片般若 4
脱衣所に入ると、極導はあらためて遺体を確認した。
右側だけが腐った顔のそばには左側だけの般若面。
そして首には索条痕と吉川線。
被害者は脱衣の途中で襲われたのか、スラックスのベルトがゆるみ、靴下が片方だけ脱げていた。
「ん~」
蝦蟇七がウシガエルのような低い声でうなった。
「若いの、おまえ、スーツを着たことあるか」
「ええ、何度か」
「おれは生まれてこのかた、こういう堅っ苦しい服は一度も着たことがない」
「じゃあ、いつも、その服で?」
極導は信じられないといった表情で、カエルポリスがプリントされたアロハシャツを指さした。
「ああ。ところでスーツってのは、ふつうネクタイを絞めるもんだろ」
「ええ。あっ……」
「気づいたみたいだな。そう、こいつはネクタイをしていないんだ」
蝦蟇七がナオトの首を指さす。
索条痕に気を取られて気づかなかったが、被害者の日比谷ナオトはネクタイをしていないのだ。
「蝦蟇七さん、もしかして下手人は――」
「ああ。ネクタイで絞殺した可能性がある。そこらにネクタイが落ちてないか、さがすぞ」
だが、いくらさがしてもネクタイは見つからなかった。
「ネッククーラー同様、ネクタイも下手人が持っていったんでしょうか」
「かもな」
みじかい返事のあと、蝦蟇七があごをさすった。
「ん~」
「まだ何か気になることが?」
「気になるっていうか、なんか、こう寒気がするんだよ」
「寒気ですか?」
夏場の脱衣所は、むしろ熱いぐらいである。
「タクトのときもそうだったが、この索条痕を見てると、なんかこう背筋がゾクゾクするんだよ」
ゾクゾクを動きで表現しようと、蝦蟇七が肩を上げ下げした。
「いままで何度も索条痕は見てきたし、これよりひどい仏だって、さんざん見てきた。だが、こんなに背筋がゾクゾクしたのは今度の事件がはじめてだ」
そう語る蝦蟇七の顔は、こころなしか青ざめて見えた。
「いや、待てよ。そういや、さっきメイドの姉ちゃんににらまれたときも、これと同じように背筋がゾクゾクしたっけ」
「メイドの姉ちゃんって、ミキさんのことですか」
「ああ」
「もしかして何か事件と関係が?」
「いや、たぶん、ちがうな」
蝦蟇七は極導のほうへ向き直ると、
「あの姉ちゃん、目つきが鋭くて、おまけにくちびるも薄いだろ。おれ、ああいう爬虫類みたいな顔の女が苦手なんだ」
たしかに事件とは関係なさそうだ。
* * * * *
一方そのころ――。
日比谷響介は自室に引きこもり、恐怖に震えていた。
「ありえない……ありえるはずがない」
響介は頭から掛け布団をかぶり、何度もその言葉を繰り返していた。
(あのとき、たしかに殺したんだ。ひとり残らず、この手で殺したんだ)
だから生きているはずがない。
あの一家が生きているはずがないのだ。
(あのババアだって滝に落ちたんだ。生きてるはずがないんだ)
それに、もし一連の殺人が復讐なら、なぜ現在になってなのだ?
この40年で命を狙うチャンスなら、いくらでもあったはず。
それなのに、なぜ、いまになって、あのときの恨みを晴らそうとするのだ?
そして、なぜ、自分ではなく無関係の息子たちを狙ったのだ?
「ちがう。これは復讐なんかじゃない。あの一家とは関係ないんだ」
掛け布団のなかで胎児のように丸まりながら、響介は40年前の出来事を思いだすのだった。
* * * * *
199×年――。
それは平成という時代に、まだ昭和の空気が色濃く残っていたころの話である。
(死のう)
当時22歳だった響介は、わずかばかりの金が入った財布とバッグを持って、家を飛びだした。
(このまま親父がつくった借金を返済するために一生を終えるなんていやだ。そんな人生を送るぐらいなら、いっそのこと死んでやる)
死のうと思えば家でも死ねるが、響介は尾長山で死のうと決めていた。
尾長山は中学生のときに友人とキャンプした思い出の場所。
暴力と苦しみに満ちた家で死ぬより、たのしい思い出が息づく場所で静かに息を引き取りたかったのだ。
山に入って数時間が経過。
歩きつづけたすえ、響介は小さな洞窟を発見した。
(暗闇のなかで死ぬのも悪くない)
響介は懐中電灯の灯りを頼りに、30メートルほど洞窟を進んだ。
(おれは溶けるんだ。このまま闇に溶けて、この世から消えるんだ)
湿った地面に腰を降ろすと、響介は懐中電灯を消した。
バッグのなかには睡眠薬が入ったビンがある。
バッグを漁るようにしてビンを取りだすと、響介は錠剤タイプの睡眠薬を大量に手のひらに乗せた。
そのとき、
「いけません」
洞窟の奥から声がした。
その声におどろいた響介は睡眠薬をすべて落としてしまった。
「だ、だれだ!?」
声のしたほうを見ると、いつのまにか着物を着た若い女性が、灯りのついた提灯を持って立っていた。
「どんな理由があれ、自分で自分の命を絶つようなことをしてはダメ」
女性が、こちらへ近づてくる。
遠くからでは暗くてわからなかったが、灯りのもとで見ると、鼻筋の通った美しい女性である。歳は18~19ぐらいだろうか。闇の濃さとぼんやりとした提灯の灯りが、彼女の魅力をより際立たせていた。
「おなか空いてますよね?」
「ああ」
何時間も山を歩いたのだ。情けないが、事実、腹は空いていた。
「おばあさまが、おいしいたけのこ飯をつくってくれています。おいしい料理はからだだけじゃなく心も元気にしてくれるもの。だから、わたしの家に行きましょう」
女性は響介の手を取ると、洞窟の奥に向かって歩きだした。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。
※たけのこを漢字で書くと「筍」。これは一旬(約10日間)で竹になることに由来します。また、たけのこを茹でたあとに出る白い粒は、チロシンというアミノ酸の一種で、脳の活性化に良いといわれています。




