なんかもう異世界行きてぇ(前編)
仕事?しゃらくせぇ!体調不良なら休みやがれべらぼうめ!
……pipipipipi!
そんなけたたましい音で、意識が浮上する。
とはいっても未だ瞼は閉じており、体はもっと寝かせろと頭に訴えかけて来る。更にはどうにかこうにか起きずに済む方法を、ふとした勢いで薄れ飛んでいきそうな意識を必死の思いで繋ぎ止めながら頭の中で模索する。
……だが結局、見つからずにむくりと体を起こし、けたたましい音の元凶(目覚まし)を止める事に成功した。
繁忙期と重なって疲れも取れない上にろくに眠れず、休日には休み?そんなの知らないよとばかりの仕事の電話が来る。
それが俺、逆鏡響也の日常だった。
「……だるい。というかこの案件ってカエルの不始末だろうになんで俺が」
這い出るように布団から出て、歯を磨いて身だしなみを整えたあと。ブツクサと文句が口から溢れながらも、今日の午前から行う会議で使う資料を確認、チェックし、問題がないことを確認。配給されているパソコンやら何やらをカバンに詰め、家を出る。
時計を見るとまだ朝の6時。本来の出社時間は9時半からであり、二十分もあれば職場には着くのだが、とある事情により最近は早めの出社が続いていた。
「そろそろ転職するか……」
そう呟くことはや数年、ルーティンになってしまったかのような無意味なつぶやきが空に消える中、俺はまだ人が少ない通りを歩いて行く。
そもそものとある事情の始まりは、うちの部署の上司のミスだった。
顔がカエルに似ているため内心カエル野郎と呼んでいる上司が大事な商談でポカをやらかし、そのせいでいくつかの案件の進捗に遅れが出たのだ。
とはいえ、うちの部署はそこそこ結束力が固く、普通なら誰かのミスに対しては困った時はお互い様だしな、となるのだが。
問題なのはこの上司、普段は頼りになる上司だったり、人徳者だったりするならまだしも、セクハラ発言パワハラまがいは当たり前、コネ入社で仕事ができないという曲者のため、これを機にやってられるかと人材が短期間で2人飛ぶという二次被害が発生。
更には人材2人が欠けることにより起きた過密スケジュールの結果、他にもポカを起こす者が現れるという三次被害が発生し、ついに飛び火はボヤではすまなくなり。
結果として部署全体の仕事の進捗にすら遅れが出た挙句、最悪なことに繁忙期と重なったためスケジュールはストレスマックス。
もうこれなら早朝出社してやれることやった方が楽、という話が出てしまい。
まともな会社ならありえないのだろうが、ワンマン社長曰く。
『みんなで仲良くなんとかしよう⭐︎あ、この件の残業代はだせないけど、これ労基署には内緒ね⭐︎』という超絶アホアホ決定によりここ一ヶ月はろくに休めないほど労働に勤しんでいる。
はっ倒してやろうかマジで。
「とはいっても、上司と社長をぶん殴るとこっちが悪くなるし。でも給料は悪くはないし。てか、そもそもぶん殴るのは社会人としてどうよ……」
割と危険な思想に染まりそうになりつつも、一歩一歩重たい足を引きずって駅への道を歩く。
だが、駅へあと100メートルもないところまできたところでふと、視界が揺れるのを感じ、立ち止まる。更にはキィーンという耳鳴りまでなり始めたため、どうやら体調がおかしくなってきているようだ。
「っ!ま、まあまだ時間は早いんだし。ゆっくり歩いていけばいっ…か?」
そこで俺は気がついた。おかしい、さっき時間を見た時は6時少し回ったくらいだったのに。
「……8時、半?」
え、うそ、まじで?
