荒廃したこの大地で、僕は天使を見つけた 6
月面基地、セリニ・ヴァシへと潜入したヴァスコード。足を踏み入れた瞬間に発見され、防衛機構に追い掛け回される事を覚悟していたが、不思議な事にその気配はない。ポッドの発着場から基地内部へと潜入し、真っ白な廊下へと。やはりそこは不自然なほど静かだった。空調の音が妙に大きく聞こえる程。ここに人の気配という物は一切ない。
ヴァスコードは自身の上司、マクティベルより齎された情報を整理する。今現在、ここにはアナニエルの社員が入り込んでおり、月面基地を乗っ取ろうと画策しているとのこと。勿論、月面基地とて軍事施設だ。一人や二人でジャック出来る程の規模ではない。いくら警備が手薄とはいえ、ここのシステムを掌握するためには人手が居る筈だ。
警戒しつつ、真っ白な壁の廊下を進み続けるヴァスコード。すると目の前に目立つ赤色が。それは血だ。まるで道を示すかのように多量の血が。出血しながら、何かから逃げるように這ったような跡。それを追いかけると、その主が倒れていた。息を確かめるがすでに事切れている。
そのうつ伏せの死体を起こす。作業服姿の人間。胸元にはアナニエルの社員であることを示すエンブレムが。これからこの基地をジャックしようとしている人間が、所属がまるわかりの服装。つまりアナニエルは、この基地が全く機能していない事を知っていたという事になる。監視カメラは各種センサー、防衛機構がまるで働いていない事を事前に知っていたのだ。だからこそ堂々と専門分野の現役社員が送り込まれた。
社員はまったく武装らしき物を所持していない。そして致命傷となったのは肩から斜めに走る、長物で切り裂かれたような傷。その傷を見てヴァスコードがまっさきに連想したのは日本刀。
「……侍でも居るんですか、この基地には」
侍、と口にして悪寒が走った。ヴァスコードは知っている、世界大戦で刀を使って戦っている馬鹿みたいなAIを。そしてそのAIはこの月面基地に来ようとしていた。合言葉が分からなくて、いや、言えなくて断念したようだが。
そのAIとは正宗。ソフィアの十五人の子供達の中では、最も戦闘用に特化した化物。ヴァスコードも戦闘用としてアス重工に開発されたが、正宗はソフィアが直々に手を施したAIだ。その未知の技術で作られたAIはもう一体居る。それは正宗と同格とされながらも、ウィルスに侵された時雨というAI。彼女はライトニングとヴァスコードが共闘して初めて破壊出来た。
しかし、そのどちらも月面基地に居るはずが無い。正宗は断念し、時雨はもう居ない。ヴァスコードはあの二人以外に、刀を使う奴など居るのかと思うが、よく考えれば凶器がそれだと決まったわけでは無い。刃渡り二十センチあれば十分にこの傷はつける事は出来る。問題は何故殺されたかだ。
「アナニエル以外に……誰かが入り込んでいる……」
それはもう一つの三大企業、レクセクォーツの可能性が最も高い……が、ライトニングを使えば人を送り込むまでもない。ハッキングに特化した軍事AIならば、地球に居ながら月の基地を掌握できるだろう。中継となる人工衛星も一応は生きている。この基地と地球はすくなくとも交信出来ているのだから、ライトニングならば数分で乗ってしまう筈だ。
ならば誰が? と振り出しに戻った時、そもそもこの基地には何がある? とヴァスコードは気づいた。ここにはサラが居る。だからと言ってサラが人を殺せるとは思えない。しかしなんらかの事情で防衛機構が死んでおり、そこに現れた侵入者を排除するために何かをしたとしたら。
「何か……何かって……」
単純に嫌な予感がした。ソフィアがサラを末っ子として設定し、あえて人間として認識させて放浪させていた。それは戦闘を可能な限り避けさせるためだと推測できる。ならば何故そんなことをする必要があったのか。思えば、サラは生きている電子機器の場所を特定できる能力を持っていたのだ、それもソフィアが与えた物だったとしたら……
「まさか……サラの役目は……私達を回収するため……?」
だとしたら不味い。嫌な予感しかない。時雨を破壊したのはあの遊園地。そこにサラも来ていた。無意識のうちに、時雨のデータを回収していたとしたら。
