第9話
シャドーレは桜色の都へ帰る。
ミノリは流転の國に留まる。
二人は別々の道をゆくことになります。
「シャドーレ、本気でツキヨ様に従うつもりでいるのか?」
「…ええ。私を流転の國に迎え入れて下さったマヤリィ様はもういらっしゃらない。私はこれ以上、流転の國にいるべきではないのかもしれないわ」
シャドーレの決意は予想以上に固そうだ。
ルーリはその件に関しては説得を諦め、
「ミノリのことはどうするつもりだ?」
一番気になっていることを訊ねる。
「勿論、ミノリと離れたくはないわ。でも…」
ミノリとシャドーレは恋人同士であり、二人で一緒に過ごす為の広い部屋を与えられている。しかし、マヤリィが死んだ後はほとんど話をしていない。
「悲しいけれど、ミノリはマヤリィ様を止められなかった私を許しはしないでしょう。私はこれから桜色の都に戻り、国王となって流転の國と良い関係を築き続けることで、マヤリィ様と貴女達に恩返しをしたいと思う」
「そうか…。マヤリィ様のこともそうだが、桜色の都の話を聞いて、ミノリはかなり動揺しているように見えた。…部屋に戻って、今の話をミノリにも詳しく話した方がいい」
「…畏まりました」
シャドーレは一礼すると、自分とミノリの部屋へ戻った。…が、ミノリはいない。
《こちらシャドーレ。ミノリ、私よ。今どこにいるの?話がしたいの》
すぐに念話を送る。
《こちらミノリ。場所は第3会議室。来て》
いつになく暗い声のミノリ。
シャドーレは第3会議室に入ると、
「ミノリ、貴女の意見も聞かずに都へ戻ることを決めてしまってごめんなさい」
ミノリに謝る。
「…貴女が謝るべきはミノリじゃない。ご主人様を置いて、都へ帰ると言うの?」
「っ…。私は、流転の國と桜色の都が交わした盟約を確実に守る為にツキヨ様に従うことにしたのよ。…ミノリ、私と一緒に桜色の都に来てくれないかしら。貴女と別れたくないの」
シャドーレは懇願するが、
「…貴女が桜色の都の国王になると決意したのなら止めない。けれど、ミノリは流転の國を離れるわけにはいかない」
ミノリはシャドーレと目を合わせることもなく、暗い表情で話す。
「ねぇ、貴女はご主人様の最期を見たの?」
「っ…」
「ミノリだって、あの場にいたとしてもご主人様を止めることは出来なかったと思う。それは分かってる。…でも、その前に一体何があったというの?ルーリの髪型が変わったことと何か関係があるの?」
ミノリは不思議に思っていた。あのルーリが髪を切るなんて。
「二人の間に何があったのかは私も知らない。でも、ルーリはしきりにご主人様に謝っていたわ。…詳しいことは本人に聞いてみるしかないわね」
「…そう」
ミノリはそっけなく答えると、念話を送る。
すぐにルーリが転移してくる。
「ねぇ、貴女はどうして髪を切ったの?」
ミノリは、ルーリとも目を合わせない。
「ご主人様との間に何があったの?」
ルーリはすぐに答えることが出来ない。
「こんなこと、ミノリだって本当は聞きたくないけれど、聞かずにはいられないわ。ご主人様の願いを許さなかったのは、貴女なの?」
「……ああ。全ては私のせいだ」
(ルーリ…!)
