カレーおじさん (一話完結・短編)
8月某日――。
その日、昼までの夏期講習を終えた極導は、空いた小腹を満たすために、友人の唄河広志とコンビニのイートインコーナーで軽食をとっていた。
極導が大相撲カレーパンを食べていると、
「ゴクドウ、おまえ、カレーおじさんって見たことあるか?」
広志が得体の知れない質問をしてきた。
「カレーおじさん? 料理系のミーチューバーか?」
「ちげえよ。カレーおじさんってのは――」
不意に広志が口をつぐんだ。
「どうした?」
「ん。ああ、カレーおじさんってのは……たぶんカレーの妖精だよ」
広志はカフェオレを一口のむと、極導の手元を見ながら、
「おれ、小学生のときにカレーおじさんを見たことがあるんだ」
幼少期の奇妙な体験を話しはじめた。
* * * * *
それは広志が10歳のときのことだった。
その日、寝るまえにジュースを飲みすぎた広志少年は、夜中にもうれつな尿意で目を覚ました。
こども部屋からトイレまで、さほど距離はない。
広志はひとりでトイレに行くと、便器めがけて、すさまじいいきおいでジョボボボボ。
(海や川も、神さまがこうしてつくったのかも)
なんともバチあたりな妄想をしながら、用を足した。
スッキリした気分でトイレから出ると、
パシャ パシャ
水をかきわけるような奇妙な音が、キッチンのほうから聞こえてきた。
だが奇妙なのは音だけではなかった。
(あれ? キッチンに灯りがついてる)
唄河家はキッチンがリビングとダイニングのほうに向いてある対面キッチン型で、出入り口は引き戸になっている。
その引き戸のガラスの向こうに、蛍光灯の白い光が、ぼんやりと頼りなく灯っているのが見えた。
(父さんか母さんがカレーを温めているのかも)
お腹の空いた両親のどちらかが、夕食ののこりのカレーを温め直すために、シンクの上の蛍光灯をつけているのかもしれない。
そう思った広志は、
(よ~し。バレないようにそっと近づいて、びっくりさせてやるぞ)
ぬき足。さし足。
足音を忍ばせて、キッチンへ向かった。
静かに引き戸を開けて、キッチンをのぞくと――。
(えっ……)
そこで信じられない光景を目の当たりにした。
シンクのとなりのコンロには、余ったカレーを入れたホーロー鍋が置かれているが、その鍋のなかに、なんと5センチぐらいの小さなおじさんがいるのだ。
しかも、おじさんはひとりではない。
水泳帽をかぶり、海パンを穿いた5人のスイマーおじさんが、とろみのあるカレーをかきわけながら、鍋のなかで泳いでいるではないか。
(さっきのパシャパシャって音は、おじさんがカレーをかきわける音だったんだ!)
広志は何度もメガネをかけなおし、そして、また何度もまばたきをした。
けど、そのたびに目に映るのは5色の水泳帽をかぶったおじさんたち。
どれだけ「ありえない!」と頭で否定しても、その目に映るのはカレースイミングをたのしむ小太りの中年男性なのだ。
(夢じゃない。これは夢じゃないんだ)
ごくりとつばを飲みこんだとき、
「あ……」
平泳ぎをしていたおじさんと広志の目が合った。
その瞬間、唯一の光源である蛍光灯の灯りが消滅。
あたりが暗闇に覆われた。
* * * * *
「すぐキッチンに入ってライトをつけたけど、もう鍋のなかにおじさんはいなかった。そのあと両親と妹をたたきおこして、家じゅうをさがしまわったんだ。けど、おじさんはひとりも見つからなかった」
怪異とともに暮らしてきた極導にとって、怪談は心に恐怖を植えつけるものではなく、親戚のおばさんの自慢話、あるいは近所のおじさんの武勇伝のような身近で親しみのあるものだった。
だから広志の話を聞いても、心が騒ぎ立つことはなかった……のだが、おじさんの浸かったカレーを想像すると、衛生面的な意味で鳥肌がたった。
「つぎの日、学校でともだちにも話したけど、だれも信じてくれなかった。それ以来、夕食でカレーが出た日は、夜中にこっそりキッチンにのぞくことにしたんだ」
広志は、そこでまたカフェオレを飲んだ。
「けど、あれからカレーおじさんがあらわれることは二度となかった。だから、ともだちには『あれは夢だった』って自分から言うようにしたんだ」
「でも本当は夢だなんて思ってないんだろ」
「ああ。あれはぜったいに夢じゃない」
「でもさ、どうして、そのおじさんを妖精だと思うんだ?」
極導はたずねた。
「そりゃ怪異にもいろんなやつがいるけど――あ、いや、いろんなやつがいると思うけど、ふつう小太りのおじさんを妖精だなんて思わないだろ?」
「おれだって、ついさっきまでは思わなかったよ。でも、おまえの食ってるカレーパンを見て、気づいたんだ」
そう言って、広志は極導の食べかけのカレーパンをあごでさした。
「ほら、パンのなかにニンジンとジャガイモが入ってるだろ」
「ああ。タマネギもな」
「おれんちのカレー、それに加えてスイートコーンも入ってるんだ」
「いいと思うぜ」
「あと、肉は牛じゃなくて豚を使ってる」
「うちもそうだよ。で、なんで具材の話?」
「おなじだったんだよ」
「?」
「カレーおじさんは5人いるって言っただろ。5人のかぶってる水泳帽の色がさ、オレンジ、黄金、薄茶、黄色、ピンクで、うちのカレーの具材とおなじ色だってことに、ついさっき気づいたんだよ」
広志は顔の横に手をかかげると、
「オレンジがニンジン、黄金がジャガイモ、薄茶がタマネギ、黄色がコーンでピンクが豚肉」
指を折りながら説明した。
そして曲げた人さし指をあごに当てながら、
「あの日、おれが見たのはカレーの妖精だったんだ。もしかして二日目のカレーがうまいのって、あのおじさんたちがカレーのなかで泳いでるからかもしれないな」
大まじめな顔で、そんなことをつぶやくのだった。
(完)
お詫びと訂正
本作品で場面転換の際に使用するマークは5つの「*」ですが、誤って6つの「★」マークをつけていたことをお詫びします。11月26日に★マークを*マークに訂正しました。