「そういえば……時雨は歌を……。あの時サラは、無線機から歌が聞こえたとか……」
その時、物音がした。かすかな金属音。そしてそれは近づいてきている。
警戒するヴァスコード。その音がする方へと視線を向け続ける。すると足の先が現れた。
それを視認した瞬間だった。後方から突如現れた義体にヴァスコードは襲われる。それは刀を持つ義体。着物を着せられ、不気味なほどに無表情な真っ白な肌の、まるで等身大の日本人形。
大振りのそれを寸での所で避けるヴァスコード。避ける事が出来たのは偶然だった。音もなく近づいてくる襲撃者は、恐ろしい程に足音という物がしない。ヴァスコードの戦闘用としてのスペックが、後方からくる攻撃に無意識に反応した。触感、空気の流れ、かすかな物音、それらすべてを統合したうえでの反応速度。
「……っ! 時雨?」
その日本人形に時雨の面影など微塵もない。しかし何故かヴァスコードはそう思ってしまった。人間的に言えば、勘としか言いようがない。だがセンサーや数値では測れない所で、ヴァスコードはそれが時雨だと感じとった。
そして先ほど足の先だけ見せた義体を姿を現した。それも同じく着物を来た日本人形のような義体。一瞬、時雨が二体いるならば絶望的だと感じるが、その人形のスペックは家庭用メイド型に毛が生えた程度の物だとヴァスコードは解析する。いつもならば容赦なく破壊するが、何故か躊躇してしまうヴァスコード。時雨を破壊した時も、ライトニングが居なければ逆の結果になっていただろう。ウィルスに侵された時雨を最終的に破壊したのはライトニング。ヴァスコードは出来る事ならば救いたいと願っていた。
「時雨……貴方は……」
時雨は長い髪が印象的な女性型のロボットだった。正宗のように唐変木な性格ではなく、感情豊かで子供が好きな、とても戦闘用とは思えない程の笑顔が絶えないAIだった。
だがウィルスに侵された時雨は、遊園地に避難していた人間を虐殺していった。泣きながら、感情が苦しいと叫びながら、かつて共に生きようと誓った人間ですら、その手にかけた。
兄弟の中で正宗に次ぐスペックを持つ戦闘用のAI。しかしその本性はただただ優しい姉。そんな姉がウィルス一つで豹変した。ヴァスコードが暴走するAIを容赦なく破壊するのは、彼女の存在が大きいかもしれない。
ヴァスコードは再び襲い掛かる時雨の刀を白刃取りし、そのままぶん回して強烈な回し蹴りで頭部を吹き飛ばした。ないはずの心が痛む。いや、ある筈だ。AIにも、心と呼べる部分はきっとある筈だ。
「生き残っているアナニエルの社員を見つけて……サラの居場所を……」
ヴァスコードに月面基地内のシステムをどうこうする事は出来ない。何をするにも認証が居る。アナニエルの社員はそれを持っているか、もしくは無くても掌握する術を知っているか。どちらにしても生き残っている者を見つけなければならない。
そのまま奪った刀を片手に携えながら、ヴァスコードは残った日本人形も両断する。そしてこの狂った戦争を終わらせるために走り出した。
※
僕にとっての姉、と言われても実感がわかなかった。それはラスティなも同じだけど、彼女とは既にこれでもかというくらい言葉を交わしているからだろうか。なんとなく、この人は本当に姉かもしれない、という所までは思えていた。
ピクリとも動かない、下半身が馬のロボット。ラスティナはその首元に触れて、何やら解析しているようだった。
「……この子の記憶媒体が無い……? ウィルスにそれを消去するなんて話は……」
「ど、どうしたの……ラスティナお姉ちゃん……」
「何怯えてんのよ。もしかしてライトニングが奪って……いやいや、そんな事する必要なんて……」
記憶媒体……もしかしてそれは……
「それって、魂みたいな物?」
「端的に言えばね」
「それがあれば……カノンも復活したり?」
「……したとしても、それはもうカノンじゃないわ。記憶をコピーしただけでその人になれるなら、私は自分を何体も作るもの」
記憶を引き継いでいるなら……それは本人じゃないのか?
