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なんかもう異世界いきてぇ(後編)

喘息にはコーヒーが効く

「……やぁ、いらっしゃい。今日はまだアップルパイはできてないよ」


「それは残念です。でも今日は腹の調子が悪いんでコーヒーだけで」


 俺の行きつけの喫茶店。店名は、コーヒーは俺のダンディズム。

 

もう一度言う。コーヒーは俺のダンディズムだ。


 世界を救いそうなスニークミッションとか大泥棒3世の仲間をやってそうなやたら渋い声のマスターが入れてくれるコーヒーは、胃に優しく溶けていくような優しいほろ苦さと深い香りであり。また、マスターの奥さんが焼くアップルパイは柔らかな甘味と生地のサクサク感がたまらない。

 最初にここにきた時は営業帰りに少し休もうと寄ったことがきっかけだったのだが、それからなんだかんだと通い詰めるようになり。今ではマスターに顔を覚えられて会話をするくらいには常連になっていた。


「大丈夫かい?しかし、今日は早いね。いつもならお昼過ぎに来るのに」

「あー、あの。実はその。今日は会社をブッチしまして」


 社会人としてあるまじき行為に驚くかのように微かに目を見開くマスターに、まるで言い訳するかのように俺は現状を捲し立て説明する。

 今置かれている現状、こうなる前からあった理不尽なことやブラックなエピソードなどを交え、もうこのまま会社を辞めようと思っていることなど、まるで何かに責め立てられるかのように。


「だからあの、ですね……」


 "社会人として、大人としてどうなのだろうか"

 勢いでここにきてしまったが、なんだかんだと押し寄せてくる罪悪感と、情けなさ。

 "もっと頑張っている人もいるのに"

 そんな気持ちを込めた言い訳じみた一言一言をマスターは何も言わず聞いてくれたうえで、こう言った。


「君の人生だ。どんな決断であれ、君が選ぶのであればそれでいいんじゃないかい?」


 客と店主という関係とは言え、少し突き放されたように感じる。そんな甘えた考えが残る俺は一瞬たじろぐが、俺の目の前にそっとコーヒーをおきながら、マスターは続ける。


「なに、他人事のように聞こえるかもしれないけどね。人様にこうした方がいいなんて立派な生き方は私は送ってきていない。だからせめて言えることというだけなんだがね。理不尽なんてことは生きていればいつだって降りかかる。それを払うも受け入れるも、どっちも同じということだ」


「どっちも同じ、ですか?」


「そうだよ。逃げたって行き着くところには行き着くし、戦ったって行き着くところには行き着く。人生という辿る道は違うけど、退くも進むもどちらも同じなんだ。哲学的な話をするつもりはないが、そもそもそも大人とは?常識とは?ということもある。誰かがそれらを振りかざしたとして、君が決める選択。それは、本当に君が選びたいことなのかい?」


 答えられない俺に、マスターは目を細める。


「…それにね、老い先短いとね、思うんだよ。どんなに惨めな者であれ、立派な者であれ、最後に来るのは人生の終わりだ。なら、多少カッコ悪かろうが、人様に笑われようが、本心から君がこれでいいんだって言えれば、きっとそれでいいじゃないか」


「……」


「ここはまともなお説教をかますのが年寄りとしての責務なんだろうけどね」なんて言いながら笑うマスターをみながら、確かにまともな一般的な回答が来ると思っていたため面食らってしまう。

 マスターはそんな俺の目を見つめて、最後にこういった。


「……それにね、君。気がついてなかったろ?最近の君は」


 死を見ているようだった。

 そんな君にお説教なんてすることはできないさ、と。




「また来るといい。次は、笑顔でね」


「……はい!」


 あのあと。少ししんみりした空気になったものの、少しだけ心が軽くなった俺はマスターに礼を言って、店を出た。

 答えは、正直言って出てはいない。会社に電話する気もなく、スーツ姿のまま平日の街をぶらぶらと歩く。仕事以外でこの時間に出歩くのは久しぶりのため、なんだか新鮮な気持ちだった。


『さっきまでの体調不良も、少し休めってことだったのかな?なら、そうだな…』


 少しずつ、気力が戻ってきた俺はやりたいことや今後のことを冷静に考えながら、もう少しだけ足を伸ばしてみようと、普段行ったことのない道を進む。ずんずん進んで、もういっそこのまま異世界にでも行けねぇかなぁ、なんてアホなことを考えながら。まるで導かれるように軽い足取りで。


 どんどん足を進め、ついには夢を揺蕩うような感覚が起こる。

 でもなんだか楽しくなって、進んで進んで進んで進んで進んだ先に。


 そこに、鏡はあった。


「……?あれ?」


 ここはどこだろう?気がつかないうちに変なところに出ていたようだ。

 見渡せば灰色のコンクリートとは程遠い白いレンガの路地。まるで異国の裏通りのような場所、そこに姿見サイズの白と金で縁取られた豪奢な鏡がポツンと置いてある。


「やたら豪華な鏡だな。……高そうだな、これ」


 こんなところに置いておいたら誰かに盗まれちゃうぞ、と思いながらも、ふと気になって鏡を覗く。すると、鏡面には


「……え?」


 森が映っている。木々生い茂る深緑の森。勿論、俺の周りを見渡しても、そこには白いレンガの壁があるだけで森なんかない。だが、そこには明らかに森が映っている。


「映像でも映してるのか?面白い鏡だな。……ッ!?」


 もっと見てみよう、なんとなくそう思い鏡に顔を近づけた瞬間。


 キイィンキイィンキイィンと、耳鳴りが起き、また目眩がひどくなる。


「ぐっ、ずっ!?」


 朝よりもはるかにひどい。まるで立っていられない。足元が崩れるようだ。


「ずあっ?!」


 間抜けにも俺は鏡の方に倒れこむ。

 目眩を通り越して痛む頭の中、こんな高そうな鏡を万が一にでも割ったら絶対面倒なことになる!そう決死の思いで身を捻るが、まるで鏡に引き寄せられるかのように。抱き止められるかのように吸い寄せられ。

 

 意識が左右反転、ぐるんぐるんとまるでジェットコースターで回転しているかのような感覚と、そこから放り出されて空を飛ぶかのような感覚を超えた先。


「…………えっ?」


 俺は、気がつけば深い森の中に立っていたのだった。









「行ったか…」

「ええ」


 響也が消えた白いレンガの通り、その鏡の前。そこに現れた2人の男女が、漸く果たされた悲願を果たしたかのような、それとも何かを憂うような、そんな表情で見守っていたこと。

 

それを知るものは、誰も居ない。



異世界編スタート。真面目な話はしばらくおやすみでぇ!

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