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幻想剣豪譚 ~刀と術の時代劇風ファンタジー世界に転移した俺は【剣豪】の力で無双する~

作者: いかぽん

 もう深夜と呼んで差し支えのない時刻。


 駅のホームへと続く階段をふらふらと下りながら、スーツ姿の俺は一人つぶやく。


「はぁ……今すぐ寝たい……どうして目の前にベッドがないんだ……」


 眠たい。今すぐ寝たい。

 ベッドはまだか。


 まだだな。

 これから電車に乗って、家まで帰らないとベッドはない。

 当たり前だ。


「はぁ……」


 ホームに降りた俺は、習慣のままに半ば自動的に歩いていって、電車の到着待ちの位置へと移動する。


 眠い。

 疲れた……。


 俺、御剣刀悧みつるぎとうりはいわゆるブラック企業に勤める会社員だ。


 毎日寝る間もなく働かされて、会社と家を往復するばかりの日々である。


『まもなく電車がまいります。黄色い線の内側にお下がりください』


 駅の定例アナウンスを聞き流しながら、ぼんやりと考える。


 こんなことを俺は、これからの人生でずっと、毎日続けていかなければいけないのだろうか、と。


「はぁ……。眠い……明日も仕事……」


 こういう時にはいつも、幼い頃にテレビで見ていた時代劇を思い出す。


 強きをくじき弱きを助ける勧善懲悪かんぜんちょうあくのヒーローに、俺は恥ずかしながら憧れていた。


 世直しの旅をする御老公や、暴れん坊の将軍様や、悪党をぶった斬る三匹の浪人のような格好いい大人になりたいと、半ば本気で思っていた時期すらあった。


 だが現実はこの有り様だ。

 人を助けるどころか、自分一人を助けることすらできやしない。


 と、そんなことを思っていると──


「いてっ! おい兄ちゃん、どこ見てほっつき歩いてんだ!」


 何やら中年の酔っ払い男が、俺にぶつかってきた。

 電車が間もなくホームに滑り込んでこようというときだ。


 いや、どこ見て歩いているも何も、そもそも歩いてなかったのだが。

 駅のホームで電車を待っていただけなのだが。


 まあ眠すぎて、うつらうつらとはしていたかもしれないが──


 などという俺の思考は、完全に間が抜けていた。


「えっ……?」


 酔っ払い男に勢いよく突き飛ばされた俺の体は、駅のホームから線路側へと投げ出されていたのだ。


 ファーン、と耳をつんざくような電車の警笛が鳴った次の瞬間には──


 俺の体は、勢いよく電車に()ね飛ばされていた。



 ***



御剣刀悧(みつるぎとうり)さん。あなたは死にました」


 真っ白い空間。

 俺の前に立つ女神らしき何かが、そう伝えてきた。


 一方の俺は真っ裸で、その女神らしき何かの前に立っている。


 立っている……?

 分からない。

 宙に浮いているような感じでもある。


 ともあれ俺は、こめかみを指で揉みつつ、女神らしき何かに返事をする。


「あー……えっと、何ですって?」


 俺はたしか、駅のホームで電車に撥ねられたはずだ。


 なのに生きてる?

 いや、死んでる?

 ひょっとしてここは、死後の世界?


 女神らしき何か──ひとまず女神と呼ぶことにしよう──は、あらためてこう言った。


「彼女いない歴イコール年齢で二十三歳独身童貞の御剣刀悧さん。あなたは過労と睡眠不足で駅のホームでうつらうつらとしていたところを酔っ払いに突き飛ばされ、電車に()ねられて死んだのです」


