第50話
シャドーレ……。
もう一度でいい、流転の國へ来て欲しかった…。
その日、ルーリは時間に余裕を持って桜色の都を訪れた。
「突然の訃報を受け、我が國の者達も悲しみに沈んでおります。…これからという時にお亡くなりになられたシャドーレ様のご無念は如何ばかりでしょうか。謹んでお悔やみを申し上げます」
流転の國の中でも最高級の喪服を着て、黒真珠のネックレスとイヤリングを身に付け、光沢のない上品な黒パンプスを履いたルーリが挨拶に来る。ブロンドの纏め髪。憂いを帯びた碧い瞳。悲しそうな横顔。息を呑むほどに美しい彼女の姿を見て、その場にいた者達は女神が降臨したのではないかと錯覚する。
そんなルーリに歩み寄る者がいた。
「お初にお目にかかります、ルーリ様。私はシャドーレ王の伴侶であり、現在、国王代理を務めさせて頂いております、ダークと申す者にございます。この度は葬儀にご出席下さり感謝申し上げます」
「初めまして、ダーク様。貴方様のことはシャドーレ様から少し伺っておりますわ。桜色の都の最上位黒魔術師であり、かつて国の危機を救った英雄とのことでした。…そんな頼もしい殿方を伴侶に迎えられて幸せだと、首脳会談の合間に、わたくしにお話しになられましたの。シャドーレ様が仰った通り、ダーク様はとても素敵な御方にございますね。今は深い悲しみの中にいらっしゃることと存じますが、シャドーレ様が遺された王子様の御為にも、桜色の都の将来の為にも、どうかお心を強くお持ち下さいませ。わたくし共も微力ながらお力添えさせて頂きますゆえ、これからも友好国としてよろしくお願い致します」
ルーリはそう言うと、優美な物腰でお辞儀をする。哀しそうな微笑みをたたえて。
「勿体ないお言葉にございます、ルーリ様。こちらこそ、これからも何卒よろしくお願い申し上げます。しかし…シャドーレは私のことをそんな風に言っていたのですね…」
ダークが照れたように笑う。
「ええ、首脳会談と申しましても休憩の時間はございますので、その際に色々とお話しさせて頂きましたわ。お互い、国の頂点に立つ者として、末永く仲良くさせて頂けると思っていましたのに…本当に残念でなりませんわ。ダーク様、わたくし、シャドーレ様のお美しい笑顔が好きでしたの。お顔を拝見致してもよろしいでしょうか?」
気高く美しい流転の國の女主人は、その場にいる者の視線を全身に浴びながらも、特に緊張した様子もなく、優雅な立ち居振る舞いで皆を釘付けにする。
「どうぞ、こちらへ…」
ダークの指示で、メイドがシャドーレの眠る棺の所までルーリを案内する。そのメイドはミノリ・アルバに似ていた。
(ミノリ嬢?…いや、そんなわけが…)
ルーリは彼女の顔をよく見る。…姉妹?
「案内をありがとう。貴女のお名前を伺っても良いかしら?」
部屋に着くと、ルーリはメイドに訊ねる。
「はっ。私はアカリ・アルバと申す者にございます。この度は流転の國の主様にお会い出来て光栄に存じます」
(やはり血縁関係があるのか…?)
