呼び名、それは君が僕に求める役割(10-1)
短編【24.5】を読んでいただけましたでしょうか?
僕は埃を被った神話の本に手を伸ばした。
開かれたページには、古い時代に忘れ去られた英雄の物語が書かれている。主催者が朗読してくれたのは、別の本だったけど、この物語は有名だから聞き覚えがある。
不意に、エシュが視界の隅に入ったのを察知した。隣に立って、机に置かれた本を覗き込んでいる。
「文字は読まないのだっけ?」
エシュは何も答えなかった。
それなら、挿絵が珍しくて眺めているのだろうか?
「この国では有名な地底神の絵だ。こっちが、大地の慈母神」
挿絵を指さし、輪郭をなぞりながら説明する。エシュは黙って聞いていた。その視線が、本から僕の顔へと移る。
「……未だ、お前の呼び名を決めておらぬ」
「ああ、そうだね」
視線を返しながら、僕は気のない返事をした。呼び名の話を持ちかけた後に提示された案が、再び頭をもたげたせいだ。
好きなように呼べと口では言ったけど、呼ばれたくない名がいくつかある。例えば、外見を揶揄する差別用語のが、それに該当する。
あれ以来、自分でも考えてはみたが、納得できるものは思い浮かばなかった。出てくるのは、本名をもじっただけの未練がましい呼び名ばかりだ。
「ここなら名前を探すのに向いているかも」
僕は、視線を本棚に広げた。
参考資料に溢れた場で呼び名の話題に触れてきた。期待するなというのは無理だ。
エシュは少し間を開け、やがて静かに告げた。
「お前は、……ロエル。だ」
そもそも文字が読めないなら、どれだけ多くの参考資料に囲まれていようとも、素晴らしい案が頭に捻じ込まれる余地はない。
肩の力が抜けて行くのを感じつつ、不満の代わりに質問を投げかける。
「それを選んだ理由、意味を聞いてもいい?」
すると、エシュの視線が静かに僕を捕らえた。僕は続ける。
「勿論、理由も意味もないなら、それでも構わない。全部が思い付きの気まぐれ。次の瞬間、泡のように消える顛末を君が望んでいるなら」
責任を放棄した僕が、それを他人に押し付ける。そんな矛盾を許してもらえるなら、どんなに小さくても意味が欲しい。
我が侭を言い出せず、物分かりの良い顔で捻くれた言葉をぶつける僕に、エシュは答えた。
「ロエルは、種火を見守る者の名だ」
顔を上げると、視線が重なった。僕は瞼を伏せ、顎に手を当て、考え込むフリをする。
「それは、ちょっと荷が重いかも」
なんて言いながら、ふざけてみる。
聞かれなかったから言わずにいたけど、「エシュ」は火のように赤い癖毛にちなんで付けた呼び名だ。
それ以上、エシュは何も語らなかった。僕が呼び名を受け入れたと理解したのだろう。
この呼び名が新しい物語の始まりになる。それだけは、僕も確信していた。
「そろそろ、パンを買って帰ろうか?」
辞書の中から名を見つけ出す時代もありました。
今はAIに相談すれば、いくらでも候補を挙げてくれる現代。音だけで選んだ意味のない名など、恥ずかしくて公表できんよ。
その割りに扱いヒドイが?




