第37話
なぜ、ここに来たのか?
ミノリは何も思い出せない。
「この記述から考えると…もしかしたら、マヤリィ様の魂は消えていないのかもしれない」
ここは流転の國の書庫。
ミノリは一冊の本を手に取り、読んでいた。
何を調べにここに来たかは覚えていない。
書庫に入るなり、この『魔国と魂』という本を見つけ、気になって読み始めたのだ。
「黄泉の国で魂だけの存在になっても、この世に未練を残していれば、そのまま消えずに魔国へ迷い込むことがある。…魔国って、何なのかしら」
ミノリは読み進める。
「魔国とは、人間の魂を欲する悪魔の住む国である。悪魔達は人間の魂を唆し、自分と契約を結ばせると、その心を揺さぶり、あやつり、自分の意のままに弄ぶ。時折、黄泉の国に侵入してはこの世に未練のある魂を魔国へといざない、その魂は永遠に魔国を彷徨い続けることになる…」
読みながら、ミノリの手は震え出す。
「何ですって…!?ここに記されていることが事実なら、もしやマヤリィ様の魂は…!!」
マヤリィが人の心をなくした状態で甦り、漆黒の殺戮者として皆を恐怖に陥れたことを思い出す。ジェイが命を懸けてマヤリィと共に黄泉の国に戻り、二人は順番通りに魂だけの存在となって、消えてしまったと思っていた。
しかし、悪魔が黄泉の国に侵入するとは一体どういうこと…?
とにかく、先を読む。
「魔国へといざなわれた未練ある魂は、悪魔と契約を交わした後、この世に甦ることがある。不確定ながら実例としては…………」
その先を読んだが、何の参考にもならない。
ミノリはため息をついて、本を閉じる。
(マヤリィ様がこんなことになっていなければいいのだけれど…。まさか、もうこの世に未練なんて残していらっしゃらないわよね?)
考えても、分からない。
(それにしても、どうしてミノリはこの本を読み始めたのかしら。何か調べることがあったはずなのに、思い出せないわ…)
頭が痛い。何も思い出せない。
(皆は今日もミノリを置いてどこかに行っているみたいだし、もうマヤリィ様のことも忘れてしまったのかしら…)
ミノリは自ら修復した『流転の羅針盤』を宙に浮かべ、寂しそうに見つめる。
マヤリィ亡き後も、ミノリは書物を読み解く者として流転の國の為に尽くそうと努力している。元々汎用性の高い魔力をさらに強化しようと努力している。
それにしても、皆は一体何をしているの?
たまには実戦訓練なども行いたいのだが、ルーリは何やら忙しそうだし、ネクロもそれに付き合っているみたいだし、シロマが呼ばれている所も見た。桜色の都のミノリ嬢についてシャドーレから相談を受けていた時、この話はミノリを傷付けることになるのではないかという配慮から、誰もミノリに話さなかったのだが、逆効果だったらしい。シャドーレの相談が一件落着して三人が揃って流転の國に帰還した時は、どこから帰ってきたのかを問い詰めようとして、ミノリは魔力爆発を起こしてしまった。その場はシロマに宥められて収束したが、結局、皆の行動については分からないまま。
そんなわけで、ミノリは書物を読み解く者として、一人寂しく、自分の部屋と書庫の間を行ったり来たりしていた。
「何を探しに来たかどうしても思い出せないわ…。仕方ないから、一度部屋に戻ることにしましょうか」
ミノリはそう呟いて、自分の部屋へ戻ろうとするが、
「っ…書庫の扉が……!!」
確かにここから入ってきたというのに、まるで最初から扉などなかったかのように、入口があった場所はただの壁になっていた。
「嘘でしょ?どうしてこんなことが……」
周囲を見渡しても、扉はどこにもない。
「……『転移』」
ミノリはとにかくこの場を抜け出そうと『転移』魔術を使おうとするが、発動しない。
「どうして…?玉座の間にも、ミノリの部屋にも『転移』出来ないなんて…」
《こちらミノリ。現在、書庫にて、扉が消え『転移』不能になるという現象が起きている。誰か来て!!》
皆に念話を送る。しかし、返事はない。
「皆、どこへ行ってしまったの…?」
ミノリはその場に座り込む。
その時、声がする。
「ミノリ」
甘く優しい声がミノリの名を呼ぶ。
ミノリは一瞬動揺したが、その声の主が誰なのかはすぐに分かる。
