東京と【東京】
その目覚めは死とともに訪れた。
(あの世界を見ることも、もうないのか)
ふとんから身を起こすと、老人は胸のうちにさびしさが広がるのを感じた。
老人の名は寿学。
見た目は80を越しているが、その正体は伝説の神獣・白沢であり、御手洗総導の手組でもある。
(最初にあの世界を見てから、50年が経つのか)
1000年以上生きた寿学にとって、50年なぞ暇つぶしのような時間でしかない。
だが総導と出会ってからの50年は暇つぶしどころか、血と暴力にまみれた波乱万丈の半世紀であった。
寿学が総導と出会ったのは198×年。
当時、寿学はK県の山奥にある小さな神社で暮らしていたが、そこへ若い総導が訪ねてきて、霊盃をかわしたのである。
(べつの世界にいる自分の夢を見たのは、総導さまと霊盃をかわした日のことだった)
寿学はよく夢を見る。しかし、ただの夢ではない。
彼は夢を通して、べつの世界に住む自分の人生を見ているのだ。
それが単なる夢ではなく「べつの世界」のできごとだと断言できるのは、その世界で歩んできた人生をはっきりと記憶しているからだ。
(この50年で、ずいぶん、たくさんのとうきょうを見たものだ)
どの世界でも寿学はとうきょうと呼ばれる場所に住んでいた。
東京、討凶、それに倒恐……。
どの世界も現実の東京とは少しちがっていて、そこで暮らす寿学もまた、この世界とは異なる人生を歩んでいた。
たとえば【討凶】の寿学は57歳で、総導が会長を務める〈漢極会〉という暴力団の若頭だった。
また【倒恐】に住む寿学は25歳の青年で、40歳の総導と刑務所で暮らしながら、ふたりで脱獄を企てていた。
たくさんあるとうきょうのなかで、寿学がもっとも好きなのは【東京】だった。
漢字こそ同じだが、この【東京】も寿学の住む東京とは別物。
たとえば【東京】には追株町が存在せず、代わりに銀座や麻布といった聞いたことのない地名がある。
ただし令和という元号が使われていることや、スマホが普及していることなどは、こちらの世界と同じである。
寿学が【東京】を好きな理由は、この世界に家族がいるからだ。
【東京】のジュガクは84歳の人間。
7歳年下の妻・ミチヨをはじめ、息子のユウタ、その妻のサナエといっしょに世田谷区という場所で暮らしている。
(なんと平和な日々だろう)
花壇の花に水をあげているときなど、彼の心は、ほかの世界では味わえないような安らぎを覚えるのだ。
しかし……。
(この世界を見られるのも、あとわずかだ)
80を超えたころから、寿学は自分の死期というものがわかるようになった。
信じられない話だが、
「自分はあと何年後に死ぬ」
というのが感覚的にわかるのだ。
だが不思議なことに恐怖はなかった。
そして、それは実際に【東京】で生きるジュガクも同じだった。
死ぬことに対する多少の不安はあっても、心のなかは、
「自分は家族とともにしあわせな人生を歩んできた」
その確固たる誇りで満ちているのだ。
そして、きょう――。
彼は家族に看取られながら、病室で息を引き取った。
死ぬ間際、夢のなかで寿学は家族の声を聞くことができた。
「お義父さん、いままで本当にありがとう」
「おやじの子に生まれて、おれ、しあわせだったよ」
そして最後に妻のミチヨが、
「ジュガクさん、わたしと出逢ってくれてありがとう」
やさしく手を握ってくれた。
その数分後、弱っていた心臓が、ついに停止。
ジュガクは天寿を全うしたのだった。
* * * * *
寿学は思う。
我々の住む世界の側には似たような世界がいくつもあり、それらは障子のような薄い膜で隔てられている。
だが、なんらかの方法によって、その膜をすり抜けたとき、べつの世界の自分の人生に触れることができるのではないか、と。
(総導さまと霊盃をかわすまで、このような夢を見ることはなかった。おそらく、あのお方の霊力を取り入れたことで、あらたな能力が目覚めたのだろう)
ふとんから抜けだしたときである。
不意に寿学の頭のなかに、ある光景が映しだされた。
それは夜の公園で12歳ぐらいの少年と18歳ほどの女性が、たがいの手を握り合う光景だった。
(おや? たしか、このふたりは……)
神獣である白沢は断片的であるが、未来を予知することができる。
この光景も未来予知の能力が見せたものだった。
(ふふ、人と怪異の絆がまたひとつ増えるやもしれぬ)
未来は常に変わりつづける。
ゆえに未来予知は絶対ではない。
それでも寿学は、この予知に心からのよろこびを覚えた。
多くの世界と同じように、この世界も平和ではない。
人間と怪異による犯罪がなくなることは、おそらくないだろう。
けど、この世界には魔廻りがいる。
そして彼らと手を取り合う怪異もいる。
ともに傷つき、ともに泣き。
そして、ともに笑いながら未来へ進む者たちが、この世界にはいる。
異種族の絆。
それを信じているから、寿学は胸を張って、べつの世界の自分にこう言えるのだ。
「わたしは、この世界に生まれてしあわせだ」
(東京と【東京】・完)
白沢は中国につたわる万物の知識に精通した伝説の神獣で、白澤と表記されることもあります。
おじいさんの顔をした白ヤギのような姿で描かれることもあれば、胴体の側面に3つの眼を持った四つ足の怪物として描かれることもあり、白沢の姿を描いた図画(絵)は魔除けの効果があるとも言われています。
※今後もゴクハナの新作エピソードは投稿していく予定です。




