La rose vivido dietro. 背後の鮮烈な薔薇 II
一斉に伸ばされた侍女の腕を、二人の従者姿の悪魔は巧みな動きで薙ぎ払った。
カシャンカシャンという軽い音が、止めどなく周囲から響き、床はあっという間に陶器の破片だらけになった。
踏みつける二人の悪魔の靴の底が、ジャリジャリと音を立てる。
腕を切り落とされた侍女はその場で立ったまま粉々に割れた。
侍女達の背後の空間に黄色い薔薇がいくつも咲き、それぞれに新たな侍女の姿になる。
切りが無いのでは。
ランベルトはアノニモの方を見た。
いまだ予想の付けにくい軌跡で切り掛かる鎌を防いでいた。
「ダニエラ殿!」
ランベルトは叫び、拳銃を両手で真っ直ぐに構えた。
侍女達の後ろから覗くダニエラの赤い瞳を狙う。
だがすぐにまた躊躇して、狙いを床に移した。
撃鉄を起こし引き金を引く。
撃った衝撃で銃身が跳ねるようにぶれた。
床に落ちた侍女の腕の破片が弾け飛び、硝煙が辺りに濃く漂う。
「やめてくれ、ダニエラ殿」
ランベルトは言った。威嚇のつもりだったが、通じたか。
「話し合いなら応じる。譲歩できる部分があれば考える。アノニモの素性は確かに分からんが、ここまで私を助けてくれた。消滅などさせる訳にはいかない」
「取り引きをしませんこと? ランベルト様」
涼しげに響く声でダニエラは言った。
「消滅に追い込むのを黙って見逃してくださったら、アノニモとやらの本当の名を教えて差し上げますわ」
ぽかんとして、ランベルトは表情の乏しい美しい顔を見詰めた。
「ええと、それは」
銃身を下ろし、戸惑う。
「アノニモの名を知って……?」
「もちろん存じていますわ。お顔を拝見したこともあると先程お話ししませんでした?」
どこか話がおかしい気がするのだが、ランベルトはアノニモの方をちらりと見た。
「馬鹿者!」
アノニモが寝台の枕を掴み投げ付けた。
絶妙のタイミングで、二人の悪魔が上体を屈める。
程よい重さの枕は、ランベルトの顔に見事にヒットした。
「迷う話か! 馬鹿者が!」
ダニエラが甲高い声を上げて笑う。
「なんとまあ、枕を投げ付けるとは可愛らしい。ランベルトに対する生前の接し方がよく分かるわ」
「……すまん。名前を教えてくれるという方に気を取られた」
額を抑えランベルトは言った。
ふとダニエラの言葉を頭の中で反芻し、顔を上げる。
「生前のアノニモは、私と接していたのか……?」
妖しげな笑みを浮かべるダニエラを見詰めた。
チッとアノニモの舌打ちが聞こえた気がした。
「誑かしだ。本気に取るな」
もう一度ダニエラは笑い声を上げた。
「せっかく消滅させた後に名前を聞かせ、ランベルトを絶望させてやろうと思ったのに」
「ほらみろ、そういう女だ」
降り下ろされた鎌を避け、アノニモは女悪魔たちの後ろで上半身を屈めた。
侍女たちを破壊しても、次の者が入れ代わり立ち代わり鎌を手に取り襲って来ているようだった。
「名を聞いても聞かなくても、私のために消滅などしたら絶望する」
ランベルトは言った。
再び空中に、いくつもの黄色い薔薇が咲いた。
人形でもまだ撃ち抜くには躊躇いがあったが、薔薇なら平気かもしれないと思った。
床に、薬包に包まれた弾丸がいくつか落ちていた。
アノニモが拳銃と一緒に放って寄越したのだとランベルトは気付いた。
屈んで一番近くに落ちていた弾丸を拾う。
槊杖を銃口に入れ、包みごと弾丸を込める。
「すまん」
従者姿の悪魔の肩に腕を乗せると、ランベルトは薔薇に狙いを定めた。
轟音が耳を劈き、身体が腕ごと後ろにぶれる。
濃い硝煙が白く目の前を覆う。
ビシッという微かな音かし、いくつかの薔薇が金色の花弁を空間に散らした。
ダニエラを囲んで守っていた侍女達が、無表情のまま背後を振り向く。
ダニエラは無言でこちらを見ていた。
陶器の割れるような軽い音が聞こえ、長い時間響いていた。
どこからの音だろうかとランベルトは目線で音を辿った。
ダニエラのいる辺りではと気付き、表情の無いダニエラの顔をじっと見る。
ぐらり、とダニエラの首が傾いた。
侍女達がドレスの両側をからげ、ダニエラから二、三歩離れる。
ダニエラの首はごとりと落ち、ごろごろと床を転がった。
白い顔に黒い絹糸のような髪が巻き付く。
残された身体が肩からがらがらと崩れ、立ったまま陶器の粉になり崩れ落ちた。
床を転がるダニエラの首が、暫くして止まる。カシャンと軽い音を立て弾けるように割れた。
動作を固まらせてランベルトは凝視していた。
想像外の光景に、どう判断していいのか分からない。
「ダニエラ殿……?」
「だから、あれは人形だと言ったではないか」
いつの間にか後ろにアノニモがいた。
ランベルトの両肩に手を置き、耳の傍で諭すように言った。
「弾丸を込め直せ、ランベルト」
アノニモは言った。
ランベルトは頷き、床から拾った弾丸を銃口に込め直した。
今、振り向けばアノニモの素顔が見られる。そう思った。
だが、どうしても素性を隠したいのだろうか。
背中にぴったりと貼り付くようにして両肩に手を添えているのは、自分をしっかりと守るためなのか、それとも振り向かれないようにするためなのだろうか。
アノニモはランベルトの腕を取ると、ダニエラの残骸の方に銃口を向けさせた。
再びランベルトは空間に咲いた薔薇に狙いを定めた。
「そこではない、ランベルト」
アノニモは言った。
「その薔薇は分身だ」
侍女達が、崩れたダニエラの残骸の前で構えた。
見えない何かを守るように、両腕を広げる。
「後ろ」
鋭い声でアノニモは言った。
「背後の人形使いを狙え!」
支えるように、銃を持った手の下にアノニモが手を添えた。
直感的に、それが合図だと思った。
ランベルトは真鍮の引き金を引いた。
反動で大きくぶれた身体をアノニモが背後で支える。
何もない空間に、弾丸が食い込むようにして消えた。
部屋いっぱいに黄金の薔薇の花弁が散らばる。
心臓の鼓動のような音が微かに聞こえ、甘い香りが漂った。