第3話
私にとって断髪はつらいことだ。
されど、他に自分を罰する方法が浮かばない…。
(ご主人様は私がこんなことをしたら…お怒りになるだろうか、悲しまれるだろうか…)
洗面所の鏡の前で、碧い眼をした金髪の美女が自分の姿を見つめている。その手には鋏が握られている。
(私はルーリ。それ以上でもそれ以下でもない流転の國の住人…)
ルーリは自分の髪を愛おしげに触る。
「流転の國に顕現した時からずっとこの姿。髪を短くした自分なんて、想像も出来ないが…」
肩下まである髪には綺麗にウェーブがかけられている。今朝、コテで巻いた時のままだ。
(…今まで考えたこともなかったけれど、私はこの髪が好きなんだな。ご主人様が愛でて下さったこの髪が…)
光を受けて美しく輝くルーリの金色の髪。
一度も短くしたことのない髪。
しかし、ルーリは思い留まることなく、
「ご主人様、お許し下さい」
そう呟くと、左側の髪を無造作に掴み、右手に握った鋏で切り落とそうとするが、彼女の髪は多く、簡単には切れない。
ギチギチと音がする。まるで、髪が切られまいと抵抗しているみたいだ。
けれど、まもなく重々しい音と共に、ルーリが掴んだ髪は彼女から完全に切り離された。
ルーリは何度もそれを繰り返す。次は右側。
美しい髪がどんどん落ちていく。
「っ…私にとっては、これは罰だ…」
泣きたいのを堪えて、ルーリは自らの髪を切り続ける。洗面台が金色の髪で覆われる。
ようやく鋏を置くと、ルーリは鏡を見る。
そこに映っているのは、不揃いなおかっぱ頭になった自分の姿。
普段ならば髪を整えるくらいは難なくこなせる器用な彼女だが、今は違う。
(私にはマヤリィ様のお気持ちが分からない。だって、私は今、こんなに、悲しい…)
「…私には、ショートヘアは似合わないな…」
ため息をつく。これからどうしよう。
「マヤリィ様…私の髪が短くなっても、貴女様のお心が晴れるわけではないのに…。他に自分を罰する方法が見つからなかったのです…」
ルーリはその場に座り込み、泣き出す。
洗面台には、ただの残骸と成り果てた美しい金髪があふれている。
その時だった。ノックの音。
「ルーリ、私よ」
ドアの外からマヤリィの声がする。
「いるんでしょう?開けて頂戴」
「マ、マヤリィ様……!?」
「昨日はごめんなさい。貴女には関係のない、愚痴どころではない過去の恨みつらみを聞かせてしまって。本当に反省しているわ」
ルーリの部屋の前で謝るマヤリィ。
「お願い、開けて。いつものように私を抱きしめて頂戴。私の愛しいルーリ…」
流転の國の主とは思えない言葉の数々。
主ならば配下の部屋に直接『転移』することも出来るが、マヤリィはドアが開くのを待っている。喧嘩した次の日の恋人のように。
マヤリィの今の姿は、昨日の夜ジェイに刈り上げてもらったばかりの短い髪。そして、流転の國の正装だとなりゆきで決めてしまったスーツ…に似てはいるが少し違う、学生服のようなブレザーとスラックスを着ていた。
「姫、カジュアルな格好でルーリに会うのが気が進まないなら、チェックのブレザーとかにしません?私立高校の男子生徒みたいに」
今朝、ジェイに言われた。
確かに、愛しい恋人の所へ謝りに行くのに、パーカーにジーンズでは格好がつかない。
ていうか、主様が配下の部屋まで謝りに行くなんて非常識ですよ、マヤリィさん。
「ほら、ネクタイも。…因みに、ツーブロックは校則違反ですよ」
「反抗期なの。バレなきゃいいのよ」
そう言って姫は笑った。
「私立の学校は厳しいですよ?」
「知ってるわ。金髪もアウトね」
その言葉を聞いて、ジェイも笑う。
「まぁ、先生に会いに行くわけじゃないんですから。こんな感じで良いと思いますよ」
「ふふ、そうね」
男子高校生の制服を着た短髪のマヤリィ。
「私は愛しい恋人の部屋に行くのだから」
「今のビジュアルで、僕の前で、その台詞はやめて下さい」
「大丈夫よ。必ず貴方の所に戻ってくるから。約束する」
そう言って姫はジェイにキスをする。
(僕はやっぱりルーリには勝てないよ…)
ジェイはそう思いつつ、姫を見送る。
「行ってらっしゃいませ」
姫はジェイを見て頷くと、すぐに転移した。
そこはルーリの部屋のドアの前。
「ルーリ、どうしたの?具合でも悪いの?」
なかなか出てこないルーリを心配して、姫は声を張り上げる。
「マヤリィ様……」
こんな姿をご主人様に見られたくない。