「あっ、はい。分かりました」


 前段の童貞うんぬんのくだりは必要なかった気がするけど、とにかく俺は死んだらしい。


 そうか、死んだのか……。

 まあ、それもいいかな。


「あまりショックを受けていないようですね」


「そうですね。もう寝る間もなく働き続けなくてもいいんだと思ったら、むしろ気が楽になりました。ということは、ここは死後の世界なんですね」


「それは少し違います」


「少し違う……?」


 死んだのに、死後の世界じゃないのか。

 女神は答える。


「ええ。ここは言わば、生と死のはざまの世界。あなたは幸運にも『選ばれた』のです」


「選ばれた……? 何にですか?」


「あなたは異世界にて、新たな人生を送ることができます」


「異世界……?」


 何だか分からないことばかり言われる。


 だいたい「幸運にも」と言うけど、あんな死に方をした時点で、幸運も何もない気がするのだが。


 そんな俺の内心をよそに、女神は何やら祈るような仕草を見せる。


 すると女神の横に、テーブルの上に置かれた「何か」が現れた。

 八角形の正面を持った立体物で、取っ手が付いている。


 あ、なんかあれ、子どもの頃に見たことがあるぞ。

 商店街の福引きで回すやつだ。


「それでは御剣刀悧さん。あなたが異世界で生きていくために、特別な能力を一つ与えます。これを回してください」


「はあ……」


 俺は言われるままに、取っ手をつかんでガラガラと回した。

 銀色の玉が出てきた。


 女神はいつの間にか手に持っていた鐘を、カランカランと鳴らす。


「おめでとうございます! 御剣刀悧さん、あなたには【剣豪(けんごう)】の能力が当たりました。大当たりです」


「大当たり」


「ええ、大当たりです」


 銀色の玉が浮かび上がり、野球ボールぐらいの大きさの光へと変わると、俺の胸に吸い込まれていく。


 俺の全身が淡く輝いた。

 同時に、力がみなぎってくるような感覚が湧き上がる。


 ……それはそうと俺、下も真っ裸だったんだな。


 こんな姿で女神と話していたのか。

 向こうは気にしてなさそうだから、まあいいけど。


「それでは御剣刀悧さん。願わくば、次の世界では幸福な人生を──」


 真っ白だった世界が光を増し、さらなる白へと染まっていく。

 やがて女神の姿も見えなくなり──


 完全に真っ白な光に覆われた世界で、俺は意識を失った。



 ***



 気が付いたら、俺は見知らぬ森の中に倒れていた。

 小鳥が鳴き、きらきらとした木漏れ日が落ちる鬱蒼とした森だ。


「ここは……」


 起き上がって周囲を見回す。

 見渡す限りの木々の群れで、右も左も分からない。


 次に自分の体を見れば、真っ裸ではなくなっていることに気付いた。

 衣服を着ている。


 しかしその衣服が、なんとも特徴的だった。


「何だこれは。……羽織袴? じゃないな、着流し?」


 俺が子どもの頃に大好きだった、時代劇に出てくる正義のヒーロー──浪人が着ているような服だった。


 履物も草鞋わらじである。

 靴を履きなれた俺は、どうにも落ち着かない。


 衣服や履物だけではない。

 何よりも驚いたのが──


 腰に巻かれた帯に、刀が一振り、鞘に収まった姿で挿さっていたことだ。


「……マジか」


 俺は刀を抜いてみる。

 しゃり、という音とともに、美しい曲線を描くギラついた刃物が姿を現した。


 本物にしか見えない。


 試しに落ち葉や木の枝を拾って斬ってみたが、どちらにも恐ろしいまでの切れ味を見せてスパッと切れた。


 俺は何気なしに刀を構えて、振ってみる。

 刀は俺の手によく馴染むもので、まるで長年使い込んだ相棒のようにしっくりときた。


 そればかりじゃない。

 刀を振るう俺の身のこなしも、運動音痴であった生前(?)の俺の動きとはまったく違った。


 俺の頭も体も、刀の振り方や体の動かし方を熟知している。

 不思議な感覚だった。


 俺はひと通り動いてみてから、刀を鞘に収める。


 そして腕を組んで──困った。


「さて、これからどうしよう?」


 周囲を見回しても、森の木々があるばかり。

 どっちに行ったらいいのかも分からない。


 俺はひとしきり考えてから──考えるのをやめた。


「ん、分からん。バカの考え休むに似たりだ。とりあえず適当に歩いてみよう」


 見知らぬ森の歩き方も、サバイバルの仕方も、俺にはまったく知識がない。


 それもネットで調べれば分かったかもしれないが、残念ながらスマートフォンのような文明の利器は、今の俺の手元には一つもなかった。


 であれば、考えていても埒が明かない。

 ひとまず俺は、気が向いた方向に歩いていくことにした。



 ***



 この世界に来てから、何日がたっただろうか。


 三日目か、四日目か、五日目か──そんなことも思い出せないぐらいに、俺は疲弊していた。


 ぐぅぅぅっと腹が鳴る。

 この世界に来てから、俺はまともな食事に一度もありつけずにいた。


「は、腹減った……死ぬ……」


 途中で拾った長い木の枝を杖のように使って、俺はひいこらと歩く。


 森の中をあてもなく、ただただ歩き続けてきた。


 途中、見付けたキノコを食べてみたりもしたが、腹を下してひどい目に遭った。


 お前はバカなのかと問われれば、バカなのだろうと答えるしかない。


 こんなバカがたった一人で謎の異世界に放り出されて、無事に生きていけるわけがなかったのだ。


「まったく、何が『幸運にも』だ……何が『大当たりです』だ……【剣豪】だか何だか知らないけど、剣の腕なんて生きていくのに何の役にも──あ」


 だがそんなバカでも、一つだけ正しいことをしていたらしい。


 川を見つけたので川沿いに森を下っていたら、ようやく人が作った「道」らしき場所にたどり着いたのだ。


 もっとも「道」といっても、コンクリートの地面などではなくて、森をまっすぐに切り拓いてできただけの素朴な道路であったのだが。


「道だ……」


 それでも俺は、希望に打ち震えた。

 きっとこの道を歩いていけば、どこかの人里にたどり着くだろう。


 それから俺は、力の限り歩いた。

 希望を胸に抱き、人が住んでいる場所を目指して。


 だが──


「もう、ダメだ……」


 俺はすぐに力尽き、道半ばで倒れた。

 限界だったのだ。


「ああ……ご飯が食べたい……」


 俺はみじめに地べたを這いつくばって涙を流す。


 こんな終わり方をするなら、いっそ電車に撥ねられたときに、そのまま──


 と、そんなことを思っていたときに、どこかから声が聞こえてきた。


「あれ……? ねぇ梨乃(りの)、あそこ、人が倒れてない?」


「……本当だ。……行き倒れかな」


 声は二つ、どちらも女性のものだった。

 いずれも若い声。


「刀をさげてるわ。……浪人(ろうにん)かな?」


「……そうかも。……どうする、彩音あやね?」


「うーん……あやしいけど、こういうとき助けたくなっちゃうのが、この退魔巫女(たいまみこ)・彩音ちゃんの優しさなんだよなぁ」


「……そういうのを、自分で言わなければね」


 声と気配が近付いてくる。

 俺は気力を振り絞って、顔を上げた。


 俺を見下ろしていたのは、紅白の巫女装束をまとった少女と、忍者のような姿をした小柄な少女だった。


「あら、生きてた。──大丈夫ですか、お兄さん?」


「……彩音、気をつけて。……ボクたちの油断を誘って、追い剥ぎをするつもりかも」


「そんな風には見えないけどな。おーい、お兄さーん。話をする元気はありますかー?」


 巫女装束の少女と忍者装束の少女は、片や気さくに、片や警戒した様子で俺に関わろうとしてくる。


 俺は──


「は……腹減った……」


 どうにかそれだけ、言葉を絞り出した。

 ぐぎゅるるるるっと、俺の腹が鳴る。


 俺を見下ろしていた二人の少女は、互いに顔を見合わせ、クスッと笑った。



 ***



「はぐはぐっ……! むぐむぐっ……! うまいっ、うまいっ……!」


 俺はバクバクむしゃむしゃと、もらった「おにぎり」にかぶりついていた。


 こんなにうまいおにぎりは、生まれて初めてかもしれない。

 空腹と人情は最高のスパイスだ。


 そんな俺の様子を見て苦笑するのは、おにぎりを譲ってくれた巫女装束の少女だ。


「あきれた。よっぽどお腹がすいてたのね」


「……でも、このぐらいの食べっぷりを見てると、気持ちがいいね。たくあんと、お味噌汁もいる?」


「──っ! いただきます!」


 忍者装束の小柄な少女から、葉っぱに包まれたたくあんと、竹の水筒から注がれたみそ汁を受け取ると、それらも堪能する。


 竹のカップに注がれたみそ汁は、さすがに熱々ではなかったが、ほんのり温かくて身に染みた。


 胃が弱っていて受け付けないということもなく、俺の体は久しぶりの食事を大いに歓迎したようだった。


「ごちそうさまでした! すごくおいしかった。おかげで助かりました!」


 俺は食事を終えると、二人の少女に向かって手を合わせ、頭を下げる。


 この二人は、俺の命の恩人だ。


 一生この二人の奴隷になってもいいと思えるぐらい、俺は彼女らに感謝していた。


「ふふっ、どういたしまして。困ったときはお互い様だよ」


「……飢えた野良猫に、餌をあげたようなもの。好きでやっただけだから、気にしないで」


 二人はそう言うのだが……ううっ、人情が身に染みる。


 困ったときはお互い様、なんて言葉、職場の上司が人の善意を都合よく利用しようとしたときにしか聞いたことなかったぞ。


 俺はあらためて、二人の姿を見る。


 巫女装束の少女は、高校生ぐらいの年齢に見える。

 十六か、十七か、そのあたりだろう。


 長くてきれいな黒髪を、背中まで伸ばしている。


 その髪型や衣装が持つ清楚な雰囲気と、彼女自身の天真爛漫な笑顔とが絶妙なギャップを醸していて、とても魅力的だ。


 ややあどけない顔立ちながら、眉目も整っている。

 スタイルも出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる理想形。


 アイドルでも女優でも通るのではないかと思う美少女だが、特筆すべき点が一つ。


 手に薙刀(なぎなた)を持っているのだ。


 身の丈ほどの長さの棒の先に、鋭利な刃物が取り付けられたその道具は、誰かを攻撃するための武器に違いない。


 ただの巫女さんとは思えないし、本人も先ほど「退魔巫女(たいまみこ)」などという言葉を口にしていた。

 彼女が何者なのか、その素性は気になるところだ。


 一方、まったく年齢不詳なのがもう一人のほう──忍者装束の少女だ。


 きわめて小柄で、小学生かと思うほどの愛らしい容姿である。


 背丈で言えば、俺の胸ぐらいまでしかない。

 俺の身長が成人男子の平均ほどと言えば、彼女がどれほど小柄であるかが伝わるだろうか。


 顔立ちやスタイルもまた、子どものようにかわいらしい。

 一言でいえば、ロリ体形である。


 彼女もやはり黒髪で、髪形はポニーテール。

 童顔ともマッチしていて、これまたかわいい。


 だが本当に子どもなのかと問えば、違う気がする。


 表情は落ち着いていて、どこか大人びている感じがする。

 しゃべり方が淡々としているので、そう見えるだけかもしれないが。


 巫女装束の少女が口を開く。


「ところで、お兄さんも見た感じ『浪人(ろうにん)』よね? こんなところで行き倒れなんて、ずいぶんと間が抜けているのね」


 バカにしている風でもなく、純粋に思ったことを口にしたという様子。


 彼女の言葉の中に気になる部分はあったが、ひとまずそれは置いて答える。


「どうだろうな。俺、気が付いたら知らない森の中に倒れていて。あてもなく歩いていたら今ここって感じなんだ」


「えっ、それって記憶喪失ってこと?」


「えーっと……まあ、だいたいそんな感じ」


 いきなり「異世界から来ました」とか言うと話が(こじ)れそうだったので、ひとまずそう言っておく。


 あと今さら思ったけど、普通に言葉が通じているな。


 ここは本当に「異世界」なのだろうか。

 目の前の二人の少女の格好はたしかに奇異だが、コスプレというやつかもしれない。


 だが俺の身体能力など諸々の不思議も考慮すれば、異世界だとでも言われたほうがしっくりくるのはある。


「……名前も、覚えてないの?」


 横から忍者装束の少女が聞いてきたので、俺は少し考えてから首を横に振る。

 恩人を相手に、無用に嘘を重ねることもない。


「いや。俺の名前は御剣刀悧。それは覚えている」


「……トウリ。……どういう字?」


 忍者装束の少女は、続けてそう聞いてきた。

どういう字……?


