Un altro essere umano demonizzato. 悪魔とされた別の人類 II
「ところで」
暗い廊下を進みながらランベルトは切り出した。
前を歩く悪魔の灯す松明とアノニモの持つ手燭とで、周囲のごく狭い範囲は照らされていたが、少し離れた範囲となると何も見えない。
顔を僅かに後ろに向け、ランベルトは背後の白い将校服を確かめた。
「先ほども聞いたが、調理の心得は無いのだな」
「ありません」
アノニモは言った。
「私もだ」
「そうでしょうね」
穏やかな口調でアノニモは言った。
「どうするのだ。調理の出来ない者が、揃って無人の厨房に行くなどして」
「材料くらいはあるでしょう」
アノニモは言った。
「あの者もいますし」
アノニモは、前方を先導するように歩く、厳つい男性の悪魔を指差した。
「あの者が調理を?」
いいえ、とアノニモは答えた。
「あの者に焼かせれば、大体は食べられる感じになるのでは」
ランベルトは不意に俯き口を抑えた。
今度こそ、焼いた死体を口に突っ込まれるような感じのものを連想をした。
「三日経っているのだろう? 材料は傷んでいるのでは」
ランベルトは言った。
アノニモは暫く黙り込んだ。
背後から、薄い絨毯に吸い込まれた不明瞭な靴音がしていた。
「ああ……」
ややしてから、少々間の抜けた声を上げる。
「そういえば。そういうの聞いたことあります」
ランベルトは脱力した。
これは完全に調理などしたことない者の台詞だと思った。
材料を手にしたことすら無さそうだ。
自分もそうだが。
何となく万能そうに見えていたアノニモだが、この方面は、まるで駄目なのだとよく分かった。
「大丈夫です。この屋敷の厨房の場所は知っています」
背後でアノニモは言った。
「何故そんなことだけ知っている……」
「行ったことは無いのですが」
「うちの先祖か何かなのか? お前は」
ランベルトは言った。
僅かに後ろを向く。
「同じことを何度も聞くようだが。この屋敷が建って以降の代の……」
「足元、危ないですよ」
やや下を向いてアノニモは言った。
「せめて素性を教えられない理由を言ってくれ」
ランベルトは言った。
アノニモは暫く押し黙った。
仮面の顔が手燭の灯りで照らされる。
口元を微笑の形にし、ややしておもむろに言った。
「私は死んだ者ですよ。事が全て解決したら、冥界に戻り二度と会わない。覚えていない方がいい」
「完全に忘れるのは、無理では?」
ランベルトは軽く眉を寄せた。
「それでも、誰なのか分からない方が、印象には残りにくい」
「そんなものか」
そう言い、ランベルトは前を向いた。
「そんなものです。すぐには無理でも、今後何十年と生きていたら、誰だか分からない死者の記憶など薄れます」
「お前は、忘れて欲しいのか」
ランベルトは言った。
「忘れた方がいい」
「では、なぜ私の目の前に来た」
アノニモの答えはなかった。
暫く待ったが、何も聞こえて来なかった。
居なくなったのかと思い、ランベルトは後ろを振り返った。
振り返った瞬間、アノニモが背中で突進して来た。
将校服の背中と壁との間にきつく挟まれる。
「なん……?」
結わえられたダークブロンドの髪が、鼻の横で揺れた。
アノニモは激しく片腕を動かすと、何者かの襲撃を退けたようだった。
深く獣のような息を吐き、長身の影が数歩向こうに飛び退く。
死臭がした。
「持っていてください」
アノニモは振り向くと、ランベルトに手燭を手渡した。
「あ……ああ」
「ぐずぐずするな! やれ!」
松明を灯していた男性の悪魔にアノニモは命じた。
悪魔は、手にしていた松明をそのまま膨張させ、長身の影に向かって放った。
天井まで照らされた廊下の一角で、身を翻す長身の姿が見えた。
長い影を引き、暗い廊下の向こうに走り消える。
「追え!」
アノニモは悪魔に命じた。
「いや……追うまではしなくても良いのでは」
「そのまま、お父上のお部屋まで行ったとしたら?」
「あ……」
ランベルトは、父の部屋の方向を見た。
「ほら、あなたもさっさと身罷って欲しいと思っている」
