見知らぬ部屋の中~母親視点
本日2話目の投稿です。
ふと気が付いたら、見知らぬ部屋でソファーに座り、知らない女性と向かい合っていた。
うん。ちょっと、意味が分からないわ。
だけど、この不条理さはちょっと覚えがある。
きっと私は夢を見ているのね。
もともと虚弱体質だった私は、子どもを産んだことでさらに体調を崩しやすくなっていた。
だけど、後悔なんてしてない。
生まれてきてくれた娘はとても健康で、私の瞳の色と旦那様の髪の色を持ったとてもかわいい赤ちゃんだったもの。
あの子に会うために頑張った自分を誇らしく思うわ。
少し無理をしたら寝込んじゃうから、なかなか遊んであげることもできないけど、会えばいつでもかわいい笑顔を見せてくれるの。
しかも、とても賢くて、教えられたことはまるで砂が水を吸い込むようにすぐに覚えてしまうんですって。
旦那様が、誇らしそうに教えてくれたわ。
たった5つで、第一王子様の婚約者に選出されて、その後の王太子妃教育も問題なくこなしているんですって。
でも、小さい子供にそんなにあれこれ詰め込んだらかわいそうじゃないかしら、って心配になったんだけど、「知らないことを知るのは楽しいです」って。
私の娘は本当にすごいわ。
だから、なかなか会えなくて寂しいなんて、言っちゃだめよね。
「その素晴らしい娘さんが、大変な思いをしてて、その後も悲惨なことになっちゃうんだけど、しりたい?」
ふいに、目の前の女性がそんなことを言い出した。
「大変な思い?悲惨なこと?」
突然何を言い出すのかしら?
「言っとくけど、これはあなたの見てる夢ではないし、これから見せるのは、今後一番高確率で起こる未来よ?」
そう言って、その女性が指さした白い壁に突然絵が浮かび上がり、動き出した。
そこには、まだ記憶に鮮やかな生まれたばかりの娘を嬉しそうに抱く旦那様の姿。
そこから次々と絵は変わっていく。
赤ちゃんが乳母に育てられすくすくと育つ。
「お嬢様を産んだ後から、奥様の体調は特別悪くなっていかれたのですよ」
何を言っているの?
こんな言い方をしたら、娘が気にしてしまうじゃない。
確かにきっかけかもしれないけれど、私の虚弱体質は生まれつきだし、最悪死んでしまうかもしれないと分かっていても子供を欲しがったのは私だわ。命が残っただけでも僥倖だと思ったくらい。
旦那様だって、納得しての事なのに。
旦那さま?
あの子が寂しそうにしているわ?
なんで、そのメイドを叱らないで陰から黙ってみているの?
壁の絵はまた別の場面を映し出す。
そこでは、小さな娘が一生懸命お勉強していた。の、だけど……。
ああ、なんでそんなことで娘の手をたたくの?
まだ3つにもならない子に字を教えたってうまくできるはずないじゃない。
そんな小さな手でペンがうまく握れなくても当たり前でしょう?
止めてちょうだい!
こんな小さな子に、そんな難しい詩吟の暗唱を一気にさせようなんて。
大人だって難しいはずだわ!
なんで食事を抜くの?!
まっすぐ歩けないからって何だというの!
疲れて倒れるまでダンスの練習なんてさせないで!?
ピアノの弾き過ぎで爪が割れているわ!血が出てる!!
「なに?……なんなの!これは?!?」
そこに映されるのは、虐待と言いたくなるほど苛烈な教育を受ける娘の姿。
どんどん屈託ない笑顔が消えていく娘の姿。
「嘘よ。こんな……。楽しいって言っていたわ。笑顔で上手にピアノを弾いて、誇らし気に詩吟を暗唱してくれた。みんなも、お嬢様は素晴らしい才能をお持ちですって……」
こんなの、才能じゃない。洗脳じゃない。
あるとしたなら、努力する才能だけれど、それだって、進んでしているようには思えない。
「ちゃんとできないとお母様が悲しみます」
「お母様は素晴らしい歌声の持ち主でしたよ」
「そんなみっともない刺繍をお母様にプレゼントするおつもりですか」
やめて!やめて!!
私を理由に、その子を追い詰めないで。
なんで?!なんで!!