「えーっと、刀に怜悧(れいり)の悧で刀悧だ……と言って、通じる?」


「……うん、分かる。……刀悧ね。……ボクは梨乃(りの)(なし)に、秀でるの下半分で、梨乃」


 忍者装束の少女──梨乃もまた、そんな風にして自分の名前を紹介してきた。


 このあたりは日本文化そのものだ。

 異世界だとするなら不思議だが……ひとまずそういうものと思っておくしかないよな。


 一方で、巫女装束の少女もまた、自己紹介をしてくる。


「私は彩音(あやね)。彩る音と書いて彩音よ。よろしくね、刀悧さん。──あっ、それとも見たところ武士みたいだから、『御剣さん』って呼んだほうがいいのかな?」


 武士……?


 武士っていうとやっぱり、江戸時代で言うところの「士農工商」の「士」だよな。


 今の俺は、武士なのか?


 たしかに時代劇の浪人っぽい恰好をしているし、浪人も武士の端くれだったはずだが。


 ううむ……自分のこともこの世界のことも、何も分からんぞ。


「呼び方はどっちでもいいけど。俺ってやっぱり武士なのかな? そう見える?」


 そう聞くと、巫女装束の少女・彩音と忍者装束の少女・梨乃は、互いに顔を見合わせた。


 ついで彩音が、あきれたように言う。


「それも分からないの? 本当に記憶喪失なのね」


「面目ない」


「でも困ったな。私たちもこの先の村まで小鬼こおに退治に行く途中だから、あまり刀悧さんに構ってばかりもいられないのよね」


「小鬼退治……?」


 小鬼……って、鬼?

