Avere una torta di mele. 林檎のパイを召し上がれ II
「一人の人物なのですから、いろいろな側面はありますよ。一言では言えない」
かなり間を置いてからバルドヴィーノはそうと答えた。
「ただ為政者として、私情より種族としての利益を優先すべきだろうと必死で思っている方なのは確かです」
バルドヴィーノはそう言うと、何か思い出しでもしたのか、息を吐くようにして笑った。
「まあ、元々こちらの王族は、魔力の強さで力を誇示し権力を得て来た一族だ。好戦的な面をお持ちなのは否定しませんよ」
「優しい方という訳ではないのか」
「優しさの定義と、その優しさをどこに向けるかの問題なのではと」
そうバルドヴィーノは言った。
「あなたの兄君もそうでしょう?」
ランベルトは、微笑を浮かべ話す従者の顔を真っ直ぐに見た。
兄への一方的な非難かと思い目を眇めたが、特に貶めたいという表情ではないようだ。
「あなたにとっては守ってくださるお優しい方かもしれないが、使役されている者たちにとっては、非情な主人だ」
バルドヴィーノは言った。
「まして我らにとっては、同族同士の戦いを嗾け、種族の存続を邪魔する悪魔そのものだ」
「……子供ではないのだ。立場によって見方が変わることなど知っている」
ランベルトは言った。
従者から顔を逸らし、相変わらず黒い雲が渦巻く外の景色を見詰める。
「たが屋敷の使用人達は、この事には全くの無関係だった。あんなおぞましい扱いをしたことは、どちらの立場になっても正当性などない」
「ごもっとも」
冷静にバルドヴィーノはそう言った。
「だからこそお屋敷の件は、ダニエラ様とは全く関係のない、ただの怪異として受け取っていただけるよう演出した」
ランベルトは眉を寄せた。
従者の方をじっと見て、非難の表情を向けた。
「話が元に戻ってしまいましたね」
バルドヴィーノは苦笑した。
「……怒らせたいのか」
「いいえ」
そうバルドヴィーノは言った。
「今さら弁解するつもりはありません。こちらに出来るのはもう、あなたの同情を買うか、あなたを脅すか、いずれかの方法で協力を請うことだけだ」
「脅しになど誰が乗るか!」
ランベルトは激高した。
暫く何も口にしていないため軽い貧血を起こしたが、平気なふりをした。
「今すぐ殺すと言われても、協力などしない」
バルドヴィーノは、ランベルトの顔を凝視した。
無言でじっと見詰めていたが、ややしてから口を開く。
「せっかく兄君が守ってくださった身だ。そう命を投げ出すことばかりを前提に考えることも無いでしょう」
そう言うと、踵を返す。
「その果物は。あちらの世界から調達したのか?」
パイの皿の横に立つ女官に、バルドヴィーノは問いかけた。
女官は無言で頷く。
「変わった調理法だ。どんな風に作る」
「林檎を切って、パイ生地で包んで焼くんだ」
腕を組み、窓際の壁に背を預けてランベルトは言った。
意外そうな顔でバルドヴィーノが振り向く。
「良家のご子息が料理の手順を知っているなど珍しい」
そう言い苦笑した。
「そちらの風習ではそんなものなのですか?」
「いや……私がたまたま知っていたというだけだ」
兄は全く知らなかった、と続けそうになり、ランベルトは口を噤んだ。
「新しい厨房係でも入ったのか?」
バルドヴィーノは手近な女官にそう訪ねた。
女官達がにっこりと微笑む。
「結構。ランベルト君も、こちらの料理ばかりでは気が立つ一方だろう」
そう言うとバルドヴィーノはパイをじっと見た。
「……ご無礼ながら、一切れ頂戴しても宜しいですか」
「勝手にすればいい」
眉を寄せランベルトは吐き捨てた。
「切り分けてくれ」
女官にそう言い付け、バルドヴィーノは一切れ受け取った。
ゆっくりとその一切れを平らげる。
「成程」
品の良い感じで指先を舐め、バルドヴィーノはそう呟いた。
「では。ランベルト君」
そう言い、カツカツと靴音をさせ出入口に歩を進める。一礼して退室した。
廊下を遠ざかって行く靴音をじっと目で追ってから、ランベルトは女官達に目線を移した。
女官達はテーブルの両脇に並び、カーテシーに似た仕草で膝を折っていた。
「君らも下がっていいよ」
やや顔を逸らし気味にしランベルトは言った。
手前の女官がにっこりと笑いかけ、無言で林檎のパイを手で指し示す。
「悪いが要らん」
ランベルトは言った。
バルドヴィーノとは違う別の誰かの指示を受けているのかと認識した。
この城中で自身を向こうの世界の料理で持て成すほど好意的に見ているのは、あの従者くらいのような気がしていたが。広間にいた諸侯の中にでもいたのだろうか。
「何という方の指示で来ている」
ランベルトは問うた。
「それともダニエラ殿か? 懐柔策にでも出たか」
女官達は無言でにっこりと笑った。
言えない理由でもあるのだろうか。ランベルトは軽く眉を寄せた。
女官のひとりがパイを切り分けて皿に乗せ差し出す。
「君たちには悪いが、本当に要らん」
そうランベルトは言い、顔を逸らした。
なおも女官はにっこりと品良く笑い、鼻先にパイを差し出す。
「せめてもの意地なんだ。通させてくれ!」
林檎のパイの甘ったるい匂いとシナモンの香りが鼻を突いた。
空腹の腹に堪えた。
だがそれ以上に、林檎のパイで思い出してしまった兄との遣り取りが次々と脳裏を掠め、ランベルトは滲みそうになった涙を堪えた。