片般若 3
日比谷タクト殺害から3日後。
午後6時45分。
極導が夜の巡回にでかける準備をしていると、
「極導、事件だ」
障子戸を開けて、祖父の総導が部屋に入ってきた。
「さっき、日比谷の社長から電話があった。長男が殺られたそうじゃ」
「なんだって!?」
「殺害されたのは屋敷のなからしい。猪木とともにすぐに現場へ向かえ……と言いたいところじゃが」
総導がくやしそうに顔をしかめる。
「あいにく猪木はべつの事件を捜査しとる。おまえと花子ちゃんだけで行ってくれ」
「わかった」
「屋敷まで1時間ほどかかる。時間も時間じゃし、きょうはあっちで泊ってこい」
急いで荷物をまとめると、極導と花子は手代妖怪の運転する車で日比谷邸に向かった。
その日比谷邸だが、
「うわ~、おっきぃ」
庭園のなかにそびえる西洋貴族の住居のような建物を見て、花子が目を丸くした。
広大な敷地のなかにはプールやテニスコートなどの施設もある。
本邸の前では、メガネをかけた若いメイドがふたりの到着を待っていた。
「ええっと、もしかして、おふたりがお巡りさんですか?」
ふたりを見て、メイドが不安そうに訊いた。
「お巡りじゃなくて魔廻りです」
そうこたえて、極導は錬影術で影の十手をつくりあげた。
影の十手は武器だけでなく、みずからが魔廻りであることを証明する身分証でもあるのだ。
「すごい。ほんとに魔法が使えるんだ」
「魔法じゃなくて妖術ですけどね」
「妖術……すみません、何も知らなくて」
メイドが、もうしわけなさそうに頭をさげた。
「あ、自己紹介がまだでしたね。わたしは小松川リナ。おふたりを事件現場に案内するよう言われているので、ついてきてください」
ふたりが案内されたのは浴室の脱衣所だった。
本邸には日比谷の者が使う浴室とメイドたちが使う浴室とがあり、当然ふたりは2階にある日比谷用の浴室に案内された。
脱衣所には黒峰と、美豆良ヘアーの蝦蟇七がいた。
「蝦蟇七さんも来てたんですか?」
「おお。人手が足りないってんで黒峰に頼まれてな」
蝦蟇七は遺体のそばにしゃがむと、
「顔の右側だけ腐っていて、首には索条痕と吉川線。そんで、顔のそばには半分に割られた左側だけの般若面。何から何までタクトのときと同じだ」
「第一発見者は?」
「ここの社長だ。黒峰、若いのに色々教えてやれ」
「はい」
黒峰によると――。
殺害されたのは日比谷ナオト。タクトの5歳上の兄である。
最初に被害者を発見したのは、当主の日比谷響介。
個人惣菜屋だった〈ひびや〉を一代で大企業へと成長させた、ヒビヤフーズの代表取締役だ。
その日、いつものように6時に夕食を取った響介は20分ばかり自室でくつろいでいた。
その後、風呂へ入ろうと浴室へ向かい、遺体となった息子を脱衣所で発見したのである。
「日比谷響介は総導さまと面識があり、魔廻りのことは日比谷タクト殺害のあと、総導さまが教えていたそうです」
「警察じゃなくて、総のじいさんに連絡したのは、そういうわけだ」
蝦蟇七が言った。
「死亡推定時刻だが、6時30分ってとこだな」
「屋敷の者への事情聴取は?」
「いや、まだだ。なんせ、おれらもさっき来たばかりでな」
蝦蟇七はひざをたたいて立ちあがると、
「黒峰、屋敷のもんをあつめろ。いまから事情聴取をするぞ」
* * * * *
午後8時10分。
屋敷の者を本邸の食堂にあつめ、事情聴取がおこなわれた。
ちなみに今回、メイドたちに心浮かせの術は使っていない。
これはすでに屋敷の者が魔廻りの存在を知っているのと、
「これだけの人数の心を操作するのは、わたしひとりでは、とても……」
黒峰ひとりでは全員の心をあやつれないからだ。
現在、屋敷には住み込みのメイドが4人、執事が3人、専属料理人がひとりと、その弟子がひとり、そして日比谷響介の10人が住んでいる。
事情聴取は魔廻りの仕事である。
まだまだ魔廻り見習いの極導が、人生初の事情聴取に緊張しないはずがない。