 この異世界、そういうのもいるのか。


 異文化に戸惑っている俺に、忍者装束の少女・梨乃が聞いてくる。


「……刀悧は、戦うことはできるの? 刀を提げているけど、戦闘経験は?」


「いや、どうだろ……たぶん戦えると思うけど、刀を振って実際に戦ったことはない……かな」


 今の俺には、女神から与えられた【剣豪】の力がある……らしい。


 体を動かした感じからも、少なくとも人並み以上には戦えるのだと思う。


 だが実際には、刃物を使って敵と戦った経験などない。

 素手の喧嘩ですら記憶にないほどだ。


 俺の返事を聞いた梨乃は、考え込むしぐさを見せる。


「……実戦経験なし、か。……でも記憶喪失なら、昔はいっぱしの剣士で、体が覚えている可能性も。……ねぇ彩音。刀悧もボクたちの小鬼退治に同行させるのは、どうかな?」


 その梨乃の提案に、巫女装束の少女・彩音もうなずく。


「それはいいかもね。記憶喪失で右も左も分からないまま、また行き倒れられても助け損だし。──どう、刀悧さん。せっかくだから、私たちと一緒に来ない?」


 完全な善意からの提案、だよな。


 この二人には世話になりっぱなしだが、断る理由もない。


「じゃあ、お言葉に甘えて。きっと戦えると思うから、なるべく二人の力になれるように頑張るよ」


「ふふっ、そんなに気負わなくてもいいよ。小鬼退治はもともと、私たち二人でこなせる仕事なんだから」


「……でも仕事が楽になるなら、それに越したことはない。無理をしない程度に手伝って」


 二人は優しかった。

 生前(?)のブラック企業の上司とは大違いだ。


 あー、もう。

 この二人になら、一生ついて行ってもいいとすら思う。


 いやまあ、俺のほうがどう見ても年上なんだから、それもずいぶん情けない話ではあるのだが。


 でも今は、この世界のことがまったく分かっていないのだから、ひとまずのところはしょうがない。


 とりあえず、恵んでもらったおにぎりとたくあんと味噌汁の分は、この二人に奉公しよう。


 俺はそう、強く心に決めていた。



 ***



 彩音と梨乃の二人のあとについて道を歩いていくこと小一時間。


 やがて森の木々が途切れ、広大な田畑が広がる場所へと出た。


 そのまま田畑の間を通る道を進んでいくと、素朴な木造住居が立ち並ぶ一帯の前にたどり着く。


 それは時代劇でもよく見る光景──すなわち村であった。


 近くで畑を耕していた百姓の一人が、額の汗をぬぐいながら声をかけてくる。


「おおっ、おめぇさんがたは浪人(ろうにん)さんだね。村長の家さ行って、話を聞いてくんろ。村の真ん中の、一番大きな家だ」


「分かりました。ありがとうございます」


 巫女装束の少女・彩音はそう答えながら、先頭を切って村へと入っていく。


 俺は隣を歩く忍者装束の少女に問う。


「梨乃さん。つかぬことを聞くけど──『浪人』って何なんだ?」


 どうもこの「浪人」という言葉、俺が時代劇などを見て知っているものとは違うような気がするので、聞いてみることにした。


 時代劇などで見る浪人──つまり江戸時代の浪人は、主君を持たない落ちぶれ者の武士を指す言葉だったはずだ。


 だがこの世界の住人が言う「浪人」は、少しニュアンスが違うように思う。


 俺の質問を受けた梨乃は、いつもの淡々とした様子で答える。


「……本当に何も覚えてないんだね。……『浪人』はボクたちみたいな、荒事を専門にする何でも屋を指す言葉だよ。町の『浪人組合』で依頼を受けて、魔物退治をしたりする」


「へぇー」


「……あと、『梨乃さん』はやめてほしい。普通に『梨乃』って呼んで。ボクが刀悧のことを一方的に呼び捨てにするのは、少し気まずい」


「分かった。……梨乃?」


「……うん、それでいい」


 梨乃は俺に向かって、ほのかに微笑んで見せる。


 淡々としていて表情が見えにくい娘だけど、こうして笑いかけてくれるとすごく魅力的だな。


 あと、やはり「浪人」という言葉は、俺が知っているものとは意味が違うらしい。


 この世界の「浪人」は、ざっくり言うと「魔物退治の専門家」のようなものだろうか。


 つまり、彩音や梨乃もまた「浪人」ということだ。

 浪人の誰もが、俺のような武士の姿をしているものとは限らないと。


 そう考えていくと、次の疑問が出てくる。


「あと梨乃、もう一つ。『魔物』って何なんだ?」


「……魔物は、魔物としか言いようがない。人間を襲う異形の怪物。『異界の門』から現れる。倒すと黒いもやになって消え去って『魔石』を落とす」


「あー……」


 また知らない言葉が出てきた。

『異界の門』に『魔石』か。


 掘っていくと数珠つなぎで情報が出てきて、キリがなさそうだが……。


「ここが村長の家ね」


 そのとき彩音が、一軒の家の前で足を止めた。

 村で一番大きな家といえばこれだろうという建物だ。


 俺はひとまず、情報収集を横に置くことにした。


 彩音は当の家の扉をノックして、「ごめんくださーい」と声をかける。


 すると家の中から、村長と思しき老人が出てきた。


「おおっ、これはこれは。浪人の皆さんですな。ささっ、どうぞ中へ」


 そう言われて、家の中へと通される。

 彩音と梨乃、そして俺は、勝手口で草鞋(わらじ)を脱いで家に上がった。


 俺を含めた三人は、村長と対面する形で囲炉裏を囲んで座る。


 彩音と梨乃がきれいな正座をしたので少し迷ったが、俺は胡坐(あぐら)をかいて座った。

 そのほうが「らしい」と思ったからだ。


「よくぞおいでくだすった、浪人の皆さん。小鬼退治に来てくださったということで、よろしいですかな?」


「ええ。小鬼が現れた状況について、詳しく聞かせてもらえますか?」


 村長と彩音が、話を進めていく。


 そのかたわらで俺は、気になることを梨乃に耳打ちで質問する。


「梨乃。『小鬼』っていうのも、やっぱり『魔物』なのか?」


「……うん。小鬼は最弱の魔物と言われている。数が少なければ、(くわ)(すき)を持った村人でも倒せなくはない」


「でも数が多いと、ってことか」


「……そう。数の多い群れになると、村の人たちでは追い払うのが手一杯。町に知らせが走って、そこから先はボクたち浪人の仕事になる」


 そんな話をしているうちに、村長と彩音の話も終わったようだ。

 彩音が立ち上がって言う。


「小鬼との戦いで怪我を負った人が何人かいるみたいだから、先に診てくるわ」


「……彩音。符術(ふじゅつ)を使うの?」


 梨乃がそう聞くと、彩音はうなずく。


「うん。苦しんでいる人を放ってはおけないもの」


「……とか言って、本当は小遣い稼ぎが目的でしょ」


「えへへーっ、バレたか」


「……いいけど、このあとの小鬼退治に支障がない範囲にしてよ」


「はぁーい」


 彩音と梨乃はそんな話をしながら、村長宅をあとにする。

 俺も二人に続いた。


 それはいいとして……「フジュツ」って何だろう?


