蜜の味と言うではありませんか?」
私は顔がにやけないよう抑えるので精一杯。ああ、悪女界に舞い降りた女神、カミラお嬢様。
王太子殿下は言い放つ。
「君とはもう、やっていけない。君を国母にはできない!」
はい、これで婚約破棄は完全に成立!
政略結婚の駒としての価値を失い、ご実家から捨てられるお嬢様!
泥水を啜るような苦労をするお嬢様に、手を差し伸べるのは──。
そう、私、執事ダニエル。
これこそが私の考えた最高の計画。
今日の婚約破棄は、その大詰めだったのでござます!
「仕方ありません。そこまで仰るのね、殿下。なら、わたくし、その婚約破棄を受け入れましょう……ただし」
お嬢様が私に目線を寄越した。その目は、ワインを渡せと言っていた。
私はワインをボトルで差し出した。
「失礼、手が滑りますわ」
お嬢様はワインを逆さにし、王太子殿下に盛大にぶっかけた。
さ、最高でございますお嬢様〜!
ワインは人にかけるもの! 流石でございます! 並の悪女には許されざる悪女仕草でござますよ!
「カミラ……! 僕をどこまで馬鹿にすれば……!」
怒りに震える王太子殿下。ざわめく人々。
その時、会場の後ろの方で、場違いな拍手をする者がいた。そして……。
かつん、かつん……。
後ろからどんどん近づいてくる足音。私も含め、皆が振り向く。
そこには、ひとりの男が立っていた。
「あら、魔王様ですわね。ごきげんよう」
なんでもない風に挨拶をするお嬢様。目線の先には、魔国を治める若き王。人々には“魔王”と呼ばれている。
「はっはっは。面白いモノを見せてもらった」
長身、美男。黒い長髪。頭から生えた黒い角。切れ長の赤い瞳。明らかに人間離れした容貌。
「お嬢様、後ろへ」
私は、お嬢様を背に、一歩前へ。魔国の王は、突飛な性格で、何をし出すか分からない危険な存在。
私のお嬢様に、万が一の事があってはなりません。
「ふん、よく躾けられた犬だな。少々ワイン臭いが」
「ごめあそばせ。今、皆様でワインのお風呂を楽しんでおりましたのよ。ただ……この執事の不手際で、バスタブの用意が間に合わなかったのですわ。そうですわね、ダニエル」
私はお嬢様に頭を垂れた。
「ええ、全てお嬢様の仰る通りでございます」
魔国の王はフッと笑った。牙が見える。
「面白い女だ」
「あら、そう?」
愉快そうにお嬢様を見る魔国の王。薄ら笑いを浮かべるお嬢様。
「おい、王太子。このカミラという女、お前はいらないのか?」
魔国の王の言葉に、王太子殿下はしっかりと頷いた。
「ああ、今日この時をもって婚約破棄だ!」
魔国の王が私を手で押し退けた。そして、お嬢様に近づく。その手が、お嬢様の顎を持ち上げた。
いわゆる顎クイである。は? 顎クイ?
どういうコトでございますか?
「なら丁度いい。俺は悪辣な女が好みだ。妻になれ、カミラ」
──え?
私の育て上げた最強の悪女が、魔国の王の性癖に刺さった……? そういうことでございますか!?
この魔王、性癖おかしくないですか!?
というか……!
私の十数年の努力の結晶、今この瞬間に掠め取られようとしてませんかーー!?
「お嬢様、いけま──」
私が止めるより早く、お嬢様は高笑いした。
「オーッホッホッホッ! 素敵な殿方ですこと! よろしくってよ。このカミラ、あなたの妻になって差し上げますわ!」
ああ、無情。なんたる悲劇。またもや権力に奪われる私の天使。
「お嬢様……!」
ええ、ええ。ですが、どうということはありません。
あなたは私のお嬢様。私の天使。絶対に私だけのモノにしてみせますとも。
──たとえ魔王が相手でも……!