涙に濡れた顔。不揃いなおかっぱ頭。
(こんな姿をマヤリィ様に見せるなんて…)
とてもじゃないがドアを開けられない。
「仕方ないわね…」
(こんな手は使いたくなかったけれど…)
「『転移』」
マヤリィは躊躇いつつも、ルーリの部屋の中へ転移する。
「ごめんなさいね、緊急事態だったらいけないと思って……ル、ルーリ…!?」
さすがのマヤリィもルーリの有り様に絶句する。
「マヤリィ様…!」
ルーリは動揺する。もう逃げられない。
「一体、どうしたというの?貴女の髪……どうしてこんなに…」
マヤリィも動揺している。美しいルーリの髪は無惨にも短く切られ、彼女は泣いている。
座り込んでいるルーリ。その奥の洗面台には大量の髪の毛。そして、鋏。
すぐにマヤリィは何が起きたのかを悟る。
「ルーリ。その髪…自分で、やったの?」
「はい……」
「やりたくて、やったの…?」
「…………」
「どうやら、そうではなさそうね」
マヤリィは頭を抱える。
「貴女のその顔を見るに、本当は切りたくなかったんでしょう。…私のせいね」
「い、いえ…!私はただ、自分を許せなかっただけにございます。マヤリィ様を傷付けてしまった自分が…どうしても許せなくて…」
ルーリの瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
「…貴女がそんなに思い詰めていたなんて…。自慢の髪だったでしょうに、こんなに短くしてしまって……」
そう言ってルーリの髪を優しく撫でる。
不揃いな毛先が痛々しい。
「マヤリィ様ぁ……」
ルーリはその場にひれ伏す。
「昨日は、本当に申し訳ございませんでした。私は…貴女様を苦しめてしまった自分が許せなくて…。以前、ユキがヘアメイク部屋で髪を切った時のことを思い出しました」
今は流転の國の魔術師である、元は天使だったユキ。天界からの密偵であることが発覚した後、マヤリィは罰の一環として、彼女が大切にしていた長い髪を切った。それを思い出し、ルーリは断髪に及んだのだった。
「私は知りませんでした。髪を切ることが私にとってこんなにつらいなんて…」
「普通の女性はきっとそうなのよ。私やシャドーレは少し違うけれど」
マヤリィとシャドーレは自ら望んで髪を刈り上げ、短髪にしている。
「自慢の髪を不本意に短くするなんて、つらくて苦しくて当たり前よ。お願いだから、これ以上苦しまないで頂戴。…私の愛しいルーリ」
マヤリィは優しくルーリに語りかける。
そして、不揃いな毛先に触れると、
「貴女の髪、どうしましょうか。…これでは、一番短い所に合わせて整えるしかないわね」
自分を責めて追い詰めて髪を切ってしまったルーリだが、マヤリィの言葉に身体が震える。
(これ以上短くなるのか…?でも、仕方ない。自分でやってしまったことだ…)
「すぐにジェイを呼ぶわ。ヘアメイク部屋には行きたくないでしょう?…さぁ、涙を拭いて」
「はい…申し訳ございません…」
マヤリィから渡されたハンカチで涙を拭く。
「切りたい人は切ればいいし、切りたくない人は切らなくていいの。…ルーリ、貴女は自分の髪が好きだったのよ。たぶん予想以上にね」
「マヤリィ様ぁ…!」
ルーリは姫に抱きつく。
《こちらマヤリィ。ジェイ、すぐに来て頂戴。ルーリの部屋よ》
姫の念話を受けて、ジェイはルーリの部屋の前に転移する。
「失礼致します。開けますよ。姫、何かあったんですか…?って、ルーリ…!?」
ジェイはルーリの姿を見て驚愕する。
「君は……まさか、自分で自分の髪を…!?」
「すまないな、ジェイ…」
ルーリが弱々しい声で言う。
「私の髪を整えて欲しい。…ご主人様を傷付けた罰を自分に与えようと思って…それで…」
俯きがちに話すルーリに、
「まさか君がこんなことするなんて…」
ジェイはまだ動揺を抑えきれない。
「…それにしたって、随分短くしちゃったじゃないか…長さもバラバラだし…。これじゃ、一番短い部分に合わせて切るしかないよ…」
「っ…。いいんだ。自分でやってしまったことだからな。…悪いが、頼む…」
いつになく落ち込んだ様子のルーリに戸惑いつつも、ジェイはカットの準備を始める。
「…じゃあ、切るよ」
ルーリの身体が僅かに震える。
「お願いします…」
唇を噛みしめて、ルーリが言う。
(ルーリも女の子なんだなぁ…)
昨日の一件で自分をずっと責めていたんだ。自慢の髪を切るなんて、そして泣くなんて、可哀想だが可愛い。ジェイはそう思った。