「そ、それではいまから事情聴取をはじめます」
「ミッチー、それじゃあ授業開始の号令だよ。ほら、リラックス、リラックス」
花子が笑いながら、極導の肩をたたいた。
最初に話を聞いたのは奥山ミキというメイドだった。
歳は27~28歳ぐらいだろうか。直線的なまゆと薄いくちびるがクールな印象をあたえる美人メイドである。
「午後6時30分ごろ、ミキさんは何をしていましたか?」
「その時間は、食器の片づけをしていました」
「ミキさんの言っていることにまちがいありません。わたしもいっしょに片づけをしていました」
リナが横から口を添えると、ほかのメイドもうなずいた。
「最後にナオトさんを見たのは、いつですか?」
「食器を片づけはじめる少し前です。ご帰宅されたナオトさまを、わたしが出迎えました」
「それは何時ぐらいでしたか?」
「6時20分ぐらいだったと思います。食事よりも先に入浴したいと、おっしゃっていました」
そういえば、脱衣所で見たナオトの遺体はワイシャツにスラックスという、いでたちだった。
その後も事情聴取をつづけたが、ミキだけでなく全員にアリバイがあった。
「あと話を聞いていないのは、遺体を発見した日比谷響介だけなのですが……」
黒峰が困った顔で、こめかみを掻いた。
発見者の響介だが、彼は部屋にカギをかけて引きこもっているのだ。
「無理もありません。短期間で大事なご子息を、ふたりもうしなったのですから」
中年の執事が言うと、
「いや、それだけじゃねえかもよ」
蝦蟇七が表情を強張らせて言った。
「社長さんは、つぎに自分が狙われると思ってるんじゃねえか」
蝦蟇七は本物のカエルのように目を引ん剝いて、屋敷の者を見まわした。
「今回、殺しが起きたのは屋敷のなかだ。ってことは犯行は内部の者の仕業かもしれねえ。社長さんはつぎに狙われるのが自分だと思って、部屋から出てこねえんじゃねえか」
「あなたは、ナオトさまを殺した犯人が、このなかにいると言うんですか!?」
メイドのミキが蝦蟇七をにらみつけた。
「おいおい、そんな怖い顔するなって。せっかくのかわいい顔が台無しだぜ」
蝦蟇七は一瞬たじろいだようにミキから目を逸らしたが、すぐに余裕たっぷりに笑った。
「けど、もうすこし顔に肉をつけな。そっちのほうが愛嬌があっていいぜ」
「ふざけるのも、いい加減にしてください」
「おれは何もふざけちゃいない。このなかに下手人がいると本気で思ってるし、もしかしたら、そいつは人間じゃなくて怪異かもしれない」
「そんなバカな!? そんなことありえません!」
「じゃあ聞くが、あんた、ふつうの人間が顔の半分だけを腐らせるなんてこと、できると思うか?」
「それは……」
「もちろん怪異が屋敷のなかに忍びこんでる可能性もある。ま、ここであーだこーだ言ったところで、下手人が自首しに来るわけがねえ。おれは現場にもどって、いろいろと調べてくる。黒峰、あとのことは任せたぞ」
「はい」
「若いの、おまえはおれといっしょに来い」
言うや否や、蝦蟇七が極導の手首をつかんだ。
「え、おれも行くんですか?」
「あたりまえだ。魔廻りが現場を調査しなくてどうする。おっと、お嬢ちゃんは来なくてもいいぜ」
ついてこようとする花子を蝦蟇七が手で制した。
「どうしてですか?」
「お嬢ちゃんには、ほかにやってもらいたいことがあるからさ」
そう言って、蝦蟇七は花子に何か耳打ちした。
「なるほど。そういうことなら、よろこんで」
「じゃ、そっちは任せたぜ。さあ、若いの、おれらはいそいで現場にもどるぞ」
蝦蟇七はカエルサンダルをゲコゲコ鳴らしながら、極導とともに脱衣所へ向かった。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。
※ヒキガエルのオスは繁殖期になると、動くものになんでも抱きつく「抱接」という習性があり、メスのカエルとまちがえて他種のカエルやサンダル、ときには人間の腕にも抱きつくことがあるそうです。




