Luna come falce. 鎌のような月 II
「お前は、当主の名代を務めてもおかしくない立場ではあろうが」
そう言い、ダニエラは睨むように赤い目を眇めた。
「死者の癖にな」
「なに、あなたもすぐに死者になる。冥界にいらした際には、歓迎致しますよ」
「黙りや。冥界で管理者の男色の相手でもしておれ」
「男色の話がそんなにお好きなのか」
アノニモは肩を揺らし笑った。
「ランベルト様」
ダニエラは、ランベルトの方に向き直った。
手にした扇を閉じ、手の上にぽんと置く。
「疑問に思いませんこと? どうして素性不明の死者が、コンティ家当主の名代など務めるのか。なぜ執事がそれを許可したのか」
ランベルトは、アノニモの顔を見上げた。
アノニモはこちらを見ず、ダニエラの方を眺めていた。
手品のように点けられた蝋燭の火が忙しなく揺れ、仮面を付けた横顔と白い将校服を橙色に染めていた。
「お前は、やはりうちの執事と知り合いなのか?」
「お前は黙っていろ」
鋭い口調でアノニモは言った。
「喋り過ぎですよ、女王様。ここで、私の屋敷での続きがしたいか」
コツリと革靴の音をさせ、アノニモはダニエラに近付いた。
至近距離まで近付き、ずいっと顔を近付ける。
「あんなに熱い夜を過ごしたのは、久し振りだった」
接吻でも迫るのかと思うような囁き声で言う。
あまりに無礼すぎる距離のせいか、ダニエラは覗き込まれた目を見開き固まった。
「お互いの本性をさらけ出して激しく混じり合うことが、あんなに熱く楽しいとは」
「黙れ」
ダニエラがそう言うのとほぼ同時に、間に割って入るようにバルドヴィーノが現れた。
アノニモの口を塞ぐかのように手を出したが、アノニモは顔を横に動かし避けた。
一瞬あと、バルドヴィーノが金縛りに会ったように動きを止める。
アノニモの目を見詰め、すっと無表情になった。
「下がれ! 催眠に掛けられるぞ!」
ダニエラが叫び、バルドヴィーノの肩を掴んで強引に下がらせた。
「惜しい」
アノニモは肩を揺らし笑った。
「つくづく卑怯な男だの」
「お互い様だろう」
アノニモは言った。
「しかし面白い。その従者は本気で庇われるのだな、女王様」
バルドヴィーノが、ちらりとダニエラを見た。
「さて、どんな間柄なのか」
「黙りや」
鋭い口調でダニエラは言った。
「いちいち如何わしげな言い回しを。痴れ者が」
「ダニエラ殿」
ランベルトは口を挟んだ。
「私からもお聞きしたいことがある」
ダニエラは緩く腕を組み、こちらを見た。
表情が少々鬱陶しげになっている気がした。
咄嗟のこの表情を見る限り、輿入れを楽しみにしているほど好かれているとは思えない。
ダニエラと会うたびに何か偽物を見ているような、気分の悪い違和感があったのは、このせいなのだろうか。
「うちの屋敷の惨状はご存知か」
ランベルトは言った。
ダニエラは、赤い唇に妖艶な笑みを浮かべた。
扇を口元に当てる。
「お見舞い申し上げますわ、ランベルト様」
何か、気分の高揚を抑えているような口調に聞こえるのは、気のせいだろうかとランベルトは思った。
「そういう白々しいのは結構」
アノニモは言った。
過剰に警戒したのか、バルドヴィーノがダニエラを背中に庇う。
アノニモを睨み据えるが、アノニモの緩く組んだままの腕を凝視すると、暫くしてダニエラから離れた。
「まあ、一番の問題はそれだ、女王様。屋敷のあの出来事がある以上、貴殿がいくらランベルトに求婚したとしても、もう無駄だと分かるだろう」
アノニモはクッと口の端を上げた。
「御家に損害を及ぼすような婚姻なら、破談にして当然」
アノニモは、ダニエラにずいっと顔を近付けた。バルドヴィーノが強引に間に入る。
「何を焦った。女王様」
アノニモは言った。
ダニエラは、暫くアノニモを睨み付けていたが、やがて赤い唇の端を上げた。
「死んだのは使用人のみでは? そんなもの幾らでも代わりはあるでしょう。損害のうちに入るものなのか」
アノニモに真っ直ぐ赤い目を向け、ダニエラはそう言った。
「生き延びた使用人達から、悪魔に呪われた御家だの何だの噂を立てられたらどうしてくれる。異端審問は……まあ、教会に寄付金でも渡せば抑えられるだろうが、これも立派な損害だ」
「いや……何なら、異端審問で上手く話すが」
ランベルトは割って入った。
「お前は黙っていろ」
鋭い声でアノニモは言った。
気圧されて顔をやや後ろに引いた後、ランベルトはアノニモの口調に何か聞き覚えがある気がして眉を寄せた。
「上級貴族の御家が、随分と吝嗇なことを言いますのね」
扇を広げて口元を隠しダニエラは言った。
ややしてから、忌々しげに眉を緊く寄せる。
「主家への恩義を忘れて噂を撒き散らす者など、口を裂いて始末してしまえ」
「本性が出たな、女王様」
アノニモはバルドヴィーノの方を見た。
「いいのか、そちらの従者。こんな気質の女と添い遂げるのは難儀だぞ」
「添い遂げるのは、ランベルト君の方だろう」
バルドヴィーノは言った。
「私は、どちらとは言っていないが」
アノニモは肩を揺らし含み笑いをした。
「人の御家の屋敷を、えげつない状態にしてくれた理由を、いくつか考えてみた」
アノニモは言った。
「一つ」
白い手袋を嵌めた手で、指を一本立てる。
「女王様としては、血飛沫でペイントされ死体の転がる様子が、素敵なインテリアだと思った」
「おい……」
困惑してランベルトは眉を寄せた。思わず膝に掛けられた寝具を両手で握る。
「二つ」
アノニモは指を二本にした。
「骨付き焼肉の好きなランベルトに、サプライズで手料理をプレゼントしているつもりだった」
「お前……」
ランベルトは胃の府の辺りを抑え俯いた。
「相変わらず胃腸の弱い」
アノニモは言った。
「なぜいちいち悪ふざけを挟むんだ」
「性分です」
そう言うと、アノニモは指を三本にした。
「三つ目」
ダニエラの顔を真っ直ぐに見据え、アノニモはゆっくりと言った。
「ランベルトを、肉体的にも精神的にも追い詰めてみようとした」
蝋燭の灯りが小刻みに揺れる。
「毒と、恐怖と絶望とで」