Camera con guerriero. 戦士のいる部屋 I
鏡を抜け、パトリツィオは現世のコンティ家に出向いた。
三階の大広間を横切り、扉をすり抜けて吹き抜けの回廊に出る。
幅の広い階段を降り、赤い絨毯の敷かれた階段ホールをつかつかと進んだ。
夜が明けたばかりの時間帯だった。
突き当たりの大きな窓から外が見えた。
雨が降りそうに曇っていた。窓から射す陽光は薄く、すっきりとしない。
呑気な鶏の鳴き声が庭から聞こえていたが、屋敷の中は廃墟のように静かだった。
所々にべたべたと付いた赤い跡が、起こったことの凄惨さを表している。
屋敷の中を進むにつれて、転がる死体に出くわす率が高くなった。
夜の暗い屋敷内では、当然全ての死体は見えていなかった。
今見回すと、あそこにもここにもあったのかという感じだ。
ランベルトを連れ出すのは、夜のうちで正解だったと思った。
明るい自然光の下でこの光景を見て、今度は苺ジャムも食えんなどと言われたら面倒すぎる。
パトリツィオは二階の廊下に進んだ。
生前の自身の私室の前を通りすぎると、父の私室の扉をノックした。
「私だ」
中からは、物音ひとつしなかった。
特に返事を待たず、パトリツィオは扉を開けた。
室内は薄暗かった。
ランベルトの部屋よりもやや広い室内は、乾いた葡萄酒や熟しすぎた果物の匂いが漂い、所々に割れたグラスが散乱していた。
数日前よりも更に荒れているな、とパトリツィオは片眉を上げた。
部屋の薄暗さが気になり窓を見ると、カーテンが閉まったままだった。
開けてやろうかと室内に踏み出す。
突如、顔の横を鋭い刃物が突き抜けた。
「化け物め! この槍を受けてみよ!」
訓練された動きで物陰から出現し、勇ましく一本槍を構えていたのは、コンティ家の執事だった。
身に付けた正装は、何日か着た切りだったと見えて、所々が汚れ皺が寄っている。
パトリツィオは腕を組み、無言で年老いた顔を見た。
執事が目を見開いた。
「……私だ」
「パトリツィオ様」
「私だと言って入室したのに」
パトリツィオは言った。
本当なら扉をすり抜けられるところを、わざわざノックまでしたのだ。
「ご無礼致しました。旦那様を守らねばと思うあまり」
執事は槍を持ち変えると深く礼をした。
「役立たずの父の護衛、ご苦労だった」
パトリツィオは言った。
顔を上げ、やや離れた場所を見る。
従者のような正装をした悪魔が二人、膝を付き部屋の隅に控えていた。
俯いた顔は双方とも若く、やや幼さの残る感じだ。
「ご説明を聞いていたとはいえ、悪魔と呼ばれる者どもとは。少々落ち着きませんでしたな」
執事の表情には、僅かに嫌悪が見て取れた。
「なるべく抵抗のなさそうな外見の者を選んだんだが」
パトリツィオは腕を緩く組んだ。
部屋の奥の寝台から、何やら寝言のようなものが聞こえた。
役立たずはあそこかと察し、パトリツィオは片眉を上げた。
「薔薇の山が贈られてきた件以来だな」
パトリツィオは言った。
「正確に言うと、薔薇が到着する前日か」
「いやいや……」
執事は槍を杖のように使い、傍らの長椅子に腰かけた。
「突然、わたしの寝室に御出になられたときには、驚きましたぞ」
執事は言った。
「霊など見たのは、さすがに初めてでしたからな」
「仮面を付けて出たのに、よく私だと分かったな」
「それはもう」
執事は目許を綻ばせた。
「始めは、まさかと思いましたが」
「ランベルトはいまだ気付かんようだ」
窓の方を眺めパトリツィオは言った。
死んだ頃と変わらない、明るい煉瓦色の街並みがカーテンの隙間から見えた。
「薄情な弟だ」
「お歳も離れておりますし、あまりご一緒したことが無かったからでしょう」
執事は言った。
「ご一緒しているときは、あいつは大抵寝ていたのだ」
パトリツィオは腕を組むと、軽く眉を寄せた。
「なぜ、お顔を隠して名前も無いなどと」
「今さらコンティの者の前に出る気などなかった。接触せずに済むのなら、そうするつもりだった」
パトリツィオはそう言った。
「数ヵ月前から様子を見ていたのだが、どうにも冥界からでは効率が悪すぎて」
それに、とパトリツィオは続けた。
「ランベルトには嫌われていた気がしていた」
「嫌ってはいなかったようですが、近寄り難いお人だとは思っていたようですね」
身体を屈ませ執事は言った。
「あれの前では、完璧でストイックな跡継ぎを演じていたからな」
パトリツィオは小さく含み笑いをした。
「まあ、跡継ぎ息子として家を背負うつもりでいるのに、今さら死んだ方が出しゃばって来たら立場が無いだろうと」
パトリツィオは言った。
軽く肩を竦めてから、抑えた口調で言った。
「あの薔薇については、大変な思いをさせた。何かは仕込んでいるだろうと思って忠告に来たが、あれほどの惨状を仕掛けるとは」
ええ、と呟いて、執事は息を吐いた。
「あれを花瓶に活けていた女中や、女中たちに弑された者たちは可哀想なことをしましたが」
執事はそう言い、窓の方を振り向いた。
「何人かは、この部屋に匿い、窓から外に逃がしましたが」
「そうか」