 分からない言葉が次々出てくるなぁ……。



 ***



 彩音についていくと、一軒の家にたどり着いた。


 家の戸を叩くと女性が一人出てきて、彩音が要件を言うと喜んで家に上げてくれる。


 畳敷きの部屋では、女性の夫と思しき男が、布団に横たわっていた。


「あんた、この娘さんは癒しの術が使えるそうだよ。お願いしたらどうだい?」


「な、何だってぇっ!? あ痛たたたっ……!」


 男は布団から起き上がろうとしたが、上半身を起こしたところで腹部を押さえて痛みを訴える。


 男の腹部には、さらしのような布が巻かれていた。

 本来真っ白であろう布は、その一部が血のあとで赤茶けている。


 彩音は男に向かって言う。


「よければ治癒の術を施しますよ。寺社での寄進と同じ額、銀一匁ぎんいちもんめをいただきますけど」


「ありがてぇ、是非とも頼まぁ。この怪我なもんで、町にあるお寺まで歩いて行くのもしんどかったんだ」


「商談成立ですね。まいどありー♪」


 そう言って彩音は、巫女装束の懐を探って、一枚の札を取り出す。


 札には毛筆で、何やら呪文のような文字が綴られていた。


 彩音はその札を男の患部に当てると、胸の前で手を組んで祈るように目をつむる。


「──符術・小癒(しょうゆ)!」


 巫女装束の少女の、凛とした声。

 彩音の全身が、淡い輝きを帯びたように見えた。


 次には札が強く輝き、光そのものとなって──


 わずかののちに光がやむと、患部に貼られた札は消え去っていた。


 彩音は怪我をしていた男に、にっこりと微笑みかける。


「どうですか? そのぐらいの怪我なら、全部治ったはずですけど」


「ああ。痛みは治まったな」


 男は腹部に巻いていた布をはがしていく。

 すると布の下からは、傷一つないきれいな肌が現れた。


「おおーっ、本当に治ってるじゃねぇか。お嬢ちゃん、若いのにすげぇな」


「にひひーっ。こう見えて退魔巫女やってますんで」


「いや、助かった。こいつは約束の銭だ」


 男は財布から一枚の硬貨をとりだすと、彩音に手渡した。


 彩音はそれを受け取り、ほくほく顔で自分の財布にしまい込む。


 用事を済ませた俺たちは、男の家を出た。

 そして次の家へと向かう。


 その道すがら、俺は隣を歩く梨乃に聞く。


「あれが『フジュツ』ってやつか」


「……そう。呪符(じゅふ)っていう、力ある呪文が綴られたお札を使う術だから、符術」


「なるほど。ようは魔法だよな……」


「……マホウ? 南蛮渡来の妖術師が使う術だっけ。刀悧、どうしてそんなことだけ知ってるの?」


「あ、いや、まあ……俺にもいろいろあって」


「……ふぅん。刀悧も隠し事はあるんだ。いいけど」


 ちょっと拗ねたような梨乃の態度。


 いや、別にそうでもないのかな。

 梨乃は表情が見えにくいからよく分からない。


 それにしても、やっぱり数珠繋ぎに検索情報が増えていくな。

 全部掘るのはあきらめて、聞くのは目の前のことだけにしておいたほうがよさそうだ。


 その後も彩音は二軒の家を回り、怪我をしている人を治癒していった。


 彩音はそのたびに、村人からお金を受け取っていく。


 銀一匁ぎんいちもんめというのがどのぐらいの金額なのかは分からないが、財布からすぐに出せるのだから、日常的な額ではあるのだろう。


 すると俺の視線が銭に注がれているのに気付いたのか、三軒目を出たときに、彩音がぷくっと頬を膨らませた。


「守銭奴だとでも言いたそうだね、刀悧さん」


「あ、いや、そういうわけじゃ……。お金は大事だな、うん。むしろその歳で、しっかりしているなって」


「本当かなぁ。何ならさっきのおにぎり代もいただきましょうか?」


「……ごめん。たぶん持ってない」


 財布らしきものを探したけど、持ってなかったんだ。

 すまない。


 一方で彩音は、くすくすと笑う。


「ふふっ、冗談だよ。──でも私も、もともと守銭奴ってわけじゃないんだよ。目的のためにお金があったら役に立つから集めているってだけで」


「目的……?」


「んー、まあ、私たちにもいろいろあるんだよ。──ね、梨乃?」


「……うん。刀悧にも隠し事があるみたいだから、お相子」


 と、そんな話をしていたときだった。


 どこか遠くのほう──村の端のほうから、こんな叫び声が聞こえてきた。


「小鬼だー! 小鬼が出たぞーっ!」


 それを耳にした彩音と梨乃の顔が、幕が切り替わったように一瞬にして真剣みを帯びる。


「おっと、このあと巣穴に向かうつもりだったけど、向こうから来たか」


「……好都合、でもないか。巣穴でやり合うのも面倒だけど、村でやり合うのもそれはそれで厄介。村人を守らないといけない」


「それなりにやるしかないでしょ。あ、刀悧さんは無理しないでね。基本は私たちでどうにかするから」


 彩音と梨乃は互いにうなずき合い、声がしたほうに向かって駆けていく。


 俺もまた──


「……ま、なるようになるか」


 懐の刀を軽く握って柄の感触を確かめると、二人のあとを追って走り出す。


 恐れも緊張も、不思議となかった。

 ただ静かな自信だけが、胸の奥に灯っていた。



 ***



 時は夕刻。

 夕焼け色の空に、紫色が混ざり始めた頃のこと。


 叫び声が聞こえてきたほうに走ると、村の住居が集まる場所からは少し離れた、田畑が広がる一帯にたどり着いた。


 いくつもの小柄な影が、田畑の間のあぜ道を通って、村のほうへと向かってくる。

 あれが小鬼だろう。


 小鬼は人間の子どもに似た体形だが、それとは見間違えようのない怪奇な姿をしていた。


 肌はくすんだ群青色で、細い手足は歪んだ木の枝のように節くれだっている。


 目玉はぎょろっとしていて、口は大きく裂け、耳は奇妙にとがったもの。


 口からだらだらとよだれを垂らした様は、まさに醜悪。


 手には思い思いの武器──棍棒や、先が尖った木の棒などを持っていた。


 小鬼の数は、見える範囲では全部で七体。


 何人かの百姓が協力し、農具を振るって追い払おうとしていたが、ひょいひょいと跳び回る小鬼の俊敏な動きに翻弄されているようだった。


 今のところ死人や、大きな怪我を負った村人はいないようだが──


「……彩音は右のあぜ道を。左はボクがやる」


「了解。数が多いから気を付けて、梨乃」


「……そっちこそね」


 忍者装束の少女と巫女装束の少女が、左右に散る。


 田畑の間にある何本かのあぜ道のうち、小鬼は主に二本の道を通って攻めてきている。

 その二つの通路を、梨乃と彩音がそれぞれカバーしに行った形だ。


 さて、俺は戦力として期待されていないみたいだが、どうしたものか。


 助けられてばかりの現状、少し活躍したい気持ちはあったが、功を焦って二人の邪魔をしてもいけない。


 とりあえず様子を見て、どちらかが危なそうだったら援護に入ろう。

 そう方針を決めた俺は、ひとまず戦況を見守ることにした。


 二人の少女たちのうち、より動きが素早いのは梨乃のほうだ。

 小柄な身でありながら、驚くほどの速度であぜ道を一気に駆けていく。


 忍者姿の少女の行く手には、三人の村人と、四体の小鬼。


「……道、真ん中あけて」


 梨乃がそう声をかけると、小鬼と戦っていた村人たちは慌てて左右に分かれた。


 梨乃は開かれた中央部に滑り込みながら、同時に手で複雑な印を組む。


 梨乃の全身が淡く輝いたかと思うと──


「……忍法・火遁の術!」


 梨乃はその口から、炎を吹いた。


 おおっ、すごい芸当!

 あれも魔法みたいなものなんだろうか。


 梨乃が顔を大きく横に振ると、炎が薙ぎ払われるように左右に広がる。


 炎の吐息の射程距離は長くはなかったが、四体の小鬼のうち、すぐ近くにいた三体を攻撃範囲に巻き込んだ。


 その三体のうち一体はとっさに跳び退って回避したが、残る二体は燃え盛る炎の直撃をその身に受け、火だるまになって転がった。


 火だるまの二体は田んぼに落ち、水に浸かってじゅうと湯気を発する。


 二体ともすぐに動かなくなったかと思うと、その体が黒い(もや)のようになって霧散し、やがて跡形もなく消え去ってしまった。


 何だあれ……?

 生き物じゃないのか?


