La maschera mascherata si mette in mezzo. マスカレードマスクが邪魔をする
ランベルトは、頬を強張らせ白い将校服の背中を見た。
「……出来れば」
「出来ません」
きっぱりとアノニモは言った。
「無駄なことをして、自身の命まで危険に晒す気ですか」
「人間らしい情が無駄か」
「人間から外れてしまった者には無駄です」
アノニモの口調は冷静だった。
「銃で脚を撃てば、少なくとも襲って来ることは出来なくなるのでは」
ランベルトは言った。
こうして言い合いをしている間に、使役する悪魔に命令を出されるのではと思い、将校服の肩をがっしりと掴んだ。
「あなたが撃ちますか?」
アノニモはゆっくりと振り向き言った。
「撃てますか?」
ランベルトは、仮面を付けた顔を凝視した。
「いや……」
「銃の鍛練をするときの標的は撃てても、女中の形をしたものは撃てないでしょう」
アノニモは肩越しにニッと口の端を上げた。
「坊っちゃま」
「なっ……」
「邪魔しないでくださいませ、パトリツィオ君」
女中が言った。
ランベルトは眉を寄せ、女中の焼けただれた顔を見た。
アノニモを死んだ兄と間違えているのか。
ランベルトよりもずっと歳上と思われる女中だ。兄パトリツィオが生きていた頃にも、確かにこの家にいたかもしれないが。
「退いてくださいませ、パトリツィオ君」
「妙な名前で呼ぶな。坊っちゃまに嫌われるではないか」
アノニモは不機嫌そうに言った。
「坊っちゃまは、兄君が大のお嫌いだったのだ」
「別に嫌ってはいない」
ランベルトは眉を寄せた。なぜ兄との仲を見たことでもあるかのように言っているのか。
やはり生前はコンティに関係した人間であったのか。
「間違いなくお嫌いだったでしょう」
「だいたい何だ、その坊っちゃまというのは」
「何か、ぴったりの呼び方のような気がしてきまして」
アノニモは指先で仮面を押さえた。
「良いではないですか。女中にもそう呼ばれているみたいですし」
「一部だけだ。だいたいは古株の」
「パトリツィオ君、退いてくださいませ」
女中は地味な色のスカートを揺らし、斧を横に振った。
アノニモの使役する悪魔が斧を受け止め、立ち上がった火柱で焼き溶かした。
柄と刃の一部だけが残った斧を、床にカランと落とす。
「退いてくださいませ、パトリツィオ君」
女中は嗄れた声で言うと、ランベルトに焼けただれた手を伸ばし襲い掛かろうとした。
グイッとアノニモが女中の頭部を掴み横に払いのける。
すぐにランベルトの方を振り向いた。
「この調子で何体も来られたらどうします」
「何人もいるのか?」
「屋敷に人が何人いたと思っているんです」
ランベルトは、大きく目を見開き仮面の顔を見た。
「……使用人全員なのか?」
「全員ではないです。こうなったのは、何人かの者です」
ホッとランベルトは息を吐いた。
アノニモはその顔を肩越しにじっと見てから、おもむろに言った。
「あとは、こうなった者たちに殺されました」
ランベルトは更に目を見開いた。
「なん……?」
俄には信じられず、真っ暗い廊下の両側の突き当たりを見た。
「逃げた者は」
「庭師や馬丁なら、何人かいたような気がしますが」
「外にいた者たちか」
「そうですね、主に」
執事は、とランベルトは尋ねようとした。
しかし、家の中にいるのが当然で、しかも高齢の執事では逃げ切れた訳はないだろう。
屋敷のどこかに遺体で、と思い息を詰めた。
「執事は、若い頃に槍の達人だったそうです」
不意にアノニモが言った。
一瞬心の中を読まれたかと思った。ランベルトは、胸の辺りを掴み動揺を抑えた。
「槍の……そうなのか。知らなかった」
「自慢話を聞かされませんでしたか」
「聞いたことはない」
ほう、とアノニモは言った。
「あの執事も老けたものだ」
こちらに背中を向けたまま、アノニモは肩を揺らし含み笑いをした。
「聞かされたことでもあるのか」
「従者も、それなり腕の立つ者は期待できなくもないですが」
アノニモは言った。
またもはぐらかしたのだろうか。ランベルトは眉を寄せた。
「お前は話をはぐらかしてばかりだな」
女中が歯茎の無くなった歯を剥き出しにした。
焼けただれた腕を伸ばし、ランベルトに掴みかかろうとする。
アノニモが女中の腕を掴み、ぐいっと左側に払う。
「お前は何者なんだ」
「パトリツィオ君……」
真横につんのめってふらついた女中が、体勢を立て直し、僅かに焼け残った頭髪を耳の残骸に掛ける。
「それ、今知らなければならないですか?」
「逆に何故はぐらかす必要がある」
「優先順位を考えましょうよ」
アノニモは肩を竦めた。
いくつかの金属音がした。廊下の突き当たりからだった。
床の上で金属を引き摺っているような不快な音が、ゆっくりとこちらに近付いた。