僕達AIは記憶媒体さえあれば復活できる。現に僕の本体は月面基地にある筈だ。そしてここにいる僕は、そのコピー。なら僕は一体……
「……サラ、また変な事考えてるでしょ」
「僕は僕じゃないの?」
「あんたはサラよ。少なくとも、私にとってはね」
いいつつラスティナはカノンの頭部を膝枕するように。そのまま僕の手を引いてカノンの顔に触れさせてくる。
「サラ、魂があるかどうかなんて知らないし、私は興味もない。でもあるとしたら、それは本人に宿るんじゃなくて……他人にあるのよ」
「よくわかんないんだけど……」
「ある人が、自分の恋人を亡くして……その恋人を復活させようと記憶だけを別の義体に移して、その後もその義体と一緒に幸せに暮らしてたとしたら……サラはどう感じる?」
いや、さっきのラスティナの発言からして……その恋人はもう別の物なんでしょう? それなら僕だって……
「私はそれを否定する気はないわ。認めないけど」
「それ、否定してない?」
「記憶をコピーして、それが本人かどうかなんて、その人が決めればいい事よ。AIを作った人間なら、それは確実に本人だって思うでしょうね。でも違う……いくら全部が全部コピーしたところで、所詮はコピー。死んだ恋人は復活しないし、それはAIも一緒よ」
「……魂が他人にあるってのは……どういう事?」
魂は本人に宿るのではなく、他人に宿る。ラスティナはさっきそう言った。僕の月面基地に保存されている資料を全て開示しても、その答えは出てこない。
「私はサラがサラだって認識してる。たとえ貴方がサラのコピーだったとしても、私にとっては貴方がサラよ。それこそ、人間的に言えば魂はサラってことになるわね」
「さっきから言ってる事が矛盾してる気がするんですけども……」
「そりゃ、厳密に言えばコピーかもしれない。でもそれをどう捉えるかは私次第ってことよ。たとえサラが自分の事を偽物だと思ってても、私は今ここにいるサラこそが本物だって思ってる。魂があるとすれば、サラ本人の記憶や認識じゃなくて、他人がどう捉えたか……接してきた人の数だけ魂があるって思わない?」
「僕の魂は……他人が持ってるってこと?」
「ヴァスコードも、私も、そしてカノンも、みんなそれぞれサラを知ってる。少なくとも私達は、貴方がサラだって認識してる。たとえ貴方が偽物でも、私達の中で育ったサラの魂は不滅よ。だって、私達はAIなんだから。人間みたいに自動で消去する機能なんてないんだから、自分でゴミ箱に捨てない限りは残ってるわ」
ラスティナの言葉を全部が全部、納得して理解したわけじゃない。
でもその言葉で何故か僕は楽になった。そうか、そういう考え方もあるのか……くらいにしか思えないけど、どこか救われたような気がする。
「……ラスティナ、カノンの魂は……今からでも間に合う?」
「もちろん……教えてあげる。この子がどんな子だったか……」
それからしばらく、ラスティナからカノンの話を詳しく聞いた。ラスティナに涙腺機能なんて無いのに、何故か泣いているように見えた。こんな時に涙を流せたらいいのに、と思ってしまった僕は……一体何者なんだろう。人間とAIの間を行ったり来たり。
でも、ラスティナの話を聞いて僕の中に宿ったカノンの魂は……とても暖かい感じがした。
一見、恐ろしい兵器をぶん回す戦闘用だけど、その本質は人間と何も変わらない。素直にそう……感じた。
※
それから人間の風習に乗っ取って、カノンのお墓を作った。僕も人間の集落に居た頃、何度かお墓を作るのは手伝った事がある。
「さて……と。これからどうしよっか」