 不思議現象だな。

 この世界に来てから不思議現象ばかりなので、今更ではあるが。


「おおっ、すげぇ! 二体の小鬼をあっちゅう間に!」


「さすが浪人さんだぁ!」


「……村の人たちは、下がって。残りの二体も、ボクが片付ける」


 梨乃は腰に提げていたナイフのような刃物──苦無くないを二本、両手を使って取り出す。


 それから二本の苦無をいずれも逆手に構え、身を落として二体の小鬼と向き合った。

 対する二体の小鬼は、どこかうろたえた様子を見せている。


 あの感じなら、梨乃のほうは問題なさそうだな。

 俺はもう一人──彩音のほうへと注意を向ける。


 巫女装束の少女もまた、三体の小鬼との接近戦に入ったところだった。


「──やぁああああっ!」


 彩音は薙刀(なぎなた)を左右に大きく振り、三体の小鬼をまとめて攻撃する。


 三体のうち二体の小鬼は後方に跳び退って回避したが、迂闊にもしゃがんでかいくぐろうとした残りの一体は回避しきれずに、その首を薙刀の刃で切り裂かれた。


 首を切られた小鬼は、激しく血を噴き出しながらふらついて、ばたりと倒れる。

 その小鬼もまた、すぐに黒い靄になって消え去ってしまった。


 そのあとには、黒と紫色の入り混じった模様の奇妙な石が残った。


 ひょっとするとあれが、梨乃が言っていた「魔石」というやつだろうか。

 あるいは梨乃が倒した小鬼の「魔石」も、田んぼの中に沈んでいるのかもしれない。


「ここは私に任せて! 皆さんは下がってください!」


 薙刀を構えた彩音は、農具を手にした村人たちを背にかばうようにして、残る二体の小鬼と対峙する。


 小鬼たちは、長さのある獲物を扱う彩音との間合いを慎重に図りつつ、巫女装束の少女を睨みつけていた。


 彩音のほうも、ひとまずは心配いらなさそうだ。


 梨乃も彩音も魔物退治のプロフェッショナルなのだから、当然と言えば当然か。


 このまま順調に進めば、俺が手出しすることもなく小鬼退治はつつがなく終わるだろうな──


 と、そう思っていた矢先のことだった。


「きゃああああああっ!」


「くそっ、こっちにも小鬼だ! 手が空いてる男は来てくれ!」


 まったく別の方角から、そんな声が聞こえてきた。


 それを耳にした梨乃と彩音からは、焦りの声。


「……くっ、別のほうからも来るなんて。こいつらをさっさと倒して、助けに行かないと」


「それはそうなんだけどさ、梨乃。こっちもおかわりみたいだよ」


「……うげぇっ。……勘弁してよ」


「ホント。どうせなら全部こっちに来てくれればいいのにね。中途半端が一番困るよ」


 見ればあぜ道の先にある森のほうから、さらに三体の小鬼が現れ、仲間たちに加勢しようとしていた。


 どうやらこれは、梨乃と彩音の二人にとっても厄介な状況らしい。


 二人と交戦している小鬼たちも、少女たちの焦りをあざ笑うかのように間合いを取り、迂闊に飛び込まない姿勢を見せていた。


 ようは手が足りないらしい。

 ならば──


「梨乃、彩音! 向こうは俺が行ってくるよ!」


「……えっ、刀悧が? でも──」


「分かった、お願いするね! 私たちもこっちが片付いたらすぐに駆けつけるから、無理はしないで!」


「了解。やれるだけやってみる」


 俺はそう言い残して、声がした方角に向かって駆けだした。



 ***



 村の家屋がある一帯を横切って、反対側にある田園地帯。


 そこには三人の村人がいて、迫りくる脅威を前にうろたえていた。


 迫りくる脅威とは、もちろん小鬼のことだ。

 見たところ五体の小鬼が、あぜ道を通って村のほうへと向かってきていた。


 もうすぐ村人たちと衝突しようという距離だ。


「ど、どうするだ? おらたちだけじゃ、あれだけの数の小鬼は追い払えねぇぞ」


「だどもこのまま行かせたら、村ん中さ入られちまう。女子供もいるだぞ」


「あんた、あたいも戦うよ! 三人いれば、しばらくどうにかなるんじゃないかい?」


「バカ、お前は身重だろ! いいから家に隠れてろ!」


 そんな村人たちの声を聞きながら、俺はその横を駆け抜けていく。


 風のように通り抜けた俺に気付いて、三人の村人が驚いた様子を見せた。


「なっ……!? なんだ、お侍さんけ!?」


「あんた、浪人さんかい!?」


「そんなところです! あいつらの相手は俺がします!」


 俺はそう答えつつ、あぜ道を走ってくる五体の小鬼に向かって疾駆する。


 不思議と気負いはなかった。


 五体の小鬼といえば、梨乃や彩音がそれぞれ相手にしていた数よりも多いのだが、正直に言って負ける気はまったくしない。


 もう一息で、小鬼の群れと接触する。

 三、二、一──


「──はっ!」


 俺は、武器を振り上げて襲い掛かってくる小鬼に向かって、腰の刀を抜き打ちで一閃。


「「「──っ!?」」」


 斬られた小鬼たちは、何が起こったか分からないという様子だった。


 その抜刀術のよる一撃は、三体の小鬼の胴体をまとめて真っ二つにしていた。


 上下に泣き別れになった三体の小鬼の体は、いずれも襲い掛かってきた勢いのまま俺の後方に飛んでいって、その先の地面に転がって黒い靄となって消え去った。


「よし」


 残るは二体だ。


 三体の仲間を一瞬にして倒された残りの小鬼たちは、明らかに怯んでいた。

 攻めるか逃げるか、決めあぐねている様子。


 俺はそこに駆け込んで、さらに刀を二度、素早く振るった。


 小鬼どもは、いずれも何もできずに真っ二つになり、黒い靄になって消滅した。


「ふぅっ……」


 俺は刀を収めると、一息をつく。

 いざ戦ってみれば、あっという間だった。


 これが【剣豪】の力か。


 十年以上も修練を積んだ熟練アスリートは、こんな体感なのだろうか。

 身のこなしも刀の振り方も、頭と体がすべて知っているという感覚。


 生き物を殺したという気負いもなかった。


 倒したら消え去る魔物だからかもしれないが、だとしてももうちょっと抵抗があっても良さそうなものだ。


 なのに小鬼どもを斬り捨てた俺の心は、さざ波一つない水面みなものように落ち着いている。


 見れば俺の周囲には、黒と紫色の入り混じった石が五つ、転がっていた。

 小鬼の「魔石」だろう。


「回収しておくか」


 俺はそれらの石を拾って、持っていた巾着袋に収めた。


 それから軽く周囲を見渡す。

 ほかの小鬼の姿は、見える範囲にはなかった。


 その後俺は、三人の村人たちのもとに戻った。


「す、すげぇ……」


「五体の小鬼を、あっちゅう間に片付けちまった……」


「お侍さん、あんた凄いねぇ……! ひょっとして、名のある武芸者なのかい?」


 口々にたたえてくる村人たちの声に、俺は少し気恥ずかしくなった。


 貰い物の力だから、誇るのも違う気がする。

 でも褒められて嬉しくないと言えば噓だった。


「えっと……俺、戻ります。連れがまだ戦っているかもしれないので」


 照れ隠しにそう言い残しつつ、俺はその場から走り去った。


「助かったでよ、浪人さん!」


「あんたが来てくれなかったら、どうなってたか分からねぇだ!」


「ありがとう~、お侍さぁん!」


 そんな声を背に受け、さらにこそばゆくなる。

 人から感謝されるのは、慣れてないからなぁ……。


 ──と、俺がそうして、梨乃や彩音のもとに間もなく戻ろうというときだった。


「うぎっ──ぁああああああっ!」


 梨乃の悲鳴。

 続いて、どさりと何かが投げ出された音。


「梨乃ぉっ!」


 彩音の、焦燥に駆られた悲痛な叫び声。


 何だ、何が起こっている……?