シャドーレはそれを否定したかった。
しかし、言葉が出てこない。
ミノリはルーリの返事を聞いても、怒りもせず、泣き叫ぶこともなく、
「…そう。だからジェイは亡くなったご主人様の髪を剃って差し上げようと言ったのね」
静かな声でそう言った。
「やはり、貴女は悪魔だったの…」
ミノリが小さな声で呟く。
第3会議室では、マヤリィが眠り続けている。
ルーリはまだその剃髪姿を見ることが出来ない。
「…ミノリもご主人様が甦ることを祈っているけれど、きっと難しいわね…」
ミノリは眠り続ける主の元へ近寄り、
「可哀想なご主人様。…このまま貴女を見送るべきなのでしょうか…」
ミノリは死んで甦った者を見たことがない。
それに、蘇生方法が見つかったとしても、完全な状態で生き返らせることが出来るのかは不明だ。ミノリは書物を読み解く者として、既に死者の蘇生に関する本を何冊も読んだが、どれも信頼性に欠けるものだった。
それでも、ミノリはご主人様に会いたい。
「…ミノリはご主人様を失って、シャドーレと別れて、これからどうやって生きていけばいいのでしょう…。ご主人様、貴女の美しい瞳を見たいです。貴女の素敵なお声を聞きたいです。もう、叶わぬのでしょうか…」
ルーリは何も言えず、立ち尽くしている。
「…ミノリ、そろそろ部屋に戻りましょう」
シャドーレはそっとミノリに声をかけるが、ミノリは首を横に振る。
「今夜ミノリはここで寝るわ。ご主人様の傍を離れたくないの。…貴女は部屋に戻って」
「…分かったわ」
シャドーレは素直に頷く。
「ルーリ。ご主人様が病気だったことはミノリも知っているわ。だから、全てが貴女のせいだとは思っていない。でも…」
ミノリは涙を堪えながら、
「ご主人様はお優しいから決して貴女を責めることはないのでしょうけど、ミノリはまだ貴女を許せない。ごめんなさい」
その言葉に、ルーリは首を振る。
「ミノリ。私はずっと自分を許せないだろう。お前も、許さないでくれ。この愚かで無力な悪魔を、許さないでくれ…」
震える声でそう言うと、
「…先に戻る。せめてマヤリィ様の代わりに、流転の國の為に働かなければ…」
結局、ルーリはマヤリィの顔を見ることもなく玉座の間に転移した。
「シャドーレ…ご主人様は美しいわね…」
ミノリは剃髪した主の姿を見て、
「お美しいご主人様。ミノリも、貴女様のように頭を丸めたいです。…しかし、生きているミノリが剃髪するなど、申し訳ないことですね」
そう言いながら、ミノリは泣く。
刈り上げたばかりの後頭部が痛々しく見える。
シャドーレは何も言えない。
「昔の書物の中に、恋しい人を亡くした女性の話がありました。彼女はその人だけを生涯思い続けると誓って、その長い髪を全て剃り落とし、尼僧になったそうです。ミノリもそうしたいけれど…」
(尼僧…。確かマヤリィ様もその言葉を使われていた…)
シャドーレはあの時のことを思い出す。
ルーリともあろう者がなぜマヤリィにあんなことを言ったのか、シャドーレは不思議でならなかった。
(愛する女性が髪を切るというのは、そんなに悲しいことなのでしょうか……)
シャドーレには、マヤリィが剃髪したいと言った瞬間に泣き出したルーリの気持ちが今一つ理解出来ていなかった。
(もしかしたら、知らなかっただけで、ルーリも髪は女の命だという考えを持っているのかしら…。そして、それを知ってしまったマヤリィ様は、自分が髪を切ることで愛する人を傷付けまいと、あんなことをおっしゃった…)
シャドーレはあの時のことを思い出す。
(あの時、なぜロングヘアにするなどとおっしゃったのか不思議でしたが、ルーリの本心を想ってのことだったのですね。…マヤリィ様は優しすぎますわ。優しすぎるがゆえに、ご自身が傷付き、心を壊してしまわれた…)
ルーリだってそれは分かっていたはずだが、それでもマヤリィに伝えずにはいられなくなってしまったのだろう。愛する女性に長い髪でいて欲しい。例の夢でロングヘアのマヤリィを目の当たりにしたルーリはそんな想いに囚われてしまったのだろう。
(確かにマヤリィ様の御髪は美しいけれど…。あれほど愛しているのなら、髪よりも気持ちを大切にして差し上げるべきだった。貴女には言えないけれど、私はそう思いますわ…)
シャドーレはそう思いながら、マヤリィの姿を見る。
「ルーリは…意外と閉鎖的な価値観を持っていますのね。きっと本人も知らなかったのでしょうけれど、そのことにマヤリィ様は気付いてしまわれたのですね…」
シャドーレは思わず口に出してしまう。
そこへ、ミノリが声をかける。
「シャドーレ、貴女にはご主人様のお気持ちが分かっていたのよね?」
先程より優しい声だ。
「ええ。畏れ多いことながら、マヤリィ様と私は若い頃、似た境遇に置かれていたみたい…。それで、私にはマヤリィ様のお気持ちが痛いほど分かった。…結局、お役に立つことは出来なかったけれど…」
俯くシャドーレをミノリは抱きしめる。
「そんなことないわ。ご主人様のお気持ちを真に理解してくれたのは貴女だけだと思う。側近の一人として、ご主人様のお心の拠り所となってくれたことに感謝します。本当にありがとう、シャドーレ」
「ミノリ…!」
いつの間にか落ち着きを取り戻していたミノリは、マヤリィの側近という立場から、シャドーレにお礼を言う。
「…ルーリはご主人様を愛しすぎたのね。配下としても恋人としても失格だけれど、ルーリの愛は本物。それは認めるわ…」
ミノリは寂しそうに呟く。
やがて、シャドーレは部屋に戻り、ミノリは再びマヤリィの棺に寄り添う。
「ご主人様、ミノリはこれからも流転の國で生きていきます。貴女様の國を守り続けていきます。…どうか、見ていて下さいませ」
今もマヤリィのことを「ご主人様」と呼んでいるミノリ。
ルーリを許すことは出来ないけれど、ルーリの愛は本物だった。
それはミノリも理解しています。