「アカリさん。わたくし、首脳会談の時、貴女に似た白魔術師の方とお会いしたことがあるの。ミノリ・アルバさんと言うのだけれど、貴女は彼女をご存知かしら」
アカリは驚くが、すぐに返事をする。
「は、はいっ。ミノリは…私の妹にございます。私とは違い、陛下にもその実力を認められた白魔術師でございました。…ルーリ様。畏れながら、ミノリは陛下のお役に立てていたのでしょうか…?」
そう言ってから、
「こ、これは失礼致しました。流転の國の主様に対して個人的な質問をするなど…」
慌てて頭を下げる。妹がどんな風に働いていたのか、少しでも知りたくて、ついルーリ様に対して私的な発言をしてしまった。
しかし、ルーリは優しい声でアカリに言う。
「わたくしも数回しかお会いしたことがないのだけれど、とても一生懸命で穏やかな人だったと記憶しているわ。シャドーレ様は白魔術師としての実力だけではなく、ミノリさんの優しい人柄に救われていたみたいよ」
慈悲深く美しい微笑みを向けられたアカリは、跪いて頭を下げる。
「ルーリ様から直々にお話を伺うことが出来まして、幸甚の極みにございます。私のような者に対してもそのようにお優しく接して下さるとは…ルーリ様は女神様の化身であらせられるのでしょうか…」
違います。死神です。
「アカリさん、貴女もとても可愛らしい方ね。シャドーレ様がお亡くなりになられて心細く悲しいでしょうけれど、これからも桜色の都を守って下さいね。我が流転の國も、貴女達の為に力を尽くしましょう」
「はっ!有り難きお言葉にございます!!」
アカリが退出した後、ルーリはシャドーレの棺に歩み寄る。そして、足を止める。
「シャドーレ…」
小さな声で、ルーリは彼女に話しかける。
「本当に…死んでしまったのか…」
シャドーレは、沢山の美しい花々で飾られた立派な棺の中で眠っていた。生前には一度も見たことがなかった白いドレス姿で。
「私を置いていかないでくれ…もう一度、もう一度でいい、流転の國へ来て欲しかった…」
ルーリは黒いレースのハンカチを取り出し、あふれる涙をそっと拭く。
それを見ていた者達は、女神が泣いている、と錯覚したという。
「ルーリ様」
名前を呼ばれて振り向くと、そこには赤子を抱いたダークの姿があった。
「王子様…貴方が、シャドーレ様の忘れ形見でいらっしゃいますか…」
「ルーリ様、どうか抱いてやって下さいませ」
ダークが涙を流しながら言う。
「ええ。…では、失礼致しますわ」
ルーリが赤子を抱き上げる。泣かれたらどうしようと思いつつ。
「王子様。よく産まれてきて下さいましたね」
今度は聖母のような微笑みを浮かべる。
赤子は嬉しそうに声を上げて笑う。
「ダーク様に抱かれているよりご機嫌がよろしいようでございますね」
その場にいたダークの配下が言う。
「このようにお美しい御方に抱かれて、王子様も幸せなのでしょう」
暫しの間、和やかな雰囲気になる。
「やはり、ルーリ様は女神様なのです。王子様がこんなに嬉しそうなお顔をされるなんて」
聞けば、あまり笑わない子だという。
「…貴方様が大きくなられましたら、母上様のお話をさせて頂きましょう。わたくしの知っている、強く美しいシャドーレ様のお話を…」
ルーリが王子に優しく語りかけるのを聞いて、ダークはなおも涙を流し続ける。
王子は聖母ルーリの腕の中で、笑っている。
その後、王子はなかなかルーリから離れなかった。他の者が抱こうと手を伸ばすと、必死でルーリにしがみつき、絶対に離れようとしなかった。
仕方なく、ルーリは王子を抱いたまま、シャドーレに別れを告げた。
「シャドーレ様、どうかお心安らかにお眠り下さいませ。今まで、本当にありがとうございました。…それでは、失礼致します」
まだ葬儀までには時間がある。
ダークに王子を返したら、もう一度シャドーレの顔を見せてあげられるだろう。
ルーリは一向に離れようとしない王子を抱いたまま、子守歌を歌い始めた。
その優しく美しい歌声に、配下達も耳を澄ませる。ルーリは小さな声で歌っている。
「王子様、早く大きくなるのですよ。そして、流転の國へお越し下さいませ。そしたら…」
ルーリの子守歌を聞いて眠った王子を抱いてダークは再びシャドーレの傍に行く。
親子三人、最後の時を過ごす。
その後、ルーリは貴賓室に案内され、葬儀が始まる時間まで待機することになった。
アカリが気を利かせて、コーヒーを淹れて運んでくる。
「ありがとう、アカリさん」
「とんでもないことにございます、ルーリ様」
アカリは跪き、頭を下げる。
「お言葉に甘えて、始まる時間までこちらにいさせて頂くわね」
「はっ。では、時間になりましたら、また参上致します」
ここからはルーリの独り言。
「…可愛かったな」
王子が笑った顔はシャドーレの笑顔によく似ていた。
「あんなに可愛い子を遺して、シャドーレは逝ってしまうんだな…」
(「シャドーレ様は…王子様を出産された直後お亡くなりになりました。あんなにもご自分の手で抱きたいとおっしゃっておいででしたのに、ついに王子様を抱くことも叶わず、そのまま息を引き取られたのでございます…」)
先程、ルーリは、王宮の白魔術師からシャドーレの最期を聞いた。
「お前が抱くことの出来なかった王子様を、私が抱いたこと、許してくれ、シャドーレ…」
ルーリは涙を流す。
また一人、大切な人を失くしてしまった。
それからどのくらい時間が経っただろうか。
ドアをノックする音が聞こえる。
シャドーレを見送る時間が迫っていた。
私を置いていかないでくれ…。
喪服姿の女神はそう言って涙を流す。




