第1話
『流転の國』闇堕ち編の始まりです。
(ここは…どこだろう?)
気付けば、そこは街の大通り。
ルーリは辺りを見回す。見知らぬ街。
その時、前から女性が歩いてきた。
美しく長い黒髪が目を引く。腰に届く長さだというのに、傷みはなく毛先まで美しい。光を受けて艶々と輝く真っ直ぐなロングヘア。
(綺麗な髪だ…)
サラサラと風に靡く長い髪。その様子は息を呑むほど美しい。
ルーリは思わず見とれる。
「あの…何か?」
ルーリの視線が気になったのか、すれ違いざまに声をかけられる。
(しまった、見つめ過ぎたな…)
ルーリは反省しつつも素直に、
「申し訳ありません。その…貴女の御髪があまりに綺麗で…見とれてしまいました」
と言いながら女性の顔を見ると…。
(マ、マヤリィ様!?)
目の前に立っているのは紛れもなくマヤリィだった。気高くお美しいご主人様。ルーリがその顔を見間違えるはずはない。
しかし、
「ありがとうございます。…では」
彼女は会釈すると、そのまま行ってしまった。
(確かに、マヤリィ様だった…。髪型が違うだけで、確かにマヤリィ様だった)
だとするなら、なぜルーリに対して見知らぬ他人のような態度を取ったのだろう…。
(まさか、ここは違う次元…)
見知らぬ街。見知らぬ道。見知らぬ通行人。
そして、美しく長い髪をしているご主人様。
(マヤリィ様はこれから一体どこへ…?)
怪しまれないよう距離を保ちながら、ルーリはマヤリィの後ろ姿を追っていく。
(それにしても、マヤリィ様のロングヘア姿を見ることになろうとは…)
ため息が出るほど美しいロングヘアを目の当たりにして、ルーリは困惑していた。
(長い髪のマヤリィ様、お美しい…)
そのまま後ろを歩いていくと、マヤリィは建物の中に入ってしまった。
(これ以上ついていくのはまずいよな…。それにしても、ここは…?)
建物の入口の看板を見る。見知らぬ文字なのに、なぜか読むことが出来る。
「メニュー。…カット5000円、カラー…」
(こ、ここはまさか…!ヘアメイク部屋…?)
そこは、美容院だった。そっと中を見ると、確かにヘアメイク部屋に似ているが、広さは倍以上もあり、幾つもの椅子が並んでいる。
その時、ドアが開く。
「瑠璃さん、遅かったじゃないですかー」
(誰?)
「待ってたんですよ、瑠璃さん」
(私の名前はルーリだが?)
「受付業務は12時からですよー」
(受付?私が?)
「お客様ももういらしてるんですから早くー」
(お客様って…マヤリィ様のことか…?)
間延びした口調で話す小柄なスタイリストがルーリを受付の椅子に座らせる。
「あら、貴女…」
待合席にいたマヤリィがルーリに気付く。
「ここの人だったのね」
「会ったことあるんですかー?」
「さっき、道ですれ違ったの。ああ、成程。だから…そうだったのね…」
マヤリィはいきなり髪を褒められたことを都合良く解釈したらしい。
「すみません…。あの、まだお名前を伺っておりませんでした…」
「真綾様ですよー。今日はカットのご予約を承っておりますー」
マヤリィの代わりにスタイリストが答える。
「今日はヘアドネーションとのことですね。…こんなに綺麗な髪の毛なら、すごく喜ばれると思いますよ」
奥から、別のスタイリストが現れる。
(へあどね…?ってなんだ…?)