内心焦りながらも時計がずれたのかと思い、スマホを手に取るがそこも。
「8時3…あ、31分になった」
俺はワンルームの事故物件ではあるが割と駅近に住んでいる。ここまで普段ならゆっくり歩いても5分の距離だ。更には電車から降り、歩いて10分もないところに会社があるため、2時間もすぎているわけがない。
内心、ついにおかしくなったかと少しばかり焦りつつ周りを見渡すと、やはり違和感。
「この時間なのに、人がいない……?」
平日の朝、駅近くに人っ子1人いない。ど田舎の駅ならわかるが、ここは一応都内だ。
空気は神社の境内にいるように厳かで、静か。こんなの、普段ならありえない。
「どういうことだ?なんで?」
疑問を覚えるのと同時に、急な腹痛。
ズキズキ、ジンジンと痛み、今すぐにでもトイレへ行かなければ間に合わないだろう。
俺は異常な状態の周りをさておき、駅のトイレへと駆け出した。
「……やばかった。人生史上1〜2を争う痛みだった。どっか、やっぱおかしいんじゃねぇか?」
ふらつきながらも脂汗を拭い、やっとこさトイレから出られたのは時計を見ると9時すぎの頃。
今から電車に乗って行って、走ったとして出社ギリギリの時間だ。
早朝にやりたかった仕事ができなかったのは致し方ないとして、出社時間に間に合わないのは流石にまずい。とはいえ、だ。
「ぐっ、なん、だこれ」
キィーンという音が強くなっている。目眩が強くなり、立っていられない。
さっきの腹痛なんて目じゃないほどの強烈な不快感。
ずり落ちそうな体をトイレの洗面台にもたれるようにして支え、意識を保つ。
だが不思議なことに、目眩が治るに連れて徐々に世界が騒がしく感じられるようになってきた。
まるで、ラジオのボリュームを上げるかのように徐々に、しかし大きく。
「……しもし?あのぉ、大丈夫っすか?」
ふと気がつけばニット帽を被った青年がそばにおり、俺に声をかけてくれていたようだ。
さっきまで人の気配を感じなかったため、急に現れたかのようなその青年に驚き、俺は素っ頓狂な声を上げた。
「だっ大丈夫っす!!じゃなくて!すみません。ありがとう、大丈夫だから」
ははは、と笑う俺に対し、怪訝な面持ちをしながらも離れていく青年を見て、俺は覚悟を決めた。
「……よし、会社に電話しよう」
もうどんなに急いだって間に合わない。そう判断した俺はいっそ清々しい気持ちでトイレの鏡で髪型を整え、電話を手に取る。
プププと呼び出し音が鳴り、3コールで繋がった。
『あ、逆鏡くんかい?いまどこ?もうみんな来てるんだけど』
いつもは君が一番早くにきてるのに珍しいねぇとヘラヘラ電話口で笑うのは俺がカエルと読んでいるボケ上司、蝦蟇口だ。
「いえあの、ちょっと出社の件についてご報告があるのですが……」
内心、早く行ってんのはテメェのポカの余波だろうがとか、なんであんなミスしてんのにあんたはなんのお咎めもないんだとか、世の不条理に対してボロクソ述べるが。
あくまでも声は冷静に。勤めて冷静を保って話を続ける。
朝からの体調不良や、目眩の影響なのか時間が飛んでしまうほどのため病院に行って遅れて行くか、可能であれば休ませて欲しいこと。
ついでに言えば今日持っていくはずの書類はあくまでも印刷したものであり、データとしてはいま持っているPCの中にあるため、最悪俺が直接持っていかなくても蝦蟇口のパソコンに転送可能であり、注釈がついている上に同部署の別の者でも会議の進行は務まることを子供でもわかるように伝えた。
伝えた、のだが。
『えー、ぼくは君にお願いしたいんだよなぁ。君以外だとどうにもあれ以来頼みにくいしぃ。というか、少し休めば君なら這ってでも来れるよね?』
……は?
『そもそも資料だけ渡されても今日の会議の内容なんてわかんないよぉ。あれ、僕の案件だったかもしれないけどもう君のでいいからさぁ』
………
『ね?だからお願い。絶対来てね?ね!?逆鏡く』
プッ
ツーツーツー
切った。というか切れた。俺の中の何かが。
「……喫茶店行こ」
俺はとにかく休みたいの一心と、とりあえず落ち着いて退職届を書き出すため行きつけの喫茶店を目指すのだった。
あ、異世界は次回から