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コシュマール ~薔薇の心臓~  作者: 路明(ロア)
Episodio tredici 心臓を動かす手
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Mani che muovono il cuore. 心臓を動かす手 III

「……読んだとは言っていました。そのときはお伽噺(とぎばなし)か何かだと思っていたと」

「最後まで読んだのかな」

 ガエターノはそう言い、外套の襟元を直した。

 外套を脱ぐのかとランベルトは思ったが、そのつもりは無いようだった。

 すぐに退室するつもりなのか。

 ゆっくりと窓際に向かった叔父の動きを、ランベルトは目で追った。

「我々の先祖に当たるギレーヌという女性は、「悪魔」とされた種族の人だったのだが」

 静かな口調でガエターノは語り始めた。

「同族の心臓を破壊する能力ゆえに忌み嫌われ、結局、種族が移住したこちらの世界に来ることは無かった」

 窓の外の暗く陰鬱な景色を、ガエターノはじっと見ていた。

「我々の世界の方に残り、コンティの先祖に当たる人物と一緒になった」

「……そこまでは兄に聞いています」

 そうか、とガエターノは頷いた。

「だが、ギレーヌは覚書にこう書いている。“ 心臓を破壊するのではなく、動かす能力なのだ ” と」

 ランベルトは顔を上げ、叔父の後ろ姿を見た。

 軽く眉を寄せる。

「「悪魔」とされた種族は、どういう訳か古来から、心臓が突然停止し若くして死に至る者が多かったそうだ」

 ガエターノは言った。おもむろに窓に背を向けこちらを向く。

「ギレーヌは、健康な心臓を攻撃する能力ではなく、停止した心臓を圧迫して蘇生させる能力なのだと主張していた」

「使い方が違うのだと……?」

 ランベルトは眉を寄せた。

「ギレーヌの主張によればだが」

 ガエターノはゆっくりと腕を組んだ。

「個人的には、理に適っていると思っている。同族殺し以外に目的の無さそうな能力よりも、同族を治癒する能力の方が、種族の中には現れやすいような気がする」

 ランベルトは無言で目を伏せた。

 あまりそういう方面に詳しくはない。

 博物学を研究する者の言う、進化という概念の話ということで良いのか。

「だが、結局こちらの種族は、ギレーヌと同様の能力を持つ者を全て迫害し排斥した」

 ガエターノは言った。

「心臓が突然停止する病の解決法は今もまだ無い。種族の数も減り、今となっては墓を管理するのもままならないらしい」

 窓の方を振り向き、ガエターノは言った。

 以前この世界に来た時に、荒れ果てた墓地が広がっていたのを見た気がする。

 叔父の目線の方角に見えるのだろうかとランベルトは思った。

「ギレーヌが覚書のタイトルに選んだ『悪夢(コシュマール)』は、同族のこういった未来を予想した言葉だよ」

 静かに声音を落とし、ガエターノは言った。

 ランベルトは、無言で床に敷かれた薄い絨毯を眺めていた。

 玉座のあった広間と同様、コンティの屋敷のものに比べれば薄く、古い製法の絨毯に見えた。

 数百年前までは、この世界の住人は、本当に同じ世界で共存していたのだと生々しく受け取ることが出来る。

「……そのギレーヌの主張を信じるのであれば、彼女の子孫であるコンティの者も、(ことごと)く間違った能力の使い方をしていたことになりますが」

「そうだな」

 静かな口調でガエターノは言った。

「彼女は、それは知っていたのですか。(とが)めはしなかったのか」

「そこまで記されてはいなかったが」

 ランベルトの顔を暫くじっと眺めると、ガエターノは落ち着いた口調で言った。

「今では、その能力を持つ者はお前だけのようだよ、ランベルト」

 絨毯を見詰め、ランベルトは軽く眉を(ひそ)めた。

 ガエターノが腕を組み脚を交差させる。衣擦れの音が、静かな部屋では意外なほど大きく聞こえた。

「どうする」

「どうするとは?」

 言葉の意味に気付きつつも、ランベルトはわざとそう尋ねた。

 まさか協力しろなどと言うつもりはあるまい。そういう意味での、叔父に対しての牽制だった。

「彼らは、お前のその能力に期待して、ここに連れて来たのだと思う」

 ガエターノは言った。

「まあ、ギレーヌの主張に懐疑的な者も多いようなので、彼らの一部の者というのが正確なところだが」

「何ですか、それは!」

 ランベルトは激高した。

「同情して助けてやれと? 彼らは、屋敷の使用人を何人も酷い方法で死に至らしめたのですよ!」

 視界が真っ赤になったように錯覚する。怒りで目眩がしそうだった。

 激しく渦巻く怒りをぶつける場所もなく、ランベルトは絶叫した。

「兄まで……!」

 そう叫んだところで、(のど)が詰まった。

 激し過ぎる怒りを吐き出すには、人の身体はか弱すぎる。

 ランベルトは喉を抑え、感情が何とか収まるのを待った。

「今更そんな話は知る訳が無いでしょう」

 ランベルトは言った。

 ガエターノは、あまり歳の変わらない甥の様子をじっと見ていた。

 自身がこの事態の引き金になったことについて、本当のところはどう思っているのか。

 平然としているように見えるこの叔父にも、ランベルトは怒りを感じていた。

「……彼らは私を人質にして、コンティを足掛かりに元の世界にまた移り住むつもりなのだと兄は見ていましたが」

「そういうつもりの者もいる」

 冷静な口調でガエターノは言った。

「……私が病の解決に協力すれば、どちらにしろそうなるのでは」

「そうだな。おそらくは」

 ガエターノは言った。

 何を冷静に言っているのかと、ランベルトは奥歯を噛んだ。

 血筋が近く、年齢もあまり変わらないこともあって、一族の中では親しくしていたつもりの叔父だったが、いつの間にかこんな訳の分からない人間に成り下がっていたとは。

「彼らにお伝えください、叔父上。協力する気は一切無いと」

 声音を落とし、ランベルトは言った。

「滅びろと」

 言ってから、兄パトリツィオがダニエラに同じ台詞を言っていたのを思い出した。

 霊として自分の元に現れたときには、兄は既に結論を出していたのだと思った。

 どんな事情が絡んでいるのであれ、彼らには滅んで貰うしかないのだと。

「兄は、彼らが我々を、鳥か兎のようにしか見ていないと言っていた。意思の疎通はあっても、根本的には利用すべき別の生物としか見ていないと」

 ランベルトは言った。

「そんなものに手を貸したあなたも愚かだ」

 ガエターノは、暫くじっと甥を見下ろしていた。

 落ち着き払って僅かに目を伏せた表情は、何を考えているのか読み取ることは出来なかった。

「知っていることは伝えた」

 そう言うと、ガエターノはコツコツと靴音を立て、扉の方に向かった。

「お前がコンティの次期当主として、どう結論を出そうが口出しする気はない」

「あなたに口出しする権利など無い!」

 ランベルトは声を荒らげた。

「私がどんな立場だろうが許さない!」

 ガエターノは振り向かず、静かに扉を開けた。

「コンティとしての結論に、私への配慮は不要だ。いないものとして考えてくれ」

 眉を(ひそ)め、ランベルトは叔父の背中を見た。





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