 俺は梨乃たちが戦っている場所まで、全速力で駆けていった。



 ***



 刀悧が別方面への救援に回った後。


 梨乃と彩音は、それぞれ三体、四体の小鬼を相手に奮闘していた。


「……忍法・火遁の術!」


 梨乃は目の前の小鬼たちに向けて、体内の霊力を火炎に変えた術を再びぶつける。


 今度は攻撃範囲に巻き込んだ三体のうち、二体がとっさに跳び退って回避した。

 一体だけが火だるまとなり、黒い靄になって消滅する。


「……くっ、一体だけじゃ」


 火遁の術が途切れたところを狙い、残る二体の小鬼が、梨乃に跳びかかってくる。


 梨乃は焦る気持ちを押し殺し、二体の連携攻撃をよく見て回避しながら、反撃の隙をうかがった。


 一方の彩音は現在、四体の小鬼を相手にどうにか立ち回っているところだ。


 たやすく負けることもないだろうが、まとめて相手をするのが楽な数でもないのも確かだ。


 そもそも純粋な戦闘能力では、攻撃の術を持っている梨乃のほうが彩音よりも一段上。

 現在の戦況で圧倒的に余裕があるのは、梨乃のほうだ。


「……だから、ボクが早く、こいつらを片付けないといけないのに」


 焦ってはいけない。

 でも急がないと。


 梨乃は二体の小鬼による攻撃を的確にさばきつつ──ついに反撃の隙を見つける。


「……もらったっ!」


 梨乃の苦無くないの一撃が、一体の小鬼の首を切り裂いた。


 首から激しく血を噴き出した小鬼は、ふらついて倒れ、黒い靄となって消える。


「……これで、残り一体」


 こうなってしまえば、あとは楽だ。

 一対一で、小鬼ごときに遅れをとる梨乃ではない。


 相手が尖った木の槍で梨乃を突き刺そうとしてきたところを悠々とかわして、その横をすり抜けざまに、一本の苦無で小鬼の腹を切り裂く。


 さらにその小鬼の背中に、苦無でもう一突き。


 それで最後の一体も倒れ、魔石を残して消滅した。


「……よし。あとは──」


 梨乃は彩音の援護に向かおうとする。

 あの四体を二人がかりで片付けたら、すぐに刀悧を追いかけないと──


 と、それが梨乃の算段であったのだが。


 そんな少女の目論見は、彼女らが今いるあぜ道の先、森の奥から現れたさらなる敵の増援を見て、脆くも崩れ去ることになる。


 ──ずしん、ずしん、ずしん。


 森の奥から現れたのは、小鬼とは到底似つかぬ巨躯の魔物が、二体。


 その二つの巨体を目の当たりにして、梨乃は手にした苦無をあやうく取り落としそうになった。


「う……そ……大鬼おおおにが……二体、なんて……」


 地響きとともに現れた次なる敵の増援は、大鬼と呼ばれる魔物であった。


 その怪物の背丈は、梨乃の二倍ほどもある。

 体重で比較するならば、十倍を下回ることはないだろう。


 まだ少し遠くにいるのに、遠近感が狂うほどの大きさ。


 筋骨隆々たる赤銅色の肉体はまるで鋼のようで、非力な梨乃の苦無ではろくに傷つけられそうにない。


 対して、あの丸太のような腕が持つ特大棍棒の一撃は、梨乃の小柄な体などたやすく吹き飛ばしてしまうだろう。


 しかもそれが、二体だ。

 梨乃にはそれが、悪夢としか思えなかった。


 梨乃たちが受けた依頼は、小鬼退治だ。

 大鬼が出てくるのは、完全に想定外である。


 だが想定外が起こるのは、魔物退治の世界においては悪い奇跡と呼べるほど珍しいことでもない。


 ゆえに天寿を全うする浪人が稀であることは、よく知られている。


「ちょっ……!? 噓でしょ、大鬼が二体も……!?」


 彩音もまた、驚きの声を上げていた。

 しかも彼女の場合は、いまだ四体の小鬼と交戦中だ。


 大鬼を相手にするのは、梨乃や彩音の実力では一対一でも苦しいほど。


 素早さや技量が上回る分である程度は太刀打ちできても、段違いの膂力と頑強さによってその優位はたやすく覆される。


 本来ならばむしろ、梨乃と彩音の二人がかりで一体の大鬼を相手にするのが望ましい。


 当然のことながら、彩音一人で四体の小鬼と大鬼を同時に相手取って戦うのは、不可能に等しい。


 だが無情にも、二体の大鬼はあぜ道をどすどすと駆け、梨乃や彩音がいるほうへと向かってくるのだ。


「……こんなの、どうしたって」


 梨乃は毒づきながらも、覚悟を決めて駆け出した。


 向かう先は、大鬼と彩音の間を遮る地点だ。


「梨乃……!? 何を──」


「……彩音は、なんとか小鬼を振り払って逃げて。その間だけ、ボクがこいつらを引き付ける」


「そんなっ、無理だよ! だいたい逃げるって、私たちが逃げたら、村の人たちは──」


「そんなわがままを言ってる場合じゃ──」


 そこから先の言葉を、梨乃は紡ぎ出せなかった。


 二体の大鬼が、もはやすぐ目の前まで迫っていたからだ。


「くっ……忍法・火遁の術!」


 梨乃は虎の子の最後の霊力を使って、二体の大鬼に炎を吹きかける。

 燃え盛る火炎は、二体の大鬼に直撃した。


 だが二体とも、梨乃が放った炎を突き破り、そのまま突進してきた。

 二つの巨体が、はるかに小さな忍者の少女に襲い掛かる。


「……だよね。知ってた」


 梨乃ももちろん、火遁の術の一撃で大鬼を倒せるなどとは思っていない。

 単なる悪あがきだ。


 二本の棍棒による恐ろしいまでの連続攻撃が、次々と梨乃に襲い掛かる。


「……くぅっ!」


 反撃の余裕などまるでない。

 それどころか、棍棒の一振りごとに梨乃は追い詰められていく。


 時間稼ぎができたのは、ほんの十数秒に過ぎなかった。


 ついに一体の大鬼の棍棒攻撃が、忍者の少女の小柄な体に直撃した。


「うぎっ──ぁああああああっ!」


 横薙ぎの棍棒の一撃は、梨乃の小さな体をやすやすと吹き飛ばした。

 忍者装束の少女は、蹴飛ばされた手毬のように放物線を描き、大きく投げ出される。


「梨乃ぉっ!」


 彩音の悲痛な叫び。


 どさり、と梨乃の体が地面に転がった。


「あ、ぐぅぅっ……!」


 梨乃はもはや、立ち上がるのも困難なほどの痛手を負っていた。


 そんな梨乃のもとに、一体の大鬼が歩み寄ってくる。


 もう一体の大鬼は、四体の小鬼と交戦中の退魔巫女のほうへと向かっていった。


「……だ、め……彩音の、ほうには……行く、な……」


 梨乃は全身が砕けそうなほどの重傷を負いながらも、なお気力だけで立ち上がる。


 そこに大鬼が、ついに目の前までやってきた。

 そいつは大きな両手で、梨乃の体をつかみ上げる。


 今の梨乃に、それを回避するだけの力は残っていなかった。


「う……あぁああああっ……!」


 怪力につかまれてしまった梨乃は、もはや逃げ出すこともかなわない。


 大鬼は梨乃を頭から丸かじりにしようと、その大きな口を開き──




「──梨乃!」


 そのとき、梨乃をつかんでいた大鬼の両腕が、その肘の先で真っ二つに断ち切られた。


 捕まえられていた梨乃の体が、切断された大鬼の両手とともに落下する。


「……な……にが……」


 ぼんやりとした梨乃の視界に映ったのは、着流しを身にまとい、刀を手にした青年の姿。


 先刻、梨乃が与えたたくあんや味噌汁を、ありがたそうに貪っていた彼は──


「大丈夫か、梨乃。状況がよく分からないんだが」


「……刀……悧……? どうして……ここに……」


 その青年の背中が、今の梨乃にはなぜか、妙に心強く感じられた。



 ***



 現場に駆けつけてみて驚いた。


 まず、さっきまでいなかった、やたらとデカい怪物が二体いた。


 怪物は人型だが、身の丈は俺の五割増し以上もある。

 赤銅色の肉体は筋骨隆々としていて、膂力はすさまじそうだ。


 側頭部からは二本の角が生え、口の左右からは二本の牙が上向きに伸びている。

 手には大きな棍棒だ。


 その怪物を一言で表現するなら「赤鬼」なのだが。


 印象としては、とにかくデカい。

 近くにいたら、見上げないと頭部が視界に入らないぐらいだ。


 そのデカブツが、二体。

 一体は梨乃のもとに歩み寄り、もう一体は彩音のほうへと向かっていた。


 彩音は四体の小鬼と交戦中で、あの赤鬼まで参戦したらさすがに無理そうだ。


 だがそれよりも、さらにのっぴきならない状況にあったのが梨乃のほう。


 梨乃は敵の攻撃を受けたのか、ぼろぼろになった姿で、気力だけでようやく立っているといった様子だった。


 しかもその目の前には、例の赤鬼だ。


 赤鬼は素早く両手を伸ばし、その大きな手で梨乃の小柄な体を鷲掴みにして持ち上げる。


 満身創痍の梨乃はそれを回避することもできずに、されるがままになってしまう。


 赤鬼は口を大きく開いて、梨乃を頭から貪り食おうと──って、おいおいおいおい!


