飲み屋の花子さん 3
「ここが〈きょらく〉ですよ」
豆蔵が指さしたのは高い塀だった。
店の塀ではない。せまい袋小路の塀である。
まゆをひそめあう極導と花子に豆蔵は、
「ここらを巡回るときは、こういう仕掛けがあるのを知っておいたほうがいいですよ」
塀に向かって手をのばした。
「「あっ!」」
ずぶり、と豆蔵の手が塀にめりこむ。
「心配いりません。霊力のある者なら、だれでも通り抜けられます」
「店につながってるんですか?」
「ええ。〈きょらく〉はあの世とこの世の狭間にある店ですから」
説明する豆蔵は、すでに右半身が塀のなかに埋もれている。
「花子、どうする?」
「ここまで来たんだし、行かなきゃ……だよね?」
「そうだな。よし、おれが先に行く」
豆蔵が塀のなかに消えると、極導は右手を塀に押しつけた。
ずぶり。
思ったほど硬さはない。不快感もない。むしろ冷たくて気持ちいい。
「ミッチー、だいじょうぶ?」
「ああ。平気だ」
塀の向こうは長机と樽が並べられた、広い土間のような空間になっていた。
奥には厨房があるようで、いちおう木の仕切り板が張られているが、上半分が開けたつくりになっているので、こちらから丸見えである。
もっとも、厨房からもこちらが見えるので、もしかすると客を監視するために、あえてこういうつくりにしているのかもしれない。
「ようこそ。〈きょらく〉へ」
樽に腰かけた豆蔵が言った。
ここでは樽をイス代わりに使うらしい。
(なんか思ってたのとちがうな)
飲み屋というよりは厨房をかまえた倉庫である。
ただ居心地は悪くない。むしろ秘密基地みたいでワクワクする。
遅れて入店した花子とともに、極導は豆蔵の向かいに座った。
「何を飲みます?」
「ええと……」
壁に貼られた品書きに目を走らす。
「甘酒をお願いします」
「わたしも同じものを」
「こつめちゃん、お銚子一本と甘酒ふたつね」
豆蔵が店の奥にさけぶと、
「あいよ」
威勢のいい返事が飛んできた。
「ここは大将とその娘が、ふたりだけでやってる店なんですよ」
注文の品はすぐに運ばれてきた。
「おまたせしました~」
品を運んでくれたのは着物を着た二十歳ぐらいの娘さんだった。
豆蔵に「こつめちゃん」と呼ばれた女性である。
「あ!」
不意にこつめがしゃがんだ。
「お客さま、手ぬぐいを落としてますよ」
「手ぬぐい? おれ、手ぬぐいなんて持って――うわっ!」
おどろいて極導は樽から立ちあがった。
長机の下から出てきた顔はなんと極導!
しかも着ているのはこつめの着物ではないか。
「これぞ〈きょらく〉名物、顔うつし。どうです、おどろいたでしょ?」
着物すがたの極導がその場でくるっと回転。
一瞬のうちに顔がこつめに変わった。
「はじめてのお客さまを、こうしておどろかすのが〈きょらく〉流のおもてなしなんです」
「こつめちゃんの正体はかわうそでしてね。昔から化けるのが得意なんですよ。常連のなかには好きな芸能人に顔を変えさせて、酒を運ばせるやつもいるぐらいです」
「ここは嘘を楽しむお店。だから〈きょらく〉って名前なんです」
こつめが有名な野球選手に化けて言った。
「けど、わたしが変えられるのは顔だけ。声や背丈までは変えられないんです」
たしかに身長は150センチもないし、着ているのもユニフォームじゃなくて着物。口から出るのもこつめの声である。
「変化の術って、こう見えてなかなかむずかしいんです。だから完璧にすがたを変えられる怪異なんて、いないと思いますよ」
こつめが娘さんのすがたにもどった。
「それがひとりいるんだよ」
豆蔵がニヤニヤしながら言った。
「すがた、顔、身長、声。そのすべてを自由自在に変えられる変化の名人が、この町にひとりいるんだよ。こつめちゃん、わかるかい?」
「え~、そんなのわかるわけないじゃないですか」
「じゃあ、若はわかりますか?」
豆蔵が極導に訊くと、
「えっ、若?」
こつめが目を見開いた。
「豆蔵さん、もしかして、この方って……」
「ああ。この方は御手洗極導さま。総導さまのお孫さんだよ」
「なんで教えてくれないの!」
いきなり、こつめがその場に土下座した。
「若さま、先ほどのご無礼、たいへん申し訳ありませんでした」
「若、娘は本当にあなたのことを知らなかったんです。どうかお許しを」
厨房から出てきたおとっつぁんも、三和土の床に頭をこすりつける。
「ふたりとも顔をあげてください。許すも何も、そもそも、おれ怒ってないし」
「それではお咎めは?」
「あるわけないでしょ」
「ああ、よかった。海よりも深い若の慈悲に感謝します」
こつめとおとっつぁんは、再度、頭を床にこすりつけた。
「ところで豆蔵さん。その変化の名人ってだれなんですか?」
「流兵衛ですよ。すこし前まで柳井啓太の手先だった、かわうその流兵衛です」
「え、流兵衛さんが?」
「はい。あいつとは古いつきあいですが、流兵衛こそ日本一の変化名人。変化であいつの右に出る怪異はいませんよ」
豆蔵が上機嫌で言った。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。
※小豆洗いは全国に出没する妖怪で、ゆえに小豆とぎ・小豆アゲ・小豆そぎ・小豆ごしゃごしゃ・小豆さらさらなど様々な呼ばれ方があります。
小豆洗い=小動物が化けた姿との説もあり、キツネやタヌキこそが小豆洗いの正体とする地方もあります。




