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コシュマール ~薔薇の心臓~  作者: 路明(ロア)
Episodio dodici 背後の鮮烈な薔薇
53/78

Grim reaper di rose. 薔薇の死神 I

 静かになった室内。

 アノニモは、おもむろに背中から離れた。

 僅かにランベルトは後ろを向いたが、顔を見ても良いものかと迷った。

 頑なに素性を隠すのは、何か理由があるのだろうと思うようになっていた。

 ここまで助けてくれた行動を考えれば、少なくとも自分とコンティに悪意を持っている者という訳ではないだろう。 

「フランチェスカは……大丈夫だろうか」

 前を向いたままランベルトは言った。

「今のところは、この部屋の外では何が起こっているかすら分からないだろうな」

 アノニモは言った。

 離れる間際、ハーブと小麦粉菓子のような香りがした。

 この香りに本当に覚えがあるのだが。

 誰の香りだったか。

 カシャン、と軽い破裂音がした。

 侍女たちの顔や細い手にそれぞれ(ひび)が入り、そこから弾けるように粉々になり床に崩れた。

「こちらの方が、フランチェスカには言い訳しづらいではないか」

 床に散らばった陶器の破片をざっと足で払い、アノニモは言った。

「フランチェスカ……?」

 ランベルトは呟いた。呼び方に何か引っ掛かった。 

「フランチェスカ " 殿 " だ」

 敬称を強調し、アノニモは言った。

 ランベルトの方に背中を向け、室内をゆっくりと歩く。

「あの薔薇が分身とは、どういうことだ」

「多分、女王様の異体のひとつは黄色い薔薇だ」

 ピンと来ずに、ランベルトはアノニモの背中を見詰めた。

「以前、従者が鷲に姿を変えていただろう」

 ああ、とランベルトは頷いた。

「別の姿をいくつか持つのだったか」

 前方に立ち守ってくれていた二人の悪魔が、剣の構えを解いた。

 まだ鞘に納めはしなかったが、取りあえず力を抜いた感じだ。

「我々とは随分違うように感じるが。本当に共存していた時代があるのか?」

「違う世界に離れて代を重ねるうちに、どんどん特性が離れていったのだろうな」

 アノニモは言った。

 アノニモを鎌から守っていたドレスの女性たちは、部屋の隅の方で膝を折り(かしず)いていた。

「お前は、そういったことをどこで知った。先祖のギレーヌは既に転生して会っていないと言ったが」

 ランベルトは言った。

「それくらいは教えてくれてもいいだろう?」

 アノニモは向こうを向いていた。

 ややしてから言葉を選ぶようにして言った。

「前に少し話したと思ったが。ギレーヌと夫が書いた覚書だ」

 ああ、とランベルトは言った。

「古フランス語と、ガリア語で書かれたものと言ったか」

「 “ Cauchemar (コシュマール)” だ」

 アノニモは言った。

「あれを何度か見た。生前にも。お伽噺(とぎばなし)ではなく、現実を書いたものだと知ったのは死後だが」

「何が書いてある」

「全てだな。「悪魔」とされる者たちが別の人類であること、ギレーヌの時代から少しずつ別の世界へと移住して行ったこと、コンティの悪魔払いの能力は、彼らと同じ血を引いているがゆえのものであること」

 アノニモは腕を組んだ。

「彼らの移住先の世界のこと、彼らの王族、貴族について」

 アノニモは淡々と挙げて行った。

「「悪魔」がいなくなれば、時流から言ってもコンティは悪魔払いをやめて行くであろうが、コンティに遺恨を持つ彼らが、いつか何か仕掛けて来る可能性もあると思ったのだろう」

 ランベルトを守る悪魔のうちの一人が、ふとこちらを見た。

 他意はないように見えたが、何気なくランベルトは目を合わせた。

「ガエターノ叔父上が、その覚書を持って行ったのは?」

 靴音をさせ再び寝台の方に行ったアノニモに、ランベルトは尋ねた。

 アノニモは暫く無言だった。

 答えたくないのだろうかとランベルトは思った。

「なぜ奴らが、七百年も経ってからちょっかいを出して来られたと思う」

 アノニモは言った。

「元々住んでいた世界とはいえ、七百年間も代替わりをしていたら、こちらの勝手などあまり分からん。こちらの世界にかつて居たということすら、今となってはどれだけ伝え聞いていたのか」

 ドレスの女悪魔たちの元に、再びアノニモは戻った。

 女悪魔たちが(こうべ)を垂れる。

 三人ほどの女悪魔が立ち上がると、アノニモの仮面を付けていた辺りを気付かうように手を添えた。

「コンティ側で、奴らのことを手引きした者がいるからだ」

 アノニモは言った。

 ランベルトは眉を寄せアノニモの背中を見た。

 親戚の者の顔を思い出せる限り思い浮かべたが、これだと思える者はいなかった。

「誰だ」

 アノニモは、向こうを向いたまま無言で腕を組んだ。

「……叔父上?」

 ランベルトは言った。

 覚書を借りて行ったという形だが、今のところ他にこの件に関わっているのは叔父のガエターノくらいか。

 試しに問うてみたが、まさかそんな訳はと思っていた。

 アノニモが否定してくれるのを期待した。

「そう。ガエターノだ」

 静かにアノニモは言った。 

 一連の騒ぎが起こる少し前、屋敷を訪ねて来ていた叔父の様子をランベルトは思い浮かべた。

 特に悪意を向けられているようには感じなかったが。

 夕飯を勧めたが、確か一人娘のクラリーチェが待っていると言って帰って行ったのだったか。



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