姫はヘアカットの様子を見ることもなく、違う方向を向いていた。
しばらく経って。
「…出来たよ。これから伸ばし易い方がいいかなって思って、切りっぱなしボブにしてみたけど…もっと軽い方がいいかな?」
ルーリの髪は襟足ぎりぎりの所で真っ直ぐに切り揃えられたミニボブになった。
「いや…大丈夫だ。…この先のことまで考えてくれてありがとう、ジェイ」
そう言いながらルーリはすっかり短くなった自分の髪を触り、そっとため息をつく。
「…姫、出来ましたけど、いつまでそっちを向いてるつもりですか?」
ジェイの言葉で姫は振り向く。
「そう…。ご苦労様、ジェイ」
「とんでもないです。…ご覧下さい。ミニボブのルーリ、すごく可愛いですよ」
姫はルーリを見る。ルーリは姫を見る。
「マヤリィ様…!」
「ルーリ…綺麗よ…」
そう言ってルーリの髪を撫でる。
髪をバッサリと切ったルーリは、随分と印象が変わった。
「もう、自分で自分を傷付けるようなことはしないで頂戴。貴女が傷付いたら、私も同じように傷付くのだから」
「はい…申し訳ございませんでした」
ルーリは跪き、頭を下げる。
驚くほど頭が軽い。落ち着かない。寂しい。
「…昨日は悪かったわ。貴女をこんなに追い詰めてしまうなんて、主失格ね」
「そ、そのようなことはございません…!」
ルーリはその時、初めて今日のマヤリィがどんな姿でいるのかを見た。
「マ、マヤリィ様…そのお姿は…!」
昨日見た時よりも明らかに短い髪の毛。そしていつもはしていないネクタイ。初めて見るチェックのブレザー。
「ああ、これ……?」
絶句しているルーリ。 微笑むマヤリィ。
「私は髪を短くするのが好きなの。どうしようもなく好きなの。…昨夜、刈り上げてもらったのよ。ねぇ、男の子みたいでしょう?」
男子高校生を気取るマヤリィ。
呆気に取られるルーリ。
「本当に美少年のようでございます、マヤリィ様。貴女様には短い御髪がお似合いです…。しかし、こんなに短く刈り上げてしまわれるなんて…」
ルーリはもう自分が何を言っているのか分からなくなっていた。
(シャドーレなら、きっとマヤリィ様の気持ちが分かるんだろうな…)
「…マヤリィ様、畏れながら、着替えさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、そうね…衣装部屋へ行きましょうか」
髪型も変えたことだし、心機一転ファッションも変えてみるのかと思ったら。
「いえ、実はもう準備してあります…」
そう言うと、ルーリは指を鳴らし、一瞬で服を替えた。
「貴女、その格好は…!」
「…衣装部屋へ行ったことがないというシロマに聞いてみたのです。私も、たまにはこんな格好をしてみようかと…」
(貴女様は…可愛い服を着たことがないとおっしゃっていました…。だから私も…)
ルーリはピンク色のワンピースから一転、シロマと同じ修道服に着替えていた。
ていうか、修道女姿の夢魔なんて聞いたことがないよ、ルーリさん。
マヤリィは驚いて見ていたが、
「ルーリ、貴女は自分を責め過ぎよ。もう、許してあげて頂戴」
そう言ってルーリを抱きしめる。
「マヤリィ様…」
それ以上、ルーリは何も言えない。
「落ち着いたら念話を寄越しなさい。そうしたら、またここに来るわ。…その時は、いつものルーリでいてね」
「はっ。畏まりました、マヤリィ様」
ルーリは跪き、頭を下げる。
マヤリィは微笑みながら頷くと、ジェイと一緒に自分の部屋へ転移する。
残されたルーリは、もう一度鏡を見る。
髪を短く切り揃えた修道女がそこにいる。
「これが、私か……」
後悔しても髪は戻らない。
しかし、今の自分にはこの姿が相応しい。
「マヤリィ様は…どうして私を許して下さるのだろう…」
ルーリは、先程のマヤリィの言葉を思い出す。
(マヤリィ様は優し過ぎる…。私はあの御方の心の傷を抉ってしまったというのに…)
ルーリはため息をつく。
これから、シロマに会いに行こうか。
昨日会った時は、華やかな衣装に身を包み、美しい金色のミディアムヘアにウェーブをかけ、ハイヒールを履いていたルーリ。彼女は驚くだろうが、それでも会いたい気がする。
ルーリは慣れない短い髪と修道服のまま部屋を出ると、シロマの部屋へ向かった。
ルーリはさらに短くなったマヤリィの髪を見て、美しいと思いつつ、再び複雑な気持ちを抱いてしまいます…。