「思っていない」
まあ……と言ってアノニモは仮面を押さえた。
「お父上の所まで行くかどうかは、あの女の目的次第でしょうが」
「あの女……」
ランベルトは口に手を当てた。
「ダニエラ・バルロッティのことです」
「分かっている」
廊下のずっと先の方で、赤い光が激しく揺れながら、床と天井を照らし消えた。
黒い何かの破片が宙を舞ったように見えた。
暫くしてから、男性の悪魔はゆっくりとした足取りでこちらに戻る。
「この状況を、どこかで見ているのではないですかね」
アノニモは周辺を見回し言った。
「見ているのか?」
「死体があなたを襲うタイミングが、何となく意図的な感じがしませんか?」
アノニモは言った。
「ただ殺すだけというより、一定の間隔でちょっかいを出すように来ているというような」
ランベルトは、暗闇に映える白い将校服を見た。
ふと、壁の上方を見上げる。
先程の私室の前の廊下と違い、やけに暗い感じがしていたのは、窓が無いせいかと今頃になり気付いた。
私室前の廊下では射し込んでいた月明かりが、ここには無い。
「あなたが眠ったままでいる間は、三日間、部屋に入る死体は一体もいなかった。なのに目覚めた途端に、順番に襲いに来た」
アノニモは、白い手袋の手で指を一本立て言った。
ゆっくりとその指を二本にする。
「あの従者と話している最中は、襲って来る死体は一体も無かった」
手を下ろし、肩を竦める。
「たまたまですかね」
「意図的だとしたら、何故そんなこと」
「さあ。女心に疎いもので」
アノニモは言った。
「……ということは、女中が持った斧は、あの女の趣味か」
顎に手を当て、アノニモはそう呟いた。
「先日の礼拝所の下品な女悪魔たちといい、あの種族の女は、趣味で木樵でもやるんですかねえ」
「見ているのなら、話し合いを呼び掛けられないだろうか」
ランベルトは言った。
「……どんな」
「まずは結婚話の正式なお断りを」
「そんなの、あとにしなさい」
アノニモは言った。
「こんな状況を作り出しているような相手と話し合いですか?」
アノニモは、仮面の上に覗き見える眉間に皺を寄せた。
「分かっているんですか。あなたは、あの女に殺されかけた。その上、屋敷を死体だらけにされたんですよ」
声のトーンを落とし、アノニモは吐き捨てるように言った。
「正式なお断りも何も、あったものではない」
そう言いながら、アノニモは手をこちらに差し出した。
何、という風にランベルトは仮面の顔を見たが、手燭のことだと気付き手渡した。
「既に死体になった者を気の毒の何のと言っている暇があったら、私が契約を遂行できるよう、協力でもしなさい」
「契約……」
手燭の小さな灯りを眺めながらランベルトは呟いた。
「……ダニエラ殿の抹殺か」
「そうですよ」
アノニモは言った。
「お前は、あのときからダニエラ殿が何者か知っていたのか」
「知っていたから契約を申し出たんです」
こちらに戻った悪魔に向けて顎をしゃくり、アノニモは再び厨房までの廊下を照らすよう促した。
「なぜ知っていた」
「それは」
ランベルトの背中を押しながら、アノニモは歩を進める。
「そこから遠回しに私の素性を探ろうとしていませんか?」
「……思い付かなかったが」
ランベルトは言った。
「そういえば、対価とは何だ」
「それは後で」
背後でアノニモはそう言った。
「払い切れないような物ではないだろうな」
「払えそうな方だから、契約を申し出たと言ったでしょう」
「何が欲しい」
羽織った外套の合わせを押さえ、ランベルトは言った。
「コンティの財産か?」
「前にも言いましたよ。霊がどこでお金を使うんですか」
「生前の、何らかの名誉の回復か」
「特に生前の黒歴史などありませんねえ」
絨毯に音の殆どを吸い込まれた鈍い靴音が響く。
「墓か? それとも神父の聖書の読み上げが欲しいとか」
「どちらも間に合っています」
「そういえば、お前の墓はどこだ」
ランベルトは後ろを振り向いた。
「ほら、上手いこと素性を探ろうとしている」
「していない」
ランベルトは眉を寄せた。