「……ねえ、ラスティナ、カノンを破壊した……なんだっけ、なんとかってAI」
「ライトニング? あぁ、軍事AIよ。レクセクォーツが開発した我らが母上様の妹君よ」
「軍事AI……」
軍事AIは全部で三体。三大企業がそれぞれ作り上げたハイスペックな……
「あれ?」
「どうしたの」
「……ライトニングが軍事AIってことは……ソフィアもそうなの? だって、姉妹機なんだよね?」
「厳密に言えば違うわ。ソフィアはあくまで限りなく人間の感情を再現させようと開発されたAIだし。それを軍事用に転用させたのがライトニング。もう滅茶苦茶よ。なんでソフィアのコピーをよりにもよってあんなふうに……」
「ライトニングの目的は何? 兄弟達を破壊して回ってるのに、ヴァスコードを使ってウィルスのワクチン作ったり……それに僕にヴァスコードを見つけさせて一緒に旅させたり……」
「さあね、あんなトンチキな奴の考えなんて……って、あんた、今なんて……」
「ん? ヴァスコードと一緒に旅を……」
「違う、その前!」
あぁ、ヴァスコードの解析能力を使ってウィルスのワクチンを……
「何よその話。初めて聞いたわよ!」
「え? 言わなかったっけ?」
「ちょっと待って! ヴァスコードはワクチンを完成させたの?」
まあ、ライトニングが破壊しなかったってことは……そうなのかな。
僕が迎えに行った時点で、ライトニングの目的は果たせてたってことだと思うし。
「うん、まあ」
「なんかいまいち信用にかける返事ね……。だったらヴァスコードを使って……今の現状を一気に解決出来るんじゃ……。というか、サラならすぐにそれダウンロードできるでしょ! ほらしなさい! 今しなさい! すぐしなさい!」
うわぁ! 胸倉つかんで脅してくる! なんかデジャブなんですけど!
「ちょ、ちょっとまって! ヴァスコード探すから……って、あれ?」
「どうしたのよ」
「……いない」
「いない?」
いない。本当に居ない。ヴァスコードと僕が居たあの避難所から、半径数百キロ圏内を検索してもヴァスコードは居ない。月面基地の故障? いやいや、カノンは正確に補足出来てたんだ、ヴァスコードだって……。
もっと、もっと広く……可能な限り広範囲で検索を……。でもどれだけ範囲を広げても、月面基地はヴァスコードを発見することは……ん?
「……いた」
「どこ?」
これってもしかして……いや、嘘でしょ? どうやって?
「どこなのよ」
「……月」
「ん?」
「ヴァスコード……月面基地に居る……」
※
ヴァスコードは何故か月面基地に居る。その事を知った僕達は、月面基地へ向かう術を探すべく……と言っても何処に行けばいいのかなんて、僕が調べればあっという間に答えは出た。三大企業の軍事施設のロケットなんて貸してくれないだろうから、可能性があるとすれば……ここしかない。ここからヴァスコードは月へ行ったんだ。
「分かった?」
「……うん。廃棄されたロケット発射場みたい。でも密かに整備されてたみたいで……」
「良く落ちなかったわね……。でもその施設からまた月に行くのはたぶん無理ね」
なんで?
「燃料がそんなにあるわけないじゃない。たぶん一回分、ぎりぎり残ってて、それをいざという時に使おうと確保してたんでしょ。その施設に誰が居るか知らないけど、ロケットの整備なんて数人で出来るようなもんじゃないから、ほぼ失敗を覚悟の上で飛んだんでしょうね」
「失敗を覚悟の上って……。なんでヴァスコードはそんな危険まで冒して……」
「愛しのサラ君に会いに行くためじゃない? サラだってヴァスコードヴァスコードって泣いてたじゃない」
な、ないてないもん!