 唯一幸いだったのは、その現場が俺のすぐ近くだったことだ。


「──梨乃!」


 俺は全速力で駆け寄って、刀を振るった。


 俺の一刀は、梨乃をつかみ上げていた赤鬼の両腕、小手のあたりを二本ともまとめてぶった切った。


 梨乃の体が、赤鬼の手首から先につかまれた状態のまま落下。

 赤鬼は、悲鳴とも雄叫びともつかない叫び声を上げた。


 俺は梨乃を背中にかばうようにして、赤鬼の前に立つ。


「大丈夫か、梨乃。状況がよく分からないんだが」


「……刀……悧……? どうして……ここに……」


「向こうの小鬼五体は、全部倒してきた。こっちもとりあえず、全部倒せばいいんだよな」


「……な……何を、言って……」


 梨乃は混乱しているようだった。


 あの沈着な梨乃がこんなに取り乱すなんて──

 って、たったいま頭から貪り食われようとしていたんだから、当然と言えば当然か。


 だが、何より──


「許せないのは、お前だ」


 俺は目の前の赤鬼を睨みつける。


 それと同時に、怒り狂った様子の赤鬼が、俺に向かって襲い掛かってきた。


 だが怒っているのは、俺も同じだ。

 梨乃をこんなひどい目に遭わせやがって。


 赤鬼は手首から先がないせいか、丸太のような太い足でがむしゃらに蹴り飛ばそうとしてきたが──


「おっと」


 俺はとっさにしゃがんで、上半身を狙ってきたその蹴りを回避する。

 赤鬼は思い切り空振りしたことでバランスを崩し、大きく一回転しながらふらついた。


 俺はそこに、立ち上がりざま刀を三度振るった。


 三つの斬撃が赤鬼の胴体を深々と切り裂くと、派手に血が噴き出して、巨体がどうと倒れた。


 その赤鬼は、小鬼と同じように黒い靄になって消え去った。

 あとには、小鬼のものよりもはるかに大粒な魔石が残る。


「……え……う、そ……大鬼を……こんなに簡単に、倒した……?」


 背後から、梨乃の驚きの声が聞こえてくる。


 だがもちろん、戦闘はこれで終わりじゃない。


 彩音のほうへと向かっていたもう一体の赤鬼が、俺を危険視してか方向転換し、こっちに向かってどしんどしんと走ってきた。


 よし、いいぞ。

 俺のほうに来い。


 この段に至っても、俺に危機感はない。

 俺のほうに来てくれるならば問題はない──そういう直観があった。


 俺もまた、梨乃のもとを離れ、赤鬼に向かって駆けていく。

 五体満足の赤鬼と、あぜ道で激突した。


「──グォオオオオオッ!」


「おぉっと」


 赤鬼が振り回してくる棍棒の攻撃を、俺は軽快に回避する。

 ぶんぶんと何度も攻撃してくるが、まったく当たる気がしない。


 一撃でも受けたら決定打という暴風のような攻撃も、当たらなければどうということはないのだ。


「今度はこっちの番だ!」


 俺は折を見て赤鬼の懐に踏み込んで、まずは刀を一閃。


 赤鬼の、筋肉の塊のような腹部をものともせずに深々と断ち切ると、そこから血が噴き出した。


 深入りはせずに、俺はバックステップで一度後退。


 大ダメージを受けた赤鬼は、怒り狂って棍棒を振り回してくる。


 もちろん俺には、一発も当たらない。

 慎重に見ていけば、すべて問題なく回避できる。


 すると業を煮やしたのか、赤鬼は棍棒を捨てて、素手で俺につかみかかろうとしてきた。


 前かがみになってつかもうとしてきたところを、俺は素早く赤鬼の脇をすり抜けて背後へ。


「こっちだよ!」


 俺を見失ったらしき赤鬼。

 俺はその赤鬼の背中を、斜め十字に二度斬りつけた。


「グォオオオオオオッ……!」


 背中から激しく血を噴き出した赤鬼は、悶絶の叫びをあげると、前のめりにずしんと倒れる。

 その巨体は、やがて魔石を残して消え去った。


「ふぅっ、赤鬼退治終わり。あとは──」


 俺はそのまま、小鬼の群れと戦っている彩音のほうへと向かう。


 交戦中のあぜ道までたどり着くと、薙刀を手にした巫女装束の少女をかばうように、彼女の前に出た。


「と、刀悧さん……あなた、一体……!?」


「これはあなたに恵んでもらったおにぎりのお礼です──なんてな!」


 俺は刀を三度振るい、最初の一撃で二体の小鬼をまとめて、次の二撃でそれぞれ一体ずつの小鬼を真っ二つにした。


 上下に分かれた小鬼たちも黒い靄になって消滅していき、あとには魔物たちが残した魔石だけが残った。


「よし、一丁上がりと」


 見える範囲の魔物は、すべて倒した。

 俺は刀を一振りしてから、鞘に収める。


 そういえば、日本刀は数人斬ったら刃こぼれがどうとか脂がどうとかで斬れなくなるなんて聞いたこともあるけど、そんな様子は微塵もなかったな。


「す、すごい……刀悧さん、とんでもない達人だったんだ……」


 彩音は呆然とした様子で、俺のことを見つめていたのだった。



 ***



 その後、彩音は梨乃のもとに駆けつけ、重傷を負った忍者装束の少女に治癒の術を施して治癒した。


 次に俺たちは、すっかり回復した梨乃を先頭に、魔物たちの足跡を追って森の中を探索する。


 すると一つの洞窟にたどり着いたので、俺たちはその洞窟へと踏み込んだ。


 洞窟はあまり深いものではなく、すぐに終点へとたどり着いた。


 洞窟の終点には、何やら禍々しくうごめく黒い靄があった。


 地面と垂直に立ちのぼる直径三メートルほどの黒い円盤状の靄は、まるで何かの出入り口のようだ。


 それを前にして、梨乃が俺に説明する。


「……これが『異界の門』。絶対に入らないでね、刀悧。この向こう側に行って帰ってきた人は、誰もいないから」


「……マジで?」


「……うん、マジで」


 梨乃はそう言って、「異界の門」が地面と接するあたりにあった禍々しい宝珠を、苦無を使って破壊した。


 すると「異界の門」は消え去り、その場はただの静かな洞窟となった。


 梨乃は壊した宝珠の欠片を拾って、懐から取り出した巾着袋に入れる。


「……これで、魔物退治は完了。刀悧も彩音も、お疲れ様」


「はーっ、終わったぁ。今回は大変だったぁ。死ぬかと思ったよ」


 彩音が大きく息を吐き出す。

 それを見た梨乃が、淡く微笑む。


「……本当にね。ていうか刀悧がいなかったら、ボクも彩音もきっと今頃あの世に行ってるよ。小鬼退治だと思って来たら大鬼二体に遭うとか、運が悪すぎる」


「そういうことって、結構あるのか?」


 俺が聞くと、梨乃はこくんとうなずく。


「……そりゃね。魔物発見の報告をするのは村の人とかだから、なくはない。村人が見たのが小鬼だけなら、依頼は小鬼退治になる」


 そんな話をしながら、俺たちは洞窟を出る。


 すると彩音が、洞窟を出たところで、俺に向かって深々と頭を下げてきた。


「刀悧さん。この度は本当に、ありがとうございました! 刀悧さんがいなかったら、私も梨乃も今頃、この世にはいませんでした」


「……ボクからも。ありがとう、刀悧。ボクが大鬼に頭からかじられずに済んだのは、刀悧が助けてくれたおかげ」


「い、いや、そんな。こっちこそおにぎりとたくあんと味噌汁を恵んでくれて、ありがとうございました。二人は命の恩人です」


 俺もまた、彩音と梨乃の二人に向かってぺこぺこと頭を下げる。

 日本人なものだから、こうして頭を下げるのは習性のようなものだ。


 するとそれを見た彩音と梨乃が、くすくすと笑う。


「刀悧さんって本当に、変な人だね」


「……うん。でも、ボクは嫌いじゃない」


「それは私だってそうよ。──ねぇ、梨乃」


「……ん?」


 彩音が梨乃に、何やら耳打ちをする。

 梨乃はふんふんとうなずいてから、彩音に答える。


「……そんなの、ボクは賛成としか。刀悧次第だよ」


「そうだね。──ねぇ、刀悧さん」


 そう言って彩音は、俺に向かって手を差し出してきた。


「もし良かったらなんだけど──これからも私たちと一緒に、浪人をやってくれませんか?」


 さらに梨乃が、追随する。


「……ボクも刀悧と一緒なら、心強い。刀悧が嫌じゃなかったら、お願いしたい」


「もちろん浪人としての腕は釣り合わないから、ずうずうしいお願いをしているのは分かっているわ。報酬配分次第というなら、それも考える」


 二人からそう言われた俺は、ふと考える。


 今回は半ば、流れのままに二人についてきて、魔物退治をすることになった。


 彩音の提案は、それを今後とも一緒にどうですかというお誘いだ。


 さてどうしようかと考えるのだが──実のところ、あまり考えることもない気がした。


 俺は二人のことを気に入っていたし、この世界のこともまだまだ知らないことのほうが多い。

 この二人に、これから先も水先案内人をお願いできるなら、願ったり叶ったりだ。


「うん、分かった。むしろ俺のほうからお願いしたいぐらいだ。彩音、梨乃──これからもよろしく」


 俺は彩音の手を取り、握手をする。

 彩音は満面の笑顔を見せた。


「うん。よろしくね、刀悧さん」


「……ボクも、よろしく」


 さらに梨乃も手を差し出してきたので、同じく握手をした。




 ──こうして俺は、二人の少女とともに、この異世界で「浪人」として生きていくことになった。


 俺はこの後も、この異世界であれやこれやと厄介事に巻き込まれることになるのだが──それはまた、別のお話である。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 連載化は…
[良い点] 体のラインが見えにくいはずの巫女服(和服全般)の上から察することがてきるとは、流石剣豪さんや! いいと思います。 [一言] 和風ファンタジー最高だと思うんですよ。 魔物であって妖怪じゃな…
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