阿保烏 1
9月の、ある月のきれいな日のことだった。
午後11時20分。
この世とあの世の狭間にある南魔地奉行所に、ひとりの怪異が夜の巡回からもどってきた。
怪異の名は黒峰。
ここの長屋に住む烏天狗である。
通常、巡回は魔廻りと手先のふたりでおこなうが、黒峰はひとりですることが許されている。
それは彼が妖怪の徳川家ともいわれる主楽入家の家来であり、
「御家者光札」
という特別な役をあたえられているからだ。
黒峰の住む長屋は奉行所の裏門近くにある。
奉行所の長屋は6畳の和室がついた2LDK。
和小屋組という伝統的な構法で建てられつつも、壁などにグラスウールという断熱材を施工した現代的なつくりになってる。
時代とともに妖怪の住処だって、ちゃんと進化しているのだ。
長屋の扉は金属のカギではなく、霊力を注ぐことで開け閉めする仕組みになっている。
黒峰が扉に霊力を注ごうとしたとき、
(ん?)
カギがかかっていないことに気づいた。
(出かけるまえに、たしかにカギは閉めたはず)
扉には家主の霊力を認識する機能があるので、黒峰以外にカギを外せる者はいないはずである。
(待てよ。ほかの者なら無理でも、あのお方なら……)
用心ぶかく扉を開け、滑るようにして玄関に入った。
そのとたん、
「人世の生き血をすする悪鬼どもめ、この桜吹雪の紋所が目に入らぬか」
とある時代劇のセリフが、和室のほうから聞こえてきた。
(まちがいない。あのお方だ)
黒峰はすぐに和室に向かった。
そこにいたのは――。
「やはり、お奉行でしたか」
テレビとスマホとタブレットで時代劇を流しながら、ふとんの上で『半七捕物帳』を読んでいたのは、小袖をだらしなく着た二十歳ほどの女性。
彼女こそ現在の南魔地奉行・主楽入くらり、その人である。
黒峰はたたみの上に正座すると、
「お奉行、いくら、わたしが主楽入家の家来でも、勝手に部屋に入るのは――」
「固いことを言うな。ほんの少し、くつろいでいただけだ」
「くつろぎたいなら、ご自身の部屋で――」
「クロよ。他人の部屋で、好き勝手にふるまうからこそ取れる疲れもあるのだぞ」
「そのような屁理屈を……」
「よいではないか。それにおれは女ぬらりひょんだぞ。他人の家に勝手にあがって何が悪い」
ぬらりひょんは、夕方などのいそがしい時間に勝手に人の家にあがっては茶を飲んだり、家主のようにくつろいだりする、はた迷惑な妖怪である。
だが、このぬらりひょん、じつは日本妖怪の総大将で、透明化はもちろん、気配を消したり、いかなる施錠も解除できたりとさまざまな能力を持っている。
この能力を使って、くらりは黒峰の長屋に侵入したのだ。
「それとクロ、ふたりきりのときにお奉行はやめろ」
「しかし――」
「おれとおまえの仲だ。ふたりきりのときは、くらりでいい。なんなら昔のように、りっちゃんでもかまわんぞ」
「そ、それはさすがに――」
「はは、冗談だ。真に受けるな、阿保烏」
くらりが笑いながら、身を起こした。
* * * * *
主楽入くらりは先代の南魔地奉行・主楽入飄四郎の娘であり、黒峰とは主人と家来の関係にある。
くらりは幼いときから、
「おれも父上のような立派なお奉行になる」
が口癖だった。
しかし家来のなかには、
「くらりさまは器量はいいが、おつむはあれだな」
「おなごがお奉行になぞ、なれるはずないのに」
と、陰で嘲笑う者もいた。
だが、それから数十年。
おとこ顔負けに裃を着こなすくらりを見て、
「これからは、くらりさまの時代ですな!」
てのひらをくるり。
さらに彼女のおこなう慈悲と正義の痛快お裁きが評判になると、
「わたくしめは以前からこうなることがわかっておりましたよ。なにせ、くらりさまは昔から利発なお方でしたから」
などと、ずいぶん調子のいいことを言ったものである。
くらりの年齢は黒峰と同じ60歳。
だが怪異ゆえ、その見た目は花盛りの二十歳の娘。
