第2話
決して触れてはならない…。
分かっているのに、彼女は地雷を踏んでしまった…。
「本当にどうしたの?いつまでもそんな悲しそうな顔をして」
コーヒーを飲みながらマヤリィが聞く。
「ご心配をおかけして申し訳ございません、マヤリィ様。少し…夢を見ておりました…」
珍しく俯きがちに話すルーリ。
マヤリィは首を傾げて、
「夢の内容を覚えているなら話して頂戴。少しは気が紛れるかもしれないわ。…目覚めた後も貴女にそんな顔をさせるなんて、余程の悪夢だったのね」
ルーリの頭には夢の中の出来事がしっかりと記憶されているが、言うことは出来ない。
(あれは…マヤリィ様の過去…)
長い髪を惜しげもなく切り落とし、嬉しそうに微笑んでいたマヤリィ様…。
しかし、あの髪の毛は美し過ぎた。切って欲しくなかった。
ルーリは葛藤する。
(マヤリィ様の好きなマヤリィ様でいて下さることが私の喜びであるはずなのに、どうしてこんなことを考えているのだろう…)
「マヤリィ様ぁ…」
ルーリはコーヒーも飲まずに、マヤリィに近付き、先程と同じようにその髪を撫でる。
(貴女様は…あのように美しい御髪を男性のように短く切ってしまわれた。それが、貴女様の願いだったのですよね…)
あまりに悲しい。ルーリは思った。
(どうして、あんな夢を見てしまったのか…)
以前マヤリィの苦しみを聞いたことを思い出し、もっと悲しくなる。
「ルーリ。貴女が悲しそうな顔をしていたら私も悲しくなっちゃうわ」
マヤリィはいつまでも悲しげな表情を変えないルーリを見て、不思議そうな顔をする。
「一体どうしたの?私の髪に何かついてる?髪の毛って、触ってると早く伸びるらしいわよ」
本当か嘘か知らないが、マヤリィは言う。
そして、自身も悲しそうな顔になり、
「ルーリ、私ね…」
遠い目をして、マヤリィは言う。
「…本当は、怖いのよ。私の髪があっという間に伸びて、ロングヘアに戻ってしまうのではないかって不安になる時があるの。…そんなこと、あるわけないのにね」
髪を触り続けるルーリの手に、マヤリィは自分の手を重ねる。随分と大きさが違う。
「どうして私はこうなのかしら。気付くと髪を切りたくて堪らなくなるの」
マヤリィは話しながら気分が沈んできたのか、切なげな表情になる。
「マヤリィ様…。貴女様はずっと抑圧されてきたのですね」
「えっ…?」
「あのお美しい御髪を切る為に、ヘアドネーションという手段を用いられたのは、貴女様の優しさゆえの選択だったのでございますね…」
「なっ…」
言ってはいけない。触れてはいけない。
それが分かっているのに、ルーリの言葉は止まらなかった。
「あ、貴女が…どうしてそれを知ってるの…?」
マヤリィは動揺する。
「どうして…」
マヤリィは狼狽える。
「元の世界の話なのに…」
そう言って胸を押さえる。動悸がする。
「なぜ、あの日のことを……」
過呼吸を起こしそうだ。
マヤリィは必死で呼吸を整える。
(大丈夫。あれは遠い過去の話……)
そして、落ち着きを取り戻そうとしながら、
「…そうよ。私は、確実にショートヘアになる為に、髪を寄付するという方法を選んだの。だって、私はずっと髪を切ることを禁じられてきたのよ?お前の髪は綺麗だからと言われて、女の子らしい長い髪でいるべきだと言われて、平成の世に生まれながら髪型を変えることを許されず、美容院にさえ行かせてもらえなかった。…なまじ綺麗な髪を持って生まれたせいで、姉さんからは妬まれたしね。…私だって、最初からこんなに短くしたかったわけじゃない。ただ、同じ年頃の女の子達と同じように、メイクをして、綺麗な洋服を着て、可愛い髪型にしたかっただけなのに…。それの何がいけないと言うの?どうして私はこんな風になっちゃったの?…全ては家族に逆らえなかった私のせいよね。何度も自分で鋏を握ったわ。でも、家を追い出されれば生きてはいけないという現実が私に断髪を思い留まらせた。なのに、リストカットはやめられなかった。今考えれば馬鹿な話よね。…そしてしばらく経って、ようやく私は気付いたの。私は化粧より、洋服より、髪を切ることに固執してるって、やっと気付いたの。それなら、髪を切って死のうと思ったわ。…なのに、どうして私はヘアドネーションなんて方法を選んだのかしら。偽善者もいいところよ。寄付などと言って自分の願いを叶える為に利用したのだから。…私、髪ごときでこんなに苦しい思いをするのなら、女に生まれたくなかったわ。化粧をすることも許されない。着飾ることも許されない。女に生まれた喜びを知ることの出来ない人生を送ってきた。一体、私の何がいけなかったのかしら?逆らうべきだった?無理してでも家を出るべきだった?…いずれにせよ、結局は自分が全部悪いのよね。分かってるわ。分かってるけど……」
