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コシュマール ~薔薇の心臓~  作者: 路明(ロア)
Episodio undici 鎌のような月
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Luna come falce. 鎌のような月 IIi

 ダニエラは無言で仮面の顔を見上げていた。

 ややしてから、いかにも嫌そうに目を眇めアノニモを見る。

「お前のお陰でどれも失敗だ。毒は吸い出されてしまうし、助けがあったことで恐怖も絶望も薄れてしまった」

「なん……」

 ランベルトは目を見開きダニエラを見据えた。身を乗り出し、強張った口調で言った。

「本当の話なのか、ダニエラ殿」

「それも悪ふざけだと思いましたか?」

 アノニモが肩を揺らし笑う。

 ダニエラは無言でランベルトを見詰めていた。

 (あご)を突き出すようにして、見下しているようにも、突き離そうとしているようにも見える表情をした。

 追及に困り、ランベルトはアノニモの顔を見上げた。

 アノニモは真顔でこちらを見返した。

 これは悪ふざけではなく、責めて良いのだと示すように目を合わせた。

「それが本当なら、あなたは使用人の命を何だと思っているのか」

 ランベルトは言った。

「ご自分の命は、それ以上に危なかったのですが。責めるならまずそちらを責めなさい、ランベルト」

「いや、だが」

「ランベルト様、そういうお優しい所が好きですわ」

 (のど)の奥を鳴らしてダニエラが笑う。

「意訳すると、“お人好しで扱いやすい” です」

 アノニモはそう言った。

「ランベルト様の兄君が、戯言(ざれごと)がお好きで(したた)かな性格の方とは聞いていましたわ。お陰であの状況でも、ランベルト様の恐怖も緊張も薄れたこと薄れたこと」