また端麗な顔立ちから、男女問わず多くの怪異に人気がある。
「ところでクロよ、町の様子はどうだ?」
「ここ数日で怪異による犯罪は起きていませんし、目を光らせている怪異暴力団の動きも、これといってありません。いまのところは平和です」
「そうか」
「栄牙組との闘争で負傷していた魔廻りも徐々に現場に復帰しつつあります」
「だが、それでも魔廻りの数が足りない。そうだな?」
「いかにも」
「たしか轟ノ進の捕物で魔廻りが1名、手先の怪異が2名亡くなったのだったな」
「はい」
『片般若』事件の少しあと、追株町では、通学途中の児童の列にダンプカーが激突するという痛ましい事故が多発していた。
それらが怪異の仕業ではないかとにらんだ御手洗総導は、月番の北魔地奉行所と協力して調査を開始。
結果、下手人は輪入道の轟ノ進であることが判明。
轟ノ進はタイヤに憑依してダンプカーをあやつり、快楽目的の殺人を繰り返していたのだ。
「怪異による犯罪は、年々、件数もだが手口も凶悪なものが増えてきている」
「そのとおりでございます」
「時代が変われば、人間だけでなく怪異の感性や考え方も変わってくる」
「そうして心に新たな闇が生まれると?」
「そうだ。その闇に対応するには魔廻りだけでなく、我らもまた時代に適した考え方を身につけなければならん」
「さすがはくらりさまです」
「だが、いかに時代が変わろうと、変えてはいけないものもある」
そこでくらりは、わざとらしくうでを組んで、困った顔をした。
「あえて名は言わんが、先日の茶会で、とある怪異に提案されたのだ。魔廻りを魔地奉行の支配下に置いてはどうかと」
「なっ!」
さすがの黒峰も、これには目を瞠っておどろいた。
魔廻りの正式名称は逢魔魔廻り同心。
江戸幕府が極秘につくりあげた役職で、かつては幕府の支配下にあったが、現代では独立体制となっている。
また、魔廻りには与力(同心の上司)にあたる者がおらず、その町や地域の、
「親分」
と呼ばれる魔廻りを統率者とした機動性重視の組織であることも特徴である。
一方、魔地奉行所は罪を犯した怪異を裁く場所として、江戸時代に御手洗銕導と、その手組でくらりの祖父にあたる主楽入飄右衛門が建てた施設。本家よろしく北魔地奉行所と南魔地奉行所のふたつがある。
なお、これらを建設する資金については銕導と飄右衛門がイカサマ賭博で荒稼ぎしたとか、下半身の醜聞をネタに、ふたりで時の将軍を強請って出資させたとか、真偽不明なウワサがいまも語り継がれている。
話をもとにもどそう。
「魔廻りと怪異は、たがいに手を取り合う関係。それゆえ、どちらが上でも下でもあってはいけない。だからこそ、幕府はあえて魔廻りを自分たちの支配下に置き、我ら魔地奉行と真の協力関係を築こうとしたのだ」
手先という呼び方こそあれ、数々の事件で人間と怪異の絆を見てきた黒峰は、もちろんこの考えに賛成である。
それゆえに、
「魔廻りを魔地奉行の支配下に置くなど、あってはなりません!」
「ああ。その場はぬらりくらりと切り抜けたが、そういう考えが南北問わず奉行所のなかに根を伸ばしているのは真実だ」
くらりの沈鬱な表情を見ると、黒峰の胸は絞めつけられるように痛んだ。
「変わっていかねば守れないものがある。しかし変えてしまうことで守れなくなるものもある。クロよ、守るとはむずかしいことだな」
「はい」
「だがな、クロよ。60にもなって、いまだに股の操を守りつづけるのも、いかがなものかと思うぞ」
「そ、それは……」
「はは、うろたえるな。おれとて、いまだに男の味は知らん。おたがいさまだ」
からかうように笑うと、くらりはだらしなく着た小袖の胸元を手うちわであおぐのだった。
(つづく)
次回の投稿は明日(23日)の19時におこなう予定です。
※わたくし犬山おはぎは、過去に一度だけ「ぬらりひょんのようなおばさん」を町中で見たことがあります。




