Benvenuti negli incubi. 悪夢へようこそ I
古い石造りの城の廊下は思うほど足音は響かず、どこか不自然に音が吸い込まれている感があった。
足元は真っ暗で、左手に並ぶ大きな窓から見える、不気味な雲の渦巻く景色が辛うじて進路の手がかりになっていた。
所々の燭台に灯りが灯されていたが、あまり周りを照らしてはおらず、目がおかしくなったのかと錯覚する。
バルドヴィーノに伴われ歩きながら、ランベルトは何度も目を意識的に見開き、光を正確に感知しようと試みた。
「人質のようになってしまいましたが」
バルドヴィーノは苦笑した。
「人質だろう」
声音を落としランベルトは言った。
「どんな扱いをされたとしても、兄をあんな風にしたお前たちに、もう味方する気はない」
「兄君は、始めから消滅も覚悟の上の行動だったのでしょう」
バルドヴィーノは言った。
「思えば、だからあなたに素性を明かしたがらなかったのか」
以前、自分は事が解決すれば冥界に戻る身だからと言っていたのを思い出した。
全て終わったのちは、素性不明の霊として忘れた方がいいと。
消滅させられることも有り得ると想定した上での言葉だったのか。
ランベルトは唇を噛んだ。
堪えていなければ、この場で涙を溢してしまいそうだった。
自分とてコンティの次期当主だ。
兄が霊となってまでも果たそうとした跡継ぎ息子としての役割を、引き継いだ者だ。
せめて凛としてコンティを守り抜いてやる。
ランベルトは、前ポケットの拳銃を確認した。
「コンティの、心臓を破壊する者は」
バルドヴィーノが口を開いた。
何か勘繰られたかとランベルトは僅かに肩を震わせた。
「そのままで能力を発揮していた者もいたが、大抵は何らかの武器を媒介していた」
石造りの床に、くぐもった足音が響いた。
「ただの人間の弾丸なら魔力で防ぐことも出来るが、コンティの能力者の弾丸は、魔力でも中々避けられない上に、別の世界に逃げても直接心臓を破壊されるのでやはり恐ろしい」
バルドヴィーノは言った。
「正直なところ、だから殺すべきという考えと、夫にせよ人質という形にせよ味方に引き入れ、女王の頼もしい側近になって貰うべきという考えとで、我々も意見は割れていた」
ランベルトはポケットの中の銃に触れたまま、顔を強張らせた。
「まあ、コンティと対峙していたのは何代も前の者達なので、私とて先祖の記憶を移した道具でしか知識は無いのですが」
「道具……」
「我々は、元々少々の魔力を持つ種族ですからね。記憶や知識を水晶などに移して伝えたりする」
バルドヴィーノは言った。
「書物や覚書などは使わないのか」
「それも使います。だからこそギレーヌは、覚書という形であなた方子孫に知識を伝えることを思い付いた」
前方に向き直り、バルドヴィーノは言った。
「悪魔使いの催眠の魔力も、心臓を破壊する能力も、どちらもギレーヌが持っていた魔力だ」
石畳に静かに足音が響いた。
「二つの異なる能力を持つ、しかも同族の心臓を破壊する能力を持つギレーヌは、正直なところ種族の中では忌み嫌われていたようです」
「能力は一つなのが普通なのか」
「まあ、大抵は」
バルドヴィーノは言った。
「ギレーヌ以降のコンティの能力者は、兄君のような悪魔使いか、心臓を破壊する者かの必ずどちらかでしょう?」
そう言えば、コンティの能力は二通りあると兄が言っていたかとランベルトは思った。
「かつてのコンティは、必ずこの二つの能力者が組で悪魔払いをしていたそうです」
ランベルトは顔を上げ、美貌の従者の顔を見た。
「まあ、単に単独での戦いを避けただけかもしれませんが」
バルドヴィーノは言った。
「屋敷を出る際、あえて銃を持って行くよう言ったのは兄君では?」
ランベルトはゆっくりと顔を逸らし、黙っていた。
「やはり兄君は、あなたの能力に気付いていらっしゃったのでは」
「“ わざと人殺しをさせようとした ” という貴殿の言葉を兄は否定していた。銃は単に護身用として持たせたのだと思う」
ランベルトは言った。
「私の能力について知っていたのだとしたら、隠す理由などないだろう」
「兄君の死因は何です」
こちらの顔を伺うように見て、バルドヴィーノは言った。
「ある日突然、心臓が止まったのでは」
ランベルトは横目で従者を見た。
ダニエラも兄の死因を話題にしていた。
「だとしたら、ギレーヌの血は残酷だ」
バルドヴィーノは小さく溜め息を吐いた。
「あなたのような優しい方まで、本物の「悪魔」として生まれさせてしまった」
「……あなた方の惑わしには乗らない。その可能性があるのなら、過去にもコンティ同士で死に至らしめてしまった事例があるはず」
「成程」
バルドヴィーノは言った。
「何故、ギレーヌの書いた覚書のタイトルが『悪夢』だったのかと思ったのですが」
「悪夢?」
「『コシュマール』とは、悪夢という意味ですが」
ランベルトは、おもむろに顔を上げた。
窓の外は相変わらず薄暗く、黒い雲が渦を巻いていた。
音は無く、先程から動いている者らしきものも見えない。
「ここの景色のことを言ったのでは」
「ここの景色は、悪夢のようですか」
バルドヴィーノは微かに苦笑した。
「私の感覚に照らし合わせれば。悪い夢の中のような景色だ」
ランベルトは言った。
「昼にはもう少し違うのか?」
「昼も夜もありません。ずっとこんな感じです」
バルドヴィーノは言った。
「だからこそ、こちらに移り住んだ私達とあなた方は、種族としてどんどん離れて行ったのかもしれませんね。昼と夜があって太陽があるのと無いのとでは、身体の影響は相当違うらしいですから」
ランベルトは、返事をせずに歩を進めた。
「どこに行くんだ」
「まずは、我らの女王陛下に面会を」
バルドヴィーノは言った。
「……心臓にダメージを受けた訳ではないのか」
「すんでの所でお助けしました」
ランベルトは唇を噛んだ。
彼女の命を奪い切れてさえいれば、兄を消滅させずに済んだ。
話し合いなどと甘いことを言っていたのを後悔した。