マヤリィは唇を噛みしめる。
「全部分かってるけど…。もう、どうしようもないの……」
落ち着きを取り戻そうとしたはずが、マヤリィは余計取り乱してしまった。
長い長い台詞を言い終えた後、
「貴女がなぜ私の過去を知ってしまったかは聞かないわ。…取り乱してごめんなさいね」
マヤリィはルーリから顔を背けるが、後ろを向いていても涙を流しているのが分かる。
「私だって、最初からこんなに短くしたかったわけじゃない。もっと可愛い髪型にして、可愛い洋服を着てみたかった…。あまりにも些末で馬鹿馬鹿しい、小娘の願い事よ…」
独り言のように呟くのは、自分の願い全てを嘲笑う、悲しい言葉。
「元の世界に戻ったら、今度こそ私は死ぬわ」
そう言って笑い始める。
「どうやって死のうかしら。確実に死ねる方法を考えておかなければいけないわね。ふふっ」
マヤリィの心は壊れている。笑っているが、こぼれ落ちる涙は止まらない。
「マヤリィ様…」
やっとのことでルーリが声を出す。
「マヤリィ様、私のせいで、貴女様のつらい記憶を呼び起こしてしまいましたことを後悔しております。本当に申し訳ございません」
ルーリはそう言って跪くと、深く頭を下げる。しかし、それ以上は何も言えない。かける言葉が見つからない。
マヤリィは振り向きもせず、無言のまま。
その時、ドアをノックする者がいた。
「…姫、僕です。いらっしゃいますか?」
「ジェイ……!」
マヤリィはぱっと立ち上がると、一目散にドアに駆け寄り、勢いよく開ける。
「姫…!どうしたんですか…!?」
涙に濡れた瞳でジェイを見つめたかと思うとすぐに彼に抱きつくマヤリィ。
「…ルーリ。一体何があったの?君は姫に何を言ったの?……答えろ」
マヤリィの様子を見て全てを悟ったジェイはルーリを睨む。
いつになく怖い表情のジェイを見て、ルーリは跪く。
「マヤリィ様の…つらい記憶を呼び起こしてしまいました。私は…どうしたら…」
ジェイはそれを聞きながら、マヤリィを抱きしめる。姫がこんなにも取り乱し、泣いている所を見ると、何を話していたのかだいたい見当がつく。どうやら地雷を踏んだらしい。絶対に許されない領域に入ったらしい。
(ルーリ…まさか君がやらかすとは…)
ジェイは思いがけないルーリの失態に、言葉を失う。姫はジェイに抱きついたまま、泣き続けている。
(愛する人の言葉に傷付くのは何よりつらい)
ジェイは思う。些細な言葉ほど心に深く刺さることがある。愛する人が踏んだ地雷は簡単に姫の心を爆破し、絶望へと突き落とす。
「どうか、お願い致します。マヤリィ様を苦しめてしまった罰を、私に与えて下さいませ」
ルーリはその場にひれ伏す。
「貴女様の苦しみを理解することも出来ず、衣装部屋に出入りしていた、この愚かなサキュバスを罰して下さいませ」
(そういえば、姫はこれまで、可愛らしい服を着たことも、化粧をしたこともなかった…)
流転の國に来てからの姫を思い出す。
(ここでなら全てが叶うのに…。もう、諦めてしまわれていたのですか、姫…。どうして僕は気付けなかったのか…)
ここは流転の國。姫の願いは全て叶う場所のはずだった。…ただ、彼女が昔の願いを持ち続けていれば、の話だが…。
「貴女に、どんな罰を与えろと言うの…?」
ようやくジェイから離れると、マヤリィは落ち着いた声で話し始める。
ルーリは頭を下げたまま、主の言葉を待つ。
「私はもう変われない。遠い昔に憧れた可愛い洋服も綺麗な化粧品も全て諦めたわ。それなのに、未練たらしく貴女の前で取り乱してしまった。…貴女は自分の部屋に戻りなさい。罰せられるようなことは何もしていないわ」
「しかし…!マヤリィ様…!」
「長々とつまらない話を聞かせてしまってごめんなさいね。どうか許して頂戴」
そう言うと、ルーリの返事も聞かずにマヤリィは指を鳴らす。その直後、ルーリは自分の部屋の前に『転移』させられていた。
(マヤリィ様…)
罪悪感の波が押し寄せる。
「姫…」
ジェイが言葉をかけようとすると、
「言ったでしょう?私はもう変われないの。…ねぇ、お願い。今から私の髪を切って頂戴。昔、私をひととき救ってくれたように、この髪を短くして頂戴…ジェイ…」
姫はぽろぽろと涙を流しながら懇願する。
「…分かりました。お任せ下さい」