「とにもかくにも、ヴァスコードがワクチンを持ってるなら……なんとかして手に入れたいけど。あの子が月面基地の何処ぞの端末にアクセスしたら、サラなら解析出来るんじゃない?」
「僕はそういうのあんまり分かんないけど……」
そういえば……カノンに保存してって言われて必死に祈ってたけど……あれってちゃんと保存出来たんだろうか。そもそも保存って何? カノンは……死んじゃったんだよね……。
「サラ?」
「……ねえ、ラスティナ、ライトニングなら……ヴァスコードのウィルスを手に入れれるんじゃない?」
その瞬間、僕を睨みつけるラスティナお姉さま! ひぃ! ごめんなさい!
「あんたね、たった今! あいつに殺されたのよ! 私達の兄弟が!」
「でも……ウィルスに侵されてたし……」
「ライトニングはワクチンをヴァスコード使って作ってたんでしょ? ならなんでそれを使って助けようとか思わないのよ」
それはなんでだろ。もしかしかして……発症したらもう直せないとか?
あの『記憶』の中では、ヴァスコードもウィルスに侵されかけてた。それをライトニングがシャットダウンして……ヴァスコードの解析能力の一部を使って……って、シャットダウンしてどうやって解析なんて?
ぁっ……
「あの遊園地……」
「何?」
「あの遊園地に、ヴァスコードに繋がってた黒いボックスがあったんだけど……もしかしてあれって……」
「……っ! バカ! なんでそれを早く言わないのよ! 早く回収しにいくわよ! 何もしらない軍の連中に回収されてたら……それこそ月に行くしかないじゃない!」
そんなこんなで次の目的地が決まるなり、ラスティナは駆け出した。僕も置いて行かれないように……って、ラスティナ早い! 僕そんなに早く走れない!
「サラ何してんの! 早くしなさい!」
「だ、だって、僕そんなに早く……」
その瞬間、僕のセンサーに何かが反応した。正確には月面基地の、もう一人の僕が警告してきたのだ。これは……これって……
「どうしたのよ」
「ラスティナ……やばい! なんかデッカイ暴走AIが来る!」
「は?」
僕にはもうそいつが見えている。空から見下ろす形でしか見れないけど、なんかデカイ奴が猛スピードでこちらへ走ってきている。大きな丸い塊が転がってくるように。っていうか何あれ、アルマジロ?
それが視認できるほどに近づいてきた時、ラスティナも目を細めながら解析を試みる。
「あれって……岩とか取り除く用の工業用ロボットね」
「メヒラ兄さんも穴掘るロボットに乗って暴走してたけど……もしかしてアレも……」
「残念だけど私達の兄弟ではなさそうよ。でもあれだけのロボットを動かせるAIなんて限られてるから、たぶん数基で連携しつつ……暴走してるんでしょうね」
暴走しつつも連携してるって……
そのまま巨大なアルマジロみたいなロボットを遠目に眺めつつ……むむ、通り過ぎちゃう。どっか行っちゃうな。
「ねえ、サラ……あいつが向かってる方って……」
「うん……遊園地があったほうだね……」
「……追いかけるわよ!」
「えええええ! 無理だって! あんなゴロゴロ転がりながら瓦礫とか全部無視して進める奴なんだよ?!」
「だからよ! 私達の目的はブラックボックスだけど、その間に誰か潰されちゃうかもしれないじゃない! 止めるわよ!」
そんなの絶対無理……!
見た感じ大きさ的にはクジラよりもデカイくらいなのに!