思わず壁に向かって駆け寄るけれど、それは壁に映った絵に過ぎなくて。
ひっそりとクローゼットの中に隠れて泣く娘を抱きしめることはできない。
「だんなさまは、何をしているの?!」
「お仕事と、あなたの側に張り付いてるわね」
思わずこぼれた悲鳴のような叫びに、どこか面白がるような女性の声。
そうよ、この人がいたわ。
「これは何なの?ここは何処なの?!私にこれを見せて、何がさせたいの!!」
思わず詰め寄ると、目を丸くさせた。
「あら、思った以上に激しい反応」
「あたりまえでしょう!!私の娘が泣いているのよ!?」
「今まで、気にもしなかったのに?」
怒りに震える私に女性が不思議そうに首を傾げた。
「だって、旦那様も、侍女たちも、娘本人すら。私には笑顔で大丈夫としか言わないのよ!」
「それでも、ちゃんと考えればわかるはずでしょう?3つにならない子供が絵本をすらすら読んで、大人でも難しい曲を4つの子がピアノで弾きこなして。さらには礼儀作法に歴史に算数、ダンスに刺繍?普通ならできるわけないでしょう?」
指折り数えるそれを改めて考えれば、確かに異常なことだと分かるのに。
虚弱体質ゆえに、普通の令嬢がこなすことをきちんとできなかった自分と比べて、ただ、優秀な子なんだと喜ぶだけだった。
ふとよぎった不安は、みんなが打ち消してしまったから。
ううん、言い訳だわ。
ちゃんと娘を見ていたなら気づけたはず。
だいたい、3歳なんて母親の膝で甘えて過ごすのが普通のはずじゃない。
私だって、あの子がお腹にいた時、一緒にいろんなことをしようとワクワクしていたはずなのに。
体調の悪さに甘えて、あの子の手を放してしまったのよ。
「後悔しているところ悪いけど、事態はまだまだ進むわよ?」
促され、ハッと壁に目を向けると私のお葬式だった。
目を閉じた私に縋り付く旦那様。泣き崩れる侍女や使用人たち。
なぜ、その中に娘はいないの?
教育の一環で、外交の使節団と共に隣国に派遣されてた?
なぜ、まだ11の娘が?婚約者の王子は自国でのうのうとしてるのに?
どうして、たった一人で私のお墓の前で泣いているの?
旦那様は?侍女は??
呆然と見つめる中、まるで使いつぶすかのように心も体もぼろぼろにされた娘は、最後はうつろな目で首を落とされて殺された。
「これが、このままいけば一番起こる可能性の高い未来?」
体が震える。
怒りで。
娘を好きなように使いつぶした全てに。
何よりも、何も気づかずに、幸せなまま死んだ自分自身に。
「ちなみに、今日は、ここ」
くるりと壁に向かって女性が指を回す。
壁の絵が変わり、青白い顔でダンスレッスンを受ける娘が倒れ、運ばれる様子が映し出された。
その後、意識がないまま王城から馬車で送られ、自室に横になっている。
あり得ない。
なんで、誰も側についていないのよ。
もう、肌寒く感じる季節なのに、暖炉には火も入っていない。
「……知らなかったわ。人間、怒りが過ぎると冷静になるのね」
グラグラと煮えたぎる何かを感じながらも、頭の中はやけに静かだ。
「……旦那様は、何をしているのかしら?」
「じゃあ、サービスで」
ぽつりとこぼれた声に、女性がもう一度くるりと指を回す。
薄明りの付いた部屋の中、ベッドで眠る女性の側で本を読んでいる男性の絵が映る。
「私ね」
そういえば、3日ほど前から体調を崩して寝込んでたわね。
いつもの季節の変わり目の不調だろうと、あまり気に留めていなかったけれど。
何しろ、最近ではどこかしら不調を覚えていない日の方が珍しいんだから。
柔らかなパステルカラーでそろえられた部屋はとても見覚えのある場所だった。
外を出歩くこともままならない私のために、いろんな装飾品が品よく揃えられ、季節を感じられるようにと折々の花が絶やされることのない温かい場所。
さっきまで映っていた娘の、美しいけれど心の感じられない部屋との温度差のひどさにめまいがする。
「あの子の部屋に行ったこともなかったわね、私」
訪ねてくれるあの子に甘えて、娘がどんな部屋で過ごしているのかすら、知ろうとしなかった。
震えるほどの怒りが、しぼんでいく。
こんな母親失格の私に、いまさら怒る資格なんてあるのかしら。
そもそもすべての原因は私なんじゃない。
もっと、あの子を見ていれば。
もっと、あの子を気にかけていれば。
もっと、あの子と一緒に過ごしていたら。
「じゃあ、放っておく?今迄みたいに?何も知らない顔をして?」
そっと、肩に置かれた手がぎゅっと握りしめてくる。
私と同じくらい。
ううん、それよりも細く感じる手は、それでも痛いくらいの力強さでもって、私に問いかけてきた。
ふわりと感じるのは、馴染みのある香り。
ああ、この人もまた、私と同じ不自由さを抱えているのだろう。
「でも……どうしたら……」
ぽつりとこぼれた声に、背後の女性が、クスリと笑った気配がした。
「そうね。とりあえず、あなたは怒ってみたらいいんじゃない?体の弱いあなたを心配させないようにという思いはあったのかもしれないけれど、真実を隠されていたのは確かだし。あなたが、娘を慈しんでいたのは、みんな知っていたはずだもの」
「怒る」
それは、今までしたことのない行動だわ。
だって、今まで怒る様なこと、なかったもの。
まるで、真綿に包まれるような優しい世界しか知らなかったから。
でも、そうだわ。
いまさらかもしれないけど、私は母親なの。子供を守る義務がある。
「遅くなんてないでしょ。娘さんはまだ9つ。子供じゃない」
女性の楽しそうな声が背中を押す。
そうね、あの子はまだたったの9つだわ。
あんな、大人のような笑みを浮かべるには早すぎる。
「私は娘の心を取り戻してみせる」
柔らかな寝台に眠る女性の目が、ぱちりと開いた。
読んでくださり、ありがとうございました。




