人間国家主義の形成
自分にとって4月30日はゴールデンウィークの始まりという点でこれまでにない歓喜を含んだ日となった。大学に入学して約1か月、起床、ラジオ体操、朝御飯、大学、バイト、帰宅、風呂、空き時間に課題という行動しか起こせなかった自分にとって長期の休みは、まさに枯れた地に雨が降り注いだかの如く歓喜のものである。
しかし、6日ある休みの中、完全なる休日と呼べるものは4月30日と5月1日のみであった。その他全てにバイトがねじ込まれているからである。私はその事に関して何も文句を言うつもりは毛頭もない。むしろ感謝申し上げるほどの勢いである。それは、人は国であるという思想を持っているからである。
大学卒業後まともに就職する気などさらさらない。人が自由に生きるためには時間、感情、金銭の3つが十分でなくてはならない。就職とは時間と感情を軽視する代わり金銭を提供してくれる偏った選択である。
ではなぜ大学生活を選んだのか、社会的モラトリアムを隠れ蓑に自身の富国強兵を目論んでいるからである。
人は国家であるという考え方は、理解されにくく説明しにくいことは当然理解している。雑に言えば人の集合体が国家であるならばその国家を分解すれば人となる点について人は国家と呼べるであろう。小遣い事情は、大きく言えば財政問題。友達関係は外交関係。人が普段考える事情を拡大したものが国家なのである。これを人間国家主義と呼ぶことにした。
そして私は将来を明るいものとするために、働かないために働くために、私を統制下に収めることにした。何もかもを自身の利益になることだけを優先し、財政は徹底的な緊縮と積極的な投資によって資産を形成しようと画策している。自身を国家と錯覚させることでこの前代未聞の思想は萌芽する。