「そうだ、瑠璃さんは初めて見るんじゃないですかー?ヘアドネーション」
「は、はい。それは、どのような…」
とりあえず話を合わせる。ここに引き込まれてしまった以上、そうするしかないとルーリは思った。
「つまりは髪の毛の寄付ですー。ほら、病気とかで髪が抜けてしまった子供達のウィッグを作る為の髪の毛をウィッグ製作団体に送るんですよー。人毛はとても貴重なんですー」
「こちらのお客様の髪はとても綺麗ですし、長さも十分です」
「本当に真綾様の髪は美しいですー。これだけ長さがあれば、切った後もそれなりの長さを残せると思いますよー」
(…成程。マヤリィ様は髪の毛を寄付される為にここに来た、となると…)
「規定では31cm。余裕を持って32cmあればOKですからねー。どうしますー?」
「そうですね、かなりの長さがありますから、セミロング…といったところでしょうか」
「あの…」
スタイリスト達の話にマヤリィが口を挟む。
「…私、出来る限り長く髪の毛を寄付したいのですが…」
それを聞いてスタイリストは驚きながら、
「出来る限り…と仰いますと、ショートになってもよろしいのですかー?」
「ええ、今日はおもいきり短く切って頂こうと思って…ベリーショートにするつもりで来ました。女の子のウィッグを作るには、長い髪の毛の方が良いと聞きましたので」
(甘く柔らかく澄んだ声。優しく美しい微笑み。やはり、この御方はマヤリィ様…)
目の前にいるロングヘアのマヤリィを見て、ルーリはため息をつきたくなる。
「ベリーショート…ですか。そんなにバッサリ切っちゃっていいんですか?」
「はい。短くして下さい」
(まさか…マヤリィ様の美しいロングヘアを見た後で断髪の様子を見なければならないとは)
美しい髪に何の未練もない様子で、マヤリィは微笑んでいる。
長い髪を幾つかの束に分けて、ゴムで結ぶ。その髪をゴムのすぐ上で切り、バラけないように一つにまとめて、ウィッグ制作団体に送るのだという。
「本当に、よろしいのですか?」
「ええ、バッサリ切っちゃって下さい」
マヤリィは笑顔で応じる。
「承知しました。…では」
スタイリストはそう言うと、耳の下あたりで結んだゴムの上に鋏を入れる。
一束、また一束と、マヤリィから長い髪が切り離されていく。あっという間に全ての束を切り落としてしまうと、不揃いなおかっぱ頭のマヤリィが鏡に映っていた。
「ふふっ。頭が軽くなった」
早くも彼女は喜んでいるが、ここからが本番。どんな注文をしたのか、横も後ろもみるみるうちに短くなってゆく。
それを見ているルーリは気が気ではない。
「マ…アヤ…様はどんな髪型に…?」
「ベリーショートにしたいと仰ってましたー。今までしたことのないような短い髪に」
「そ、そうなんですか…」
「びっくりしますよねー。私もまさかベリショになさるなんて思ってませんでしたよー」
ベリーショート以外のマヤリィを知らないルーリが見ても、彼女の綺麗な髪がどんどん断ち切られてゆく光景はショッキングだった。
(ああ、あんなに上まで…!)
マヤリィの髪がバリカンで刈られている。
見ていられない。なのに、目が離せない。
(…これが、マヤリィ様の願い…)
ルーリは流転の國で聞いたマヤリィの過去の話を思い出す。
スタイリストの声で、ルーリは我に返った。
「こんな感じで、いかがでしょうか?」
マヤリィに後ろ姿を見せている。
「わぁ、短い!頭が軽くなったし、首元が涼しい…!すごく気に入ったわ。ありがとう」
マヤリィは嬉しそうに頭を触っている。
そこにいたのは先程の美しいロングヘアの女性ではなく、短髪の美少年…。
後ろ髪は短く刈り上げられ、真ん中で分けた髪は耳の上で切られている。少し前まで長い髪だったのが信じられないくらいだ。
「さっぱりしたわ。私、刈り上げたの初めて」
「すごくお似合いです」
(いつものご主人様のお姿…。なのに、こんなに悲しいのはなぜだろう…)
「本気でベリショにするおつもりで来られたんですねー。ツーブロも似合ってますよー」
「ふふっ、ずっとやってみたかったの」
「すごいカッコイイですー!」
断髪を終えたマヤリィは嬉しそうにスタイリストと話している。
しばらく経って、
「瑠璃さん、お会計ー」
「はい!」
目の前に立っているマヤリィは喜びを隠しきれず、いつもの微笑みとは少し違う表情で、会計を待っている。
(貴女様がお幸せなら…私も幸せだとお誓い申し上げたのに…)
ルーリの手が勝手に仕事を始める。
(なのに、私は今こんなにも悲しい…)
お金を受け取り、お釣りを渡す。
(なぜ…)
ルーリは問いたかった。
(なぜ、貴女様はあのお美しい御髪を切ってしまわれたのでしょう…!?)
「ありがとう」
マヤリィはお釣りを受け取ると、小さな声で言う。
「…あのね、瑠璃さん」
「はっ、何でございましょうか?」
思わずいつもの調子で跪きそうになったが、ルーリの身体は動かない。
「貴女が私の髪を褒めてくれたのは嬉しかったけれど…私、もう伸ばさないかもしれない」
「えっ…」
「長い髪は、もう嫌なの」
ルーリにしか聞こえない声で言う。
そして、マヤリィは店を出ていった。
そこで意識は途切れた。
気が付くと、いつもの光景。
ここは流転の國。マヤリィの自室。
ルーリの傍らには心配そうな顔をした美女。
「マヤリィ様……」
「ルーリ、大丈夫?なんだか、悪い夢でも見ているような感じだったけれど…」
マヤリィはいつも通りの姿でそこにいる。
「…マヤリィ様、御髪は……」
「…?」
ルーリはマヤリィの髪を触る。
後頭部を刈り上げ、耳を丸出しにした、少年のように短い髪のご主人様。
「どうしたの、ルーリ?」
マヤリィは大人しく髪を触られている。
美しい瞳が心配そうにルーリを見ている。
「マヤリィ様…」
「…大丈夫よ、ルーリ。私ならここにいるわ」
そう言ってマヤリィはルーリを抱きしめた。
「さぁ、コーヒーでも飲みましょう」
いつも通りの朝が始まった…はずだった。
マヤリィが髪を切った時の描写が前作とは異なっていますが、最終的なヘアスタイルは変わりません。




