「赤井凛音」と「暮尾亜嵐」
「今年も暑い夏になりそうだなぁ」
タワマンの上層部にあるオフィスデスクの書類を手に取り、都心の景色を見下ろしながら、赤井凛音は、上質なスーツ着こなした30歳くらいの眼鏡をかけた男にその書類を渡した。
男は、無表情に近いクールな顔だったが、親しさと信頼が籠った声で言った。
「アラン、このオフィス必要か?」
「お前、高校生とミッションと事業の三両立は、厳しいだろう?」
「ここまで来るのも手間じゃないか?」
アランと呼ばれた男は、赤井凛音だった。
彼のデスクにおかれている名刺には、デザイン文字で
「暮尾 亜嵐」「kuleo Arran」と印刷されていた。
赤井凛音こと暮尾亜嵐は、
「そうなんだよなぁ。俺たちには必要はないんだが、現世の地球でビジネスを続けていくには、こういう場所を維持しておく必要がある」
「でも、夏は、必要に応じてここに来るだけにして、俺の家で仕事するかな」
彼と話している男の名は、黄谷橙吏。
「アランの家は、広いし、使徒たちを使うにも都合が良いだろう」
そんなふたりの元に、緑がかった黒く長い美しい髪の女性がやって来て、持っていた紙袋からアイスコーヒーを取り出して、それぞれに渡した。
彼女の名前は、碧川麻璃亜。
「はい、どうぞ。社長、私も賛成だわ」
「ありがとう、マリア。君もそう思う?」
「やはり、高い所は落ち着かないですね」
「マリアは、畳の方が落ち着くか?」
橙吏は、クールな表情を崩さずに言った。
彼女は、自分のデスクの椅子に座り、自分の抹茶ラテを取り出しながら
「ええそうね。懐かしい記憶が蘇るわね」
と、鼻先で笑った。
黄谷は、麻璃亜の返答は耳にしてもいないかのように亜嵐に言った。
「人間は、見た目からの得る情報を優先して判断しがちですしね。やはり、大きな商談は、こういう場所でした方が成立しやすい」
「トゥルリーに、商談や取引きは、おまえに任せるよ」
「お任せ下さい」
と、言うように黄谷橙吏ことトゥルリーは、全く表情を変えぬまま片手を胸に当てて軽く会釈して微笑んだ。
「ところで」
と、マリアが抹茶ラテを飲みながら切り出した。
「アンナは覚醒しそう? あと、ひとりの方は間違いなさそうなのかしら?」
「アンナの方は、まもなくだろう。」
「使徒が再生されたから劇的に覚醒が進むんじゃないかな」
「というか、覚醒が進まないと使徒も再生されないはず」
アランの言葉にマリアが反応して言った。
「あら、その理屈だと、マエルのケースはどうなるの? 」
「使徒の再生の方が先だなんてねぇ」
マリアの質問にアランは、自分もわからないと言うように答えた。
「そうなんだよなぁ。こちらへの飛ばされ方に関係があるのかもしれな」
「いずれにしも、そろそろか」
「俺たちにも会わせてくれるか?前星での俺の教え子たちに」
いつもクールなトゥルリーの表情に感情がこもった。
「現地球の学校ってところは面倒なところなので、覚醒前のふたりへの校内での接触は避けたい」
「いずれ、ふたりをこのオフィスか、俺の家に呼んで話す予定だ」
「やっと前進するな。まぁ、先は長そうだけれど…」
と、眼鏡の淵を軽く持ち上げながらトゥルリーは言った。
「連絡はどうするんだ?使徒は使える?」
「アンナの方には、話してあるので俺の使徒かマエルに連絡させる」
「もうひとりは、同じクラスの男なので俺が直接接触しても違和感ないかな」
「マエルが、早く自分の主人に会いたがっているんじゃないの?」
マリアが口を挟む。
「マリアは、使徒以外の動物とも話せるからねぇ。気になるだろうけれど、マエルは忠実な使徒だから、その時を待ってくれているよ。マエルが会いたがる相手なら彼の主人に間違いないだろう」