ジェイはそう言うと、すぐに準備を始めた。
「貴女にはベリーショートがよく似合います。美しく可愛らしいお顔を長い髪で隠してしまうなんて勿体ない。…綺麗なうなじは僕だけのものにしておきたいですが、やはり隠しておくのは勿体ない。額も、耳も、うなじも、丸出しにしますよ。少し伸びても気にならないように、いつもより短くしましょう」
ジェイは自分の魔力を応用して、ヘアカットの技術を身に付けていた。人知れず努力した甲斐があって、今ではシェルにも劣らぬ腕前である。
それもこれも、全ては愛するマヤリィの為。
「…では、この後ろ髪をすっきりとバリカンで刈り上げてしまいましょう。覚悟はよろしいですか?容赦しませんよ」
ジェイがわざと悪戯っぽく笑う。
「ええ…。おもいっきり短くして頂戴。私が後悔するくらい、短く刈り上げて欲しい」
姫もようやくまともに話せるようになる。
ジェイは言葉通りに姫の髪を短く刈り上げる。彼女がロングヘアだった時代を知る者が見れば、悲鳴を上げそうな場面だ。
でも、ジェイは容赦なく姫の髪を刈る。
その後、鋏に持ち替えると、やはり容赦なく姫の髪を切っていく。
元々ベリーショートだったはずなのに、どんどん髪が床に散っていく。
「…ねぇ、もっと短くして」
姫が甘えるようにバリカンをねだる。
「分かりました」
ジェイは素直に姫の髪をさらに短く刈る。
「後ろ、すごいことになってない?うふふっ、風を感じるわ。スースーして、涼しい♪」
姫は嬉しそうに笑う。
(僕は貴女のその笑顔が見たかったんです…)
ジェイは姫が笑っているのを見て、自分も嬉しくなる。
「姫、ツーブロックもやりましょう」
そう言って、ジェイは姫のサイドの髪をアタッチメントなしで刈り上げた。
「気持ちいい。ザリザリする」
ベリーショートには慣れているはずなのに、ジェイに髪を切ってもらうのが嬉しくて、姫はドキドキする。気分が上がってきた。
「…いかがですか?」
ジェイが仕上がりを見せる。
鏡に映っている美少年の名はマヤリィ。
「ふふっ、気に入ったわ。男の子になった気分よ。…貴方より短いわね」
姫はすっかり短くなった自分の髪を触って、鏡を覗き込んで、嬉しそうに笑っている。
(男に生まれればよかった…とか考えているのかな…)
ジェイは姫の言葉に、少し複雑な感情を抱くが、すぐに気持ちを切り替えると、
「…実は、その髪型に合いそうな洋服を用意してあるんですが…」
「えっ…スーツじゃなくて?」
マヤリィさん、他に選択肢はないんですか?
「どこまでもボーイッシュに行きましょう」
そう言ってジェイが取り出したのは、オーバーサイズのパーカーとジーンズとスニーカーだった。ジェイはさっさと着替えさせる。
「その辺にいそうな、可愛い顔した男子高校生みたいですよ」
その辺がどこなのかは二人にしか分からないだろうが、ジェイの言う通りだった。
「高校生って…。私はもう三十……」
マヤリィはその先を言わせてもらえなかった。
ジェイが彼女の言葉を遮ってキスをしたから。
「…私は、大丈夫よ…」
マヤリィは自分に言い聞かせるように呟く。
そして、
「少し、疲れたわ。横になっていい?」
「ベッドまでお連れしますよ」
ジェイは真顔でそう言うと、マヤリィを軽々と抱き上げ、ベッドまで連れてゆく。
「ありがとう、ジェイ…」
マヤリィは微笑む。
「私を分かってくれるのは、貴方だけね…」
そう呟いたかと思うと、疲れきったマヤリィはそのまま眠ってしまった。
「マヤリィ様…貴女の遠い昔の願いは、本当に全て諦めてしまわれたのですか…?」
可愛い洋服。綺麗な化粧品。
他にも、きっと色々あったのだろう。
「今から聞いてみた所で、貴女を傷付けてしまうだけかもしれませんね…」
ジェイは可愛らしい寝顔を見ながら、切ない気分になる。
「どうか、良い夢を見て下さい」
マヤリィは死んだように眠っている。
「愛するマヤリィ様…。僕はここにいますよ。貴女の傍を離れたくない」
そうささやくと、眠っているマヤリィの隣に横たわり、
「貴女を一番愛しているのは僕だよ、真綾……」
自分でも気付かないうちに姫を日本名で呼ぶ。
「おやすみ…」
まもなくジェイも眠りに落ちた。
流転の國に顕現した時点で名前も流転の國仕様に変化しているので、マヤリィもジェイも元の世界(現代日本)にいた頃の名前そのままではありません。
ルーリの見た夢に出てきた名前、そしてジェイが無意識に呼んだ名前が、マヤリィの本名です。
ジェイの本名は…出てくるのかな。