 ダニエラは扇で口元を扇いだ。

「なぜ関係のない兄君の話が出るのか、さっぱり分からないが」

 アノニモは肩を竦めた。

「追い詰めた目的は、ランベルトの能力」

 アノニモはそう続けた。

「え……」

 ランベルトは仮面の顔を見上げた。

「本当にあるのか?」

「今のところ知りませんが」

 アノニモは言った。

「追い詰められて、自己防衛からそういうものに目覚める人間もいる。そればかりとも限らないが」

 ふっとダニエラが鼻で笑った。

「ダニエラ殿、あなたは、それだけのために使用人を巻き添えにしたのか?!」

 ランベルトは寝具を掴み、ダニエラの方に身を乗り出した。

「言ったでしょう、ランベルト。この辺の感覚が少々こんな傾向だから、彼らは「悪魔」に仕立てやすかったんです」

「陳腐なお伽噺(とぎばなし)で、姑息に信者を増やして行った側はお黙り」

 ダニエラは言った。

「話を戻しましょう」

 アノニモが肩を揺らし笑う。

「なにせ、七百年間も忘れ去られていた能力ですから、引き出すのも容易ではない」

「ちなみに、兄のパトリツィオ(ぎみ)は、催眠能力(イプノティズモ)をお持ちだったようだがの」

 ダニエラは扇を口元で扇ぎ、赤い唇の端を上げた。

「えっ」

 ランベルトは思わずアノニモを見た。

「兄が?」

「なぜこちらを見るんです」

「いや……」

 アノニモと同じような能力ではと思っただけなのだが。ランベルトは眉を寄せた。

「兄君は、どうやってご自分の能力を知ったのか」

「さあ」

 アノニモは肩を竦めた。

「ランベルト様の兄君など、お会いしたことも無いので」

「そうか。わたしは会ったことがあるぞ」

 ダニエラは妖艶な笑みを浮かべ扇を手元で揺らした。

「性格はいけ好かない男だが、血に(まみ)れた姿だけは秀麗であった」

「地味に変態ですな、女王様」

 アノニモは喉の奥を鳴らし笑った。

「お前も困るのではないか? 守られる一方の者よりも、能力を発揮してくれる者の方が楽であろう」

「元々守るために来ているので。別に」

「成程」

 ダニエラは扇で口元を隠し目を伏せた。

 長い睫毛が、赤い瞳に影を作る。

「ランベルト様」

 ダニエラはランベルトの方を向いた。

「ランベルト様はどう思っていますの? 男性として、守られるばかりの立場は心苦しいのではなくて?」

「それは……」

 不意の質問に、ランベルトは戸惑った。

 薔薇が贈られた件からは事態に流されるばかりだったが、元はといえば、父母がおかしくなった件も所有地の問題も、率先して自身が解決しようとしていた。

 特にアノニモを全面的に頼ろうとしていたつもりは無い。

「私は」

「良家の跡継ぎ息子など、外出時には付き人を付け、屋敷にも護衛を付けて守られていて当然。妙なことを吹き込まないで貰おう」

 ランベルトが言葉を発する前に、アノニモが引ったくるようにして言った。

「成りすましの付き人は黙りや」

 ダニエラはアノニモを睨み付けた。

「そちらこそ。女王の癖に、男を操る術をよく知っていらっしゃる」

 アノニモは鼻で笑った。

「覚えておくといい、ランベルト。自尊心に揺さぶりを掛けて来るのが、男性要人を操ろうとする者の常套手段だ」

「何とも、どこまでも(やかま)しい亡霊よの」

 ダニエラは扇を閉じると、傍に控えた従者を見た。

「バルドヴィーノ」

 従者が小さく頷いた。

「もう帰っておれ。ここはわたくしで充分だ」

「はっ」

 バルドヴィーノは再度頷くと立ち上がった。

 何の問いかけもなく命令に従い、こちらに背を向ける。

 真っ直ぐ窓の方に向かった。

「従者」

 空間に消えようとしたであろう直前に、アノニモは呼び止めた。

「今度会う時は、こちらのヘッドハンティングに是非とも応じて貰う」

 バルドヴィーノは僅かにこちらを見たが、すぐに前を向くと無言で空間に消えた。

 肩を揺すりアノニモは笑った。

「あれがそんなのに応じるものか」

「自信がおありか? 女王様」

 アノニモは言った。

 ダニエラの背後の空間が歪んだ。

 水面に出来た波紋のように、室内の景色が円を描いて変形した。

 収まると、深紅のドレスを着た女が控えていた。

 多数の骨を組み合わせて作製したような、白くごつごつとした大きな鎌を、女はダニエラに差し出す。

 ダニエラは片手で受け取ると、ブン、と音をさせて一振りした。  

「次など無い。お前はここで完全に消滅させる」

「成程」

 アノニモは口の端を上げた。

「冥界に通じる能力を持つ者がいたか」

「冥界……?」

「ランベルト」

 後ろ手に手を伸ばすと、アノニモはサイドテーブルにあった室内着を手に取った。

 ランベルトの方に放り投げて寄越す。

「羽織れ。いざというときは構わず逃げろ」

 緊張した声だった。

 ランベルトは眉を寄せ、身を乗り出した。

「ダニエラ殿、何をするつもりだ」

「ランベルト様も鬱陶しいでしょう? 素性不明の亡霊など」

 骨の寄せ集めのような鎌を片手に持ち、ダニエラは赤い唇の端を上げた。

「八つ裂きにして、転生も叶わないよう綺麗に消滅させて差し上げますわ」

「目的は私ではないのか、ダニエラ殿!」

 ランベルトは声を上げた。

「この鬱陶しい亡霊がいなくなれば、能力の有無もはっきりしないようなあなたなど、簡単に手に入りますわ」

「そして、まずは人質にされる。コンティを抑えるための」

 アノニモは言った。

「折を見て婚姻という形での一族乗っ取り。そして「悪魔」とされる種族が、再びこちらの世界に住み着く足掛かりにされる。そんなところか」

 コツ、と革靴の音を立て、アノニモはダニエラとの間合いを詰めるように半歩ほど動いた。

「ではなぜコンティなのかと考えた」

 アノニモは緩く腕を組み、額に指先を当てた。

「長い間それぞれの種族、それぞれの世界で代替わりを重ねるうちに、こちらの人間とそちらの種族は、既に混血も出来ないほど血が遠ざかってしまったのでは」

 ダニエラは否定も肯定もせず、アノニモを見下すように見ていた。

「だが、コンティならまだ可能かもしれないと踏んだ。先祖のギレーヌの血を強く残す者がいる」

 アノニモは言った。

「しかしそうなると、また疑問が湧くのだ」

 米噛みを指先でつつき、アノニモは言った。

「こちらに再び住み着きたいのなら、軍勢でも率いて攻め込み、こちらの世界ごと乗っ取るという手もあるはず。なぜ婚姻と混血などという面倒臭い手を考えた」

 アノニモは、ダニエラを嘲るような角度で見た。

 仮面から覗く薄い瑠璃色の目とダニエラの赤い目は、お互い蔑み合うように視線をぶつけ合っていた。

「ランベルトがそちらの世界に連れ込まれた際、あちらこちらを見物させていただいたが」

 アノニモは言った。

「随分と打ち捨てられた墓地が多かったな」

 ランベルトは顔を上げた。

 どうにもあの世界での記憶は全体的に曖昧だった。

「あったか……?」

「お前は黙っていろ」

 こちらを見もせずアノニモは言った。

 従者のふりをしたいのか、主導権を握りたいのかどちらなのだとランベルトは顔を(しか)めた。

「そちらの種族はもう数も減り、滅びに向かっているのでは」

 アノニモは言った。

「こちらの「人間」に少しずつ取って変わることで、種族を生き延びさせようと女王様は考えた」

 ダニエラは真っ直ぐに仮面の顔を見ると、表情も変えず赤い唇を開いた。

「そこまでの考えに至っておきながら、我が種族の者を取り込み同族殺しを強いるのか」

 鋭い口調でダニエラは言った。

「吐き気がするわ」

「否定はしないのだな」

 アノニモは口の端を上げた。

「同族殺しを強いていることはお許し願いたい。なにせ、これしか取り柄が無いもので」

 アノニモは肩を竦めた。

 「しかし」と続ける。

「こちらに取り込まれた者を裏切り者と断罪し、私もろとも殲滅しようとした女王に言われたくはない」

 アノニモは更に間合いを詰めるように一歩歩を進めた。

 ダニエラを至近距離から見下ろす。

「男の、血に(まみ)れた姿がお好きなようなので、こちらからもひとこと」

 ゆっくりとした口調でアノニモは言った。

「あなたの楚々とした小芝居はつまらないが、殺戮に昂った際の肌は(なまめ)かしく扇情的だった」

 ダニエラは顎をしゃくり、更に見下すようにアノニモを見た。

「消え失せろ」

「滅びろ」

 紅玉のような赤い瞳と、仮面から覗き見える瞳が(きつ)くかち合った。





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