なぐさめの花子さん 4
烏天狗に案内されて、ふたりは遺体の元へ向かった。
殺された女性は二十歳ぐらいだろうか。
切り裂かれた腹を中心に黒ずんだ血が全身に飛散している。
玉子型のととのった顔には苦悶の表情が浮かんでいた。
(なんてひどいことを……)
覚悟はしていたが、実際に遺体を見ると、その凄惨さと下手人への怒りから吐き気がこみあげてきた。
(ん?)
あることに気がついた。
(この人、なんとなく東浄先生に似てるな)
歳が近いこともあるだろうけど、顔立ちといい、長い黒髪といい、どことなく極導が好意を寄せている東浄先生に似ている。
「ミッチー、どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
「ひどいことするよね」
「ああ。ひでえな」
「わたしね、嫌いって言葉、あんまり使わないようにしてるんだ」
花子はその場にしゃがんで、遺体に顔を近づけた。
「嫌いって声に出して言っちゃうと、心がそれを受け入れづらくなるような気がするの。だから、いやなものは嫌いじゃなくて苦手って言い換えるようにしてるんだ。苦手なら克服することで好きに変わるかもしれないから」
花子はまばたきもせず、じっと遺体の顔を見ていた。
まるで彼女の苦しみを抱きしめるように。
「だけど、わたし、こんなことをする人を絶対に好きにはなれない。だから、この下手人のことはハッキリと嫌いって言える」
「そうだな。おれも嫌いだ」
そのとき、
「あの、もしや極導さまと花子さまで?」
振り返ると、でっぷりと太ったかわうそが3メートルほど向こうに立っていた。
かわうそといっても動物のカワウソではない。二本足で立ち、背丈が150センチほどもある妖怪のかわうそである。
「そうですけど。あなたは?」
「あっしはかわうその流兵衛ってもんです」
「流兵衛……。じゃあ、もしかして、あなたが柳井さんの?」
「はい。手先でした」
流兵衛はかぶっていた菅笠を脱ぐと、ふたりに頭をさげた。
基本的に魔廻りは自分の相棒のことを手先という。
これは江戸時代に、京都や大阪の上方同心が従属関係にある岡っ引きのことを手先と呼んでいたのが魔廻りのあいだに広まった……という説や、捕物の際に魔廻りよりも相棒の怪異が先陣を切ることが多かったことから「先に手を出す」で先手に、さらにそれが手先になったなど、いろいろな説がある。
いずれにせよ、相棒を手組と呼ぶのは御手洗の屋敷に住む魔廻りだけである。
「お話は聞いております。柳井の旦那の仇を討っていただき、ありがとうございやした」
流兵衛が声を詰まらせながら礼を言った。
「からだじゅうを斬られたって聞いたけど、だいじょうぶなんですか?」
「へえ。あっしも怪異のはしくれ。キズの治りは人間よりも早いんです」
ふわふわの毛が生えた腕を流兵衛がたたいてみせる。
「大勢の魔廻りが手負いで動けねえ以上、あっしみたいなのでも力になれるならと思って、捜査に加わらせてもらったんです」
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「へへっ、御手洗の若に礼なんて言われたら、うれしくて鼻が赤くなっちまうや」
もともと赤い鼻を流兵衛が爪先でこすった。
* * * * *
そのあと1時間ほど現場付近を捜索したが、被害者の身元を特定できるものは見つからなかった。
時刻はすでに午前1時をまわっている。
30分ほど前から降りはじめた雨のせいで、極導たちのからだも冷えてきた。
「遺体を回収して引きあげるぞ。朝になったら、聞きこみをはじめる」
熟練烏天狗の指示で捜査は一時中断。
極導たちも屋敷にもどった。
そして朝を迎えた。
その日は土曜日でふつうなら学校は休みだが、追株高校には土曜補習という休日におこなわれる補習授業がある。
しかも対象は全校生徒。成績に関係なく、全員が参加しなければいけないのだ。
昼までの補習が終わると、極導は松下通りを通って屋敷にもどることにした。
韓国レストランの近くに来たときである。
店の前でスマホをながめる東浄先生を見つけて、極導は足をとめた。
ふたりの距離は約6メートル。
東浄先生はスマホに夢中で極導に気づいていない。
教育実習の期間はあと4日。
好きという想いはつたえられなくても、わかれる前に数ミリでいいから東浄先生との距離を縮めておきたい。
だから勇気を出して、声をかけることにした。
「とうじょ――」
「いっちゃん、お待たせ」
極導の声をさえぎるように、若い男性が東浄先生の前にあらわれた。
歳は先生と同じくらいだろうか。
背が高いうえにスタイル抜群で、おまけにイケメン。
ふたりのまわりだけ、空気が宝石を溶かしたみたいに輝いて見えた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「全然。わたしもさっき来たところだから」