「もうすぐ、学校も夏休みになるから、休みに入ったら俺の家に呼ぶことにする」
「マエルの感動のご対面だわね」
マリアは、満足げに抹茶ラテを飲み干した。
「シオンはどうする? 呼ぶか?あの偏屈な石頭を」
トゥルリーは、あまり乗り気ではないように言った。
「完全に彼らが覚醒した後は、彼に教育係を頼んだ方がいいと思うが、今は、まだ良いんじゃないか? 中途半端に教えられても、ふたりが戸惑うかパニックになるだけだろう」
「アランの意見に、私も賛成よ」
「そうだな。あいつのことだから、初々しいHoly Mageを見て、はしゃぎそうだしな」
三人は、シオンという男がくしゃみする姿を想像して爆笑した。
大学の教室の授業を終えて廊下に出た瞬間、原紫苑准教授は大きなクシャミをした。
「やれやれ、いよいよ私の出番が近づいてきたのでしょうかね?」
「 随分と待っていますが、まだまだ時間はかかるのでしょうか」
「その間に、私、教授になっちゃいそうですよ~」
ポケットからハンカチを取り出して、鼻をふきふきしつつ研究室に戻って手を洗った。
「あんまり早く出世しちゃうと、目立ちすぎちゃいますし、学会やら研究所に引っ張られちゃうので手を抜いているのですから、なるべく急いで下さいよ。アラン!」
研究室の窓辺に白い猫が座っていた。
「ビアンカ、私をのけ者にしたら恨みますよ!とアラン様に伝えて下さい」
白猫は、大きくのびをして窓の下に降りると、風のように消えていった。
いよいよ夏休み。
栗栖暁は、三年ぶりのしっかりとした夏休みに戸惑っていた。
中学生の頃は不登校という自主的長期休みを満喫?していたが、正規の休みとなると戸惑うものである。
思えば、高校入学からの三ヶ月半、学校へ行きたくないと思うことも無く、それなりに楽しく通えていた気がする。
むしろ、後半は楽しかった。
中村慎吾という陽キャラにも助けられたし、赤井凛音という不思議な存在のおかげ飽きることがなかった。
以前は、周囲の気持ちを先読みしてしまい、どう接して良いか困ることが多かった。
なのに、赤井凛音の感情は全く読めなかったし、他のヤツラの感情も俺よりダントツで優秀な赤井がいるので、矛先が暁に向かうこともなかった。
まぁ、女子は相変わらず苦手ではあるが、スポーツ大会以来評価は上々なので、居心地は悪くなかった。
「暁、学校休みだからってゲームばっかりしていたら目が悪くなるわよ。」
「あなた、お昼も食べずにやっていたけれど、そろそろ夕食よ」
久しぶりにオンラインゲームを始めたら、ついつい夢中になり、いつのまにか昼食も食べずにやり続けていた暁に、母が豪を煮して声をかけた。
「久しぶり過ぎて、夢中になっちゃったな」
「特待生だって、夏休みの宿題くらい出るんでしょ?」
「ああ、課題は出てるよ」
「あなた中学の頃は、夏休みの宿題なんて一度もやってないんだから、早めに手をつけないと大変かもしれないわよ」
「あ~、そうか!早めにやるよ」
「暑いし、家だとゴロゴロしちゃうから、明日は図書館にでも行く」
図書館へ行くのは小学生以来だ。
図書館には自習室なんてものもあったり、読書室には読書スペースもあったりして、冷房も効いていた。
しかし、受験生と思われる学生たちで自習室はいっぱいだったし、読書室のテーブル席も空いてなかった。
椅子だけのスペースがチラホラ空いていたので、ひとまず暁はそこへ座ってみた。
「ここは涼しいなぁ。外に出るのは嫌になる」
「ここで、席が空くのを待つかなぁ…」
「とりあえず、屋上の喫茶室で何か飲むか!」
暁が屋上の喫茶室へ行くと、何組かがお茶を飲んでいた。
図書館は、全館禁煙なので喫茶室と言っても喫煙する客はいなかった。
その客の中に、スーツの男と向かい合ってコーヒーを飲んでいる見覚えある男を見つけた!
