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コシュマール ~薔薇の心臓~  作者: 路明(ロア)
Episodio otto 林檎はどうすればパイになる
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Come le mele si trasformano in torte. 林檎はどうすればパイになる

「礼拝所の女悪魔の件のとき、舌が人肉の味がすると私が言ったのは、聞こえてはいませんでしたか?」

 アノニモは言った。

 使役する悪魔に目配せすると、女中の死体は大きく上半身を反らせ、内側から焔を吹いた。

 アノニモが、手で顔を庇うようにして離れる。

 ランベルトの方に歩み寄ると、肩を押して離れさせた。

「あの長ったらしい接吻のときか」

 眉を寄せランベルトは言った。

 発火し燃え上がる女中の死体を、複雑な心情で凝視する。

「接吻については余計です」

 アノニモは言った。

「私が進んでしていたみたいではないですか」

 そうなのかと思っていた、とランベルトは思った。

「奴らが絶対的な悪として教会に利用されるようになったのも、それなりの下地があってことですよ。何も、全く罪のない種族に罪を着せた訳ではない」

 コツコツと革靴の音をさせ、アノニモは食材の棚の方に行った。

 身体を屈ませ、食材棚の上から下までを眺める。

 食べられそうな物を物色しているようだった。

「奴らは「人類」としての価値観は、地上に残った人間とほぼ同じです。だが、いま地上に残っている人間を、同じ「人類」と捉えてはいない」

「どういう……」

 棚の奥に手を入れ何かを取り出すと、アノニモは放り投げて寄越(よこ)した。

 咄嗟なので取り損ね、ランベルトの足元にごろごろと音を立てて何かが転がる。

 林檎だった。

 気まずさに眉を寄せ、屈んで拾う。

「それは食べられますか?」

 アノニモは言った。

 影の濃く出る炉辺の灯りの中、両手で持ち、林檎のあちらこちらを見た。

 特に大きく傷んでいる風ではない。

「多分」

「では、取りあえずそれを食べていなさい」

 アノニモは言った。

 空腹というより軽く腹痛を感じていたのだが、何か胃袋に入れれば治まるだろうかと思い、ランベルトは音を立て噛った。

 途端に空腹を感じてきたような気がした。

 しゃくしゃくと音を立て、二口目、三口目を噛る。

 ランベルトの食べる様子を眺めながら、アノニモは言った。

「それ、どうすればパイになるんでしょうかね」

「よく知らんが、切ってパイ生地で包んで焼くのでは」

「成程」

 アノニモは言った。

 本気で質問していたのか、とランベルトは思った。

 調理や食材の方面の弱さは相当だなと思った。

 生前は、跡継ぎ息子として育ったのだろうか。

 当主一家の者は、厨房係などの下級の使用人とは顔も合わせないのが通常だが、九歳で兄が亡くなるまで跡継ぎではない次男として育ったランベルトは、その辺りはあまり厳格には言いつけられていなかった。

 兄と比べると、下の者とはある程度自由に接していた。

 パイ生地のことや食材が痛む云々は、その時に使用人の誰かから聞いたのだと思う。

「先程の、同じ人類と捉えていないというのは?」

 林檎を噛りながらランベルトは言った。

「ああ」

 アノニモは別の食材棚を見ていた。

「鳥や兎を食すことを、罪だなどと思ったことはないでしょう?」

 アノニモは言った。

「同じ種族である人間にそれをやるのはとんでもない罪だが、鳥や兎を食すことは何とも思わないのが普通だ」

「ああ……まあ」

 ランベルトは言った。

「彼らも同じです」

 顔を斜めに傾け、食材棚の奥の方を眺めながらアノニモは言った。

「別の種族である「人間」は、鳥や兎と同じです。罠に掛けて殺しても、時には食材として扱ったとしても、罪とは捉えていない」

 ランベルトは、林檎を噛っていた動作を止めた。

「分かりにくかったですか?」

「……いや。理解は出来た」

 林檎を噛るのをやめ、ランベルトは厨房内を眺めた。

 床に隙間も無いかと思われるほど横たわった死体を照らして、炉辺の橙色の光が揺れていた。

「ではダニエラ殿の婚姻話とは何だったのだ」

「さあ。あなたを食料にしようとしたか、ペットにしようとしたか」

 不快さと理解のし難さで、ランベルトは僅かに眉根を寄せた。

「単にポンタッシェーヴェの土地が欲しかった訳ではないのか」

「奴らが最後まで住んでいた土地のひとつですから、取り戻すのも目的の一つではあるでしょうが」

 ランベルトは、食べかけの林檎に目を落とした。

「コンティの何人かの記憶を惑わしているのだ。そんな魔力があるなら、何も婚姻という方法を取ることはないだろう」

「いや。次期当主であるあなたに、その魔力が通じない訳ですから」

 アノニモは言った。

「あなたは、奴らには一番の邪魔でしょう」

 確認するように食材棚を眺めながら、アノニモはこちらに戻って来た。

「殺害しやすいように、婚姻という形で手元に捕らえようとしたか。それとも、魔力の通じない他のコンティの者に対する人質にでもしようとしたか」

「魔力の通じない者は他にもいるのか」

 再び林檎を一口噛り、ランベルトは言った。

「素質の問題ですからね。悪魔払いの能力そのものは無くても、惑わされないだけの者なら他にもいると思いますよ」

「では、私もそれだけの者かもしれないではないか」

 ランベルトは林檎を噛った。

 先程この厨房に来たときは、死臭でとても食欲など湧かないと思っていたが、嗅覚が麻痺してきたのだろうか。

「まあ、その可能性もある訳なんですが……」

 アノニモは苦笑した。

「もう少し効率よく能力のある者の見当を付ける方法はないのか」

「何とも。七百年も忘れ去られていた能力ですからねえ」

 アノニモは肩を揺らし笑った。

「そういえば」

 ランベルトは宙を眺めた。

「ガエターノ叔父上は、ポンタッシェーヴェの土地は変わりないと仰っていたが」

 更に林檎を噛る。

「ガエターノ叔父上は、惑わされてはいないということか」

 アノニモは答えず、もう一度厨房の中を見回した。

「他に食べられそうな物は、ちょっと無いようですね」

 ランベルトの横をすれ違うようにして、厨房の出入り口に向かう。

「それ食べたら、屋敷から出ますよ」





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