「じゃ、入ろっか」
「うん」
男性と東浄先生は肩を並べて、店に入っていった。
「…………」
心に穴があいた気がした。塞ぐことのない大きな穴が。
と、そのとき、
「若、元気を出してください」
見覚えのない太ったおじさんが声をかけてくれた。
「失恋は大人への階段。一歩ずつあがることで大人に近づいていくんです」
「あの、あなたは?」
「へへ。あっしですよ、あっし」
おじさんは禿げた頭を撫でると、
「流兵衛ですよ。かわうその流兵衛」
極導の耳元でささやいた。
「ここの担当の魔廻りと手先がケガで動けないんで、あっしが人間に化けて巡回してるんですよ」
背が低く、太ったうえに、つるっぱげ。
人も怪異も見た目がすべてでないことは花子が教えてくれたが、それでも人間態の流兵衛を見ていると、同じ男としていたたまれない気持ちになった。
「きれいな娘さんでしたね」
「はい」
「若が惚れるのもわかります。かくいうあっしも髪が黒くて清楚な感じの娘さんが好きでしてね」
「そうなんですか?」
「はい。ああいう子に鼻を撫でられたいと常々思ってます」
流兵衛の鼻がひくひくと動いた。
「若、こういうときは食うに限りますぜ。飲むよりも食う。腹に食べ物を詰めこんで、心の隙間を埋めちまうんです」
言うや否や、流兵衛は極導の腕をがっしりとつかんだ。
「遠慮はいりません。男のなみだは男がぬぐうもの。あそこのハンバーガーショップで若のなみだをぬぐわせてください」
なかば強引なかたちで、流兵衛は近くのハンバーガーショップへ極導を連れこんだ。
「お代はあっしが払います。ささ、好きなものをたのんでください」
気持ちはうれしいが、ショックで食欲はまったくない。
なので極導はコーラだけ注文した。
「それだけでいいんですか?」
「はい。逆に訊きますけど、流兵衛さん、そんなに食うんですか?」
流兵衛が注文したのはジャンボサイズのハンバーガー3個にLサイズのフライドポテトと15ピース入りのチキンナゲット。これをひとりで平らげたら、お腹があれほど膨らむのも納得できる。
「へへっ、じゃんくふーどが好きなもんでしてね。休憩のときは柳井の旦那としょっちゅうこういう店に入ってたんです」
「柳井さんと?」
「はい。魔廻りのあいだじゃ、旦那は昔気質の人で通っていたみたいですけど、実際はじゃんくふーどが大好きな人だったんです」
「そうなんですか? おれ、以前に一度、柳井さんの弁当見せてもらったことあるけど、入ってるの野菜の煮つけと玄米のおにぎりだけでしたよ」
「あはは、そうなんですよ。あの人、意外と人目を気にするほうで、人前で食事するときはいかにも健康に良さそうなものだけを食べるようにしてたんです」
「へえ、あの柳井さんが」
「酒だってそうですよ。好きだけど飲むのは非番の前日だけ。人前ではぜったいに飲みませんでしたね」
「酒って日本酒?」
「いや、わいんですよ。くらしっくを聴きながら飲むんですよ。こんなふうにね」
流兵衛がグラスをまわすマネをした。
「江戸時代から魔廻りの手先をしてるけど、あんなに手先のことを大事に思ってくれる魔廻りは柳井の旦那がはじめてでしたよ」
遠い目をして、流兵衛が天井を見あげた。
「一度あっしのヘマで、追い詰めていた下手人を取り逃がしちまったことがあったんです。あのときは情けないやら悔しいやらで、本気でこの仕事から手を引こうと思いました。けど、そんなあっしに旦那はこう言ってくれたんです」
柳井の顔と言葉を思いだすように、流兵衛は目をつむった。
「生きてさえいれば下手人を捕まえることができる。それよりもおまえが無事でいてくれてよかった、って……」
言いながら流兵衛は鼻をぐずらせた。
閉じた目のふちには、すでになみだが溜まっている。
それがつーぅっとほほに垂れ落ちた。
「なのに、あんなにやさしい人が死んじまうなんて……いまでも、ときどき思うんです。あっしが死んで、旦那が生き残ればよかったんだって」
「流兵衛さん、それは――」
「わかってます。こんなこと言ったって旦那は生き返らないし、そもそも望んじゃいねえ。あの世で旦那に笑ってもらうためには、生き残ったあっしが、がんばらなくちゃいけないんです」
「流兵衛さん……」
「あはは、若に泣いてもらうつもりが、あっしのほうが泣いちまいましたね」
流兵衛が笑いながら、なみだをぬぐった。
「旦那はこの町が好きだった。あの人が愛した町を、今度はあっしが命を懸けて守ってみせますぜ」
なみだをぬぐった流兵衛の目には壮大な決意が満ちていた。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。
※カワウソを漢字で書くと「獺」。天を頼りとする獣という意味です。
動物のカワウソのなかには捕まえた魚を並べる習性がある種もいて、それを見た人が「あれは魚を空や大地に祀っているのだ」と信じたことが由来だそうです。