本人が私服なのとスーツの男と一緒に居るせいか、同級生には見えないが、間違いなく赤井凛音だった。
暁は、赤井に声をかけたいと思ったが、大人のツレが居るのでどうしようかと、コミュ障が発動しそうになった。
すると、頭の中で「待っていたよ、クリス」 という声がした。
これは、いつも無意識にしてしまう先読み能力とは別だと直感的に理解した。
「えっ? あ???」
と、戸惑う暁に、席に座ったままの赤井凛音がにこやかに手をあげた。
「こっち、座りなよ」
と、やはり頭の中で赤井のものらしき声がするが、赤井の口は動いていなかった。
これは、テレパシー、精神感応ってやつか??
そう思いながら、暁は、店の奥の四人席に座る赤井凛音たちの元に向かった。
「やぁ、久しぶりだね。栗栖」
そう言う赤井の声は、学校で話していた時と違い、ににこやかで親しみがこもっていた。
「どうぞ座って」
赤井にうながされるままに赤井の隣に座ると、向かいに座っていたスーツの男性が
「クリスくん。会いたかったですよ、よろしくね」
と、静かだが決して冷たい感じではなく、手を差し出して握手を求めた。
暁は、普段なら初対面の大人と会話するのも抵抗があるのに、不思議と自然と手が出た。
「初めまして、栗栖暁です」
「なんと、クリストファー・アキュラ・オレンジリバー。そのままじゃないか!」
「アラン、何も迷う余地なしだ。マエルが喜ぶな」
と、トゥルリーはアランを見た。
「そうなんだ。間違いないだろ?」
そんな二人の会話を聞きながら、暁は何から聞けばよいやらと思った。
あの頭の中の精神感応の力は気のせいなのか?
赤井凛音を「アラン」と呼ぶ俺に会いたかったという目の前の男はだれなのか?
「マエルって?」
暁が質問する前に赤井が話し始めた。
「栗栖暁くん、ここからは、クリスと呼ばせてもらうよ」
「俺は、学校では赤井凛音となっているが、ビジネスネームがあってね」
「暮尾亜嵐ともいうんだ。なので、アランと呼ばれている」
「彼は、俺のビジネスパートナーの橙吏」
アランに紹介された男は胸ポケットから名刺を出し
「黄谷橙吏と言います」
「アランの会社の副社長です。本名は、トゥルリーなんだけどね」
「呼びにくければトーリーまたは、橙吏で良いですからね」
と、暁に名刺を手渡した。
30歳前後のインテリ眼鏡のクールなイケメンビジネスマンという感じで「女の人にモテそうだなぁ」と思った。
指輪はしていないので独身か?と思っていると
「あ、結婚はしていませんよ。我々はみんな独身です」
と、見透かされたように言われた。
すると、アランが
「まずは、君も何か頼むと良いよ。夏は水分補給が必須だ」
勧められるままに、暁はカフェ・ラテを注文した。
暁には、まだコーヒーはハードルが高い。
「クリス、色々と疑問はあるだろうが、今度うちに来ないか?」
「君にはゆっくり話したいことがある。会わせないとならない人たちもいるしね」
「それに図書館よりも勉強できる静かな部屋もある」
「課題はとっとと終わらせてしまうに限るからさ」
アランの思いがけない誘いに、暁の胸は躍った。
ついちょっと前に赤井凛音のことをもっと知りたい。
連絡先を知りたい。
友達になりたいと、思っていたのに。
片思いの相手から突然の誘いを受けた女子の気分は、こんなだろうか?
なんて思ってしまう自分が恥ずかしかった。
そんな暁の気持ちを全て見透かしたかようなアランとトゥルリーは、暁の父と兄のように目を細めながら
「じゃ、連絡は使徒を行かせるから、また!」
と、暁の分の伝票を持ち、会計を済ませて去って行った。
しばらく、ぼけっとしていた暁だったが
「連絡に使徒?」
と、アランの言ったことを思い返していた。
「とりあえず待ってみることにしよう」
「どうせ夏休みは暇だし、始まったばかりだし」
暁は、突然の急展開に戸惑いつつもワクワクが抑えきれなかった。