そして、今のご主人様はルーリだと言うのに、突然現れた彼女のことをそう呼んでしまう。
「ご主人様……?お姿をお見せ下さいませ…!」
「ここよ、ミノリ」
背後から優しい声が聞こえる。
「さぁ、こちらを向いて。貴女の可愛らしい顔を見せて頂戴」
(ご主人様、今はどんなお姿で…)
ミノリはゆっくりと振り返る。
「愛しいミノリ。会えて嬉しいわ」
「ご主人様………!!」
そこには、生前と変わらないマヤリィの姿があった。
ミノリの知っているご主人様。
誰よりも気高く美しく優しい御方。
「私の可愛いミノリ…ずっと寂しい思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」
本物のご主人様。ミノリの大切なご主人様。
ミノリはマヤリィの前に跪き、
「ご主人様、ミノリなどに謝らないで下さいませ…!ご主人様のお顔を拝見出来て、ミノリは今とても幸せにございます」
そう言って頭を下げるミノリ。
「顔を上げなさい。もっと近くに来て頂戴」
マヤリィは自分も膝をついて、ミノリを抱きしめる。
「大好きよ、ミノリ…」
「ご主人様ぁ……!!」
様々な感情が一気にあふれ出す。
「ミノリはひとりぼっちなのです。シャドーレはミノリを置いて桜色の都へ帰ってしまいました。ルーリ様はネクロやシロマを連れて頻繁にどこかへ出かけているし、ミノリに命令のひとつもくれません。今だって、念話を送っても誰も応答してくれませんでした。…ご主人様、ミノリは要らない存在なのでしょうか」
涙を流しながら、マヤリィに問う。
「そんなこと、あるわけがないわ」
マヤリィは静かに語りかける。
「貴女は私の大切な人。そしてこの流転の國になくてはならない存在よ。…貴女にこんなにも寂しい思いをさせるなんて、許せないわ。私が来たからには、もう大丈夫。貴女はもう孤独も寂しさも悲しさも感じなくていい。この流転の國で、心穏やかに健やかに過ごして欲しいのよ。それが私の願い」
そう言ってマヤリィは優しく微笑む。
ミノリは、なぜここにご主人様が現れたのか不思議に思うこともなく、彼女の言葉に感動し、その変わりない美しさに見とれている。
「ミノリ、これから貴女の部屋に行っても良いかしら。なぜか突然この場所に『転移阻害』魔術がかけられてしまったみたいだけれど、私の魔力を使えば何の問題もないわ。たまには、宙色の大魔術師らしい所を見ていて頂戴」
そう言ってマヤリィはミノリの手を取ると、魔法陣を展開し、すぐに『転移』した。
「ご主人様…!あのように美しい貴女様の魔法陣……久しぶりに拝見致しました…」
ミノリは誰にも真似することの出来ない素晴らしい『転移』魔術の余韻に浸っている。
そして、改まってマヤリィの前に跪き、
「畏れながら、ご主人様はミノリが絶対の忠誠を誓うべき御方にございます。そして、ミノリの永遠の理想の女性です。貴女様を愛すると言いながら、かつて他の者と部屋を共にしたことをお許し下さいませ。ミノリが本当に愛し申し上げているのはご主人様お一人にございます…!」
ミノリはそう言って頭を下げる。
今となってはシャドーレと過ごしたことなど完全に過去の出来事になっている。
「嬉しいわ、ミノリ。貴女はいつだって、どんな私だって、受け入れてくれた。…あの日、一度死んだ私を棺に入れてくれた時のこと、今も鮮明に覚えているわ。本当にありがとう」
「勿体ないお言葉にございます、ご主人様…!」
ミノリは嬉し涙を流す。
「ご主人様、貴女様の御為に今ミノリが出来ることはないでしょうか?ミノリの全ては貴女様の物にございます。どんなことでも致します。どうかご命令を下さいませ」
「…ミノリ。貴女の言葉、然と受け取ったわ。では、命令を下すとしましょうか」
「はっ!有り難きお言葉にございます、ご主人様!!」
その日、マヤリィが流転の國に現れたことを知る者はただ一人、ミノリだけだった。
そして、悲劇の第二幕が始まる……。
孤独の真っ只中にいたミノリの前に現れたのは、生前と変わらない優しく美しいご主人様でした。
「ミノリの全ては貴女様の物にございます」
……マヤリィはこの言葉を聞きたかった。