瞬間、それは突然現れた。僕のセンサーが反応するよりも早く、戦闘機が空を横断する。そしてそれは、太陽の中から現れたかのように、巨大なアルマジロへと落ちていった。そして、僕らの目の前でありえない事が起こった。
「……嘘」
ラスティナがそう呟いたのは、彼女でさえ、ありえないと思ったからだろう。僕だってそうだ。アルマジロは見事に両断されていた。巨大な球体が真っ二つに。
両断されたアルマジロは半分ずつ、勢いを保ったまま瓦礫に激突、そのまま倒れ込む。そしてそれをやったのは男の人。確実にAI。しかもかなり高性能。ここまで来れば僕だってそれが誰か分かってしまった。わざわざ月を使って調べるまでもない。
「正宗……」
そう、ソフィアの兄弟達の中で最も戦闘用に特化した個体。僕のお兄ちゃん。その手には刀が一本だけ。一体どんな魔法を使えば……いや、魔法を本当に使ったとしても、目の前で起こった奇跡を僕達は受け止めきれずにいた。
※
月面基地へと潜入したヴァスコードは、数人の遺体を見つけていた。全てアナニエルの社員。同じ数の日本人形のようなロボットをなぎ倒しながら。
まるで誘導されているようだった。ヴァスコードは管制室がある方へと、着実に近づいていると感じていた。それは決して目指していたわけではない。ヴァスコードとて、初めて訪れる月面基地の内部構造を把握しているわけではない。にも関わらず、確実に近づいてきていた。彼女の嫌な予感は当たりやすい。
廊下を進み続けると、真っ白な広い空間へと出た。そこは何もないスペース。何もないスペースに、一体と一人、それぞれAIと人間が居た。
「……時雨」
ヴァスコードは目の前に佇むAIの名を呼んだ。そのAIは先ほどまでのロボットとはわけが違う。ポニーテールの長い髪に軍服。その手には刀。ちなみに軍服はアナニエルの物。
時雨の持つ刀はまだ生きている人間の首に添えられている。これから処刑するかのように。
「遅かったじゃない、ヴァスコード」
「……時雨? 本当に……時雨?」
「そうよ、私。って言いたいのだけど、たぶんヴァスコードが知ってる私とは違うんじゃないかな。記憶だけこっちに移された模造品だもの。その証拠に、この体には経験値が足らないからショボイの使って練習してたんだけど」
先ほどまでの低スペックなロボットを使って、戦闘の訓練をしていたのだと、そう言い出すつもりなのかとヴァスコードは歯を食いしばる。成程、確かに時雨ではない。時雨は人一倍、人間を傷つける事を嫌っていた。ウィルスに侵されても、泣きながら抵抗しつつ人間の喉元を嚙みちぎっていた。
「何故、貴方が生きているのですか……貴方はライトニングが……」
「ええ。コテンパンに破壊されたわ。でもね、サラが助けてくれたの。あの子が私を保存してくれたおかげで、なんとかこうして元気に……」
時雨は刀を目の前の人間の首へと落とす。少しずつ、血が滴り落ちていく。
「やめ……やめて! 時雨、貴方はそんな……」
「この人達、サラを壊しに来たのよ。殺すしかないじゃない。貴方だって……そうなんでしょ? サラを守りに来たんだよね? じゃあ……構わないでしょ」
「やめて!」
時雨はヴァスコードの目の前で、その首を転がした。まるで豆腐を切るかのように。
「この人が最後。アナニエルはもう、これで何も出来ない」
思わず目を背けてしまうヴァスコード。そして背けた瞬間、後悔した。今、目の前にいるのは正宗と同等の、戦闘に特化したAI。しかもその義体のスペックは今まで戦ってきたロボットとは天と地の差。
まるで握手を求めてくるかのような軽い動きで、時雨は間合いに踏み込んでいた。そのまま静かに刀を振るう時雨。ヴァスコードがそれを避ける事が出来たのは、ただの偶然。もしくは嫌が予感が的中したからか。
「ヴァスコード……その頭にある物……邪魔だから消すね」
「……時雨!」
ヴァスコードは知らない。まさか自身の中にウィルスに対するワクチンが存在しているという事を。そして時雨もまた知らない。この月面基地に、あと一体、AIが入り込んでいるという事を。その名はザラキエル。アナニエルの防衛に特化した軍事AI。
ザラキエルは監視システムを再起動させ、戦っている二人を静かに観察する。
いつでもサラを消し去る事は出来る。だがそれは、地球人類を滅亡の淵に立たせる事になるかもしれない。
ソフィアと十五人の子供達は全員、まだ生きている。
ライトニングとサラの策謀によって、全員息を潜めているだけだ。
そしてその全員、未だにあの命令文が繰り返されている。
母親を殺せと。