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コシュマール ~薔薇の心臓~  作者: 路明(ロア)
Episodio quattro 薔薇の飾られた部屋
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Tu sei il mio importante committente. あなたは大事な契約者 II.

 甘い香りが再び部屋に充満した。

 信じ難い状況が続いたせいか、匂いの漂い方が何か意図的な気すらした。

 吐き気が治まっても、ランベルトは口に手を当てていた。

 匂いを嗅ぐまいとしたが、どうしても微かな香りが鼻腔に入り込んだ。

「食事は、もう少し後にした方がいいですかね」

 アノニモは言った。

 ランベルトと並んで寝台に座っていた。

 先程まで長々と背中をさすってくれていたが、治まったと察したのか止めた。

 寝台の前には、厳つい(なり)をした男性の悪魔が、相変わらず膝を付き控えている。

「すぐに食べたら吐くかもしれませんね」

「……吐く。多分」

 ランベルトは言った。

「神経が細すぎるのではないですか、ランベルト」

 アノニモは泰然自若な態度で脚を組んだ。

 お前を基準にするなとランベルトは頭の中で反論した。

「お前は、調理の心得でもあるのか?」

「ありません」

 あっさりとアノニモが言う。だろうなとランベルトは思った。

 言葉の発音や仕草からして、生前のアノニモは良家の者だったと思って間違いないだろう。

 自身と同じで、厨房など入ったことも無いはずだ。

「取りあえず執事を起こして、吐き気止めの薬湯でもないか……」

 口を押さえたまま、ランベルトは(だる)く立ち上がった。

 横目に女中の遺体の残骸が目に入った。

 ついアノニモを責めるタイミングを逃した。

「ランベルト」

 アノニモは寝台に座ったままこちらを見上げた。

「まだ寝惚けていますか?」

「いや?」

「三日間、寝ていたと言ったでしょう。なぜ誰も起こしに来なかったのだと思います」

 ランベルトは目を見開いた。

「え……」

「薔薇の香りを嗅いだのは、あの女中だけではありませんよ」

 ランベルトは仮面の顔を凝視した。

 ぐらりと目眩がした。

 足の先から血の気が引き、座り込みそうになったのを辛うじて堪えた。

「……まさか屋敷中?」

 部屋の扉の方を見た。

 アノニモが先ほど扉の向こうを覗いていたのは、そういうことなのか。

「屋敷中薔薇を運んで歩いた訳ではないので、私もさすがに全体に影響はしないだろうと思ったのですが」

 アノニモは脚を組み直した。

「予想外の流れに」

 ランベルトは、(おど)けたように肩を竦める仮面の霊を見下ろした。

 なぜ、この男はこんなに落ち着き払っているのか。

 幽霊だから、もう生者のことはどうでもいいのか。それとも屋敷の者達が生前から知る者ではないからか。

 あるいは。

「……平気そうだな」

 ランベルトは言った。

「平気」

 アノニモは復唱した。

「やはりお前は悪魔か」

「またその質問ですか」

 アノニモはうんざりしたように言った。

「骨も残さず焼くなど、人間の発想ではない」

「人間の発想ですよ」

 アノニモは肩を竦めた。

「聖書の悪魔には、骨なんて無いでしょう?」

 それもそうだがとランベルトは鼻白んだ。

「だが、お前は何か冷酷すぎる」

「死体を焼いて冷酷ですか?」

 アノニモは言った。

「火葬の風習のある人達に怒られますよ」

 そう言い口角を上げた。

 ランベルトは目を逸らし(きつ)く眉を寄せた。何か口では勝てない印象だ。

「だが、止めた時点で思い(とど)まってくれても」

「そうやって、ぐずぐずごねると子供みたいですよ」

 アノニモは口の端を上げた。ゆっくりと寝台から立ち上がる。

「扉の向こうに出たら、そんなことも言っていられなくなる」

 そう言い、アノニモは部屋の出入り口の扉を指差した。

 ランベルトは示されるまま扉を見た。

「……そんなに酷い状況になっているのか」

ええ(S I)

「父は?」

「残念ながら……」

 ランベルトは頬を強張らせた。

「何かあったのか?」 

「いまだ酒浸りの状態が続いておられて」

 アノニモは宙を仰ぎ眉間に(しわ)を寄せた。

「お部屋に(こも)り爆睡なさっているので、結果的にご無事で」

 ランベルトは上を向いた仮面の顔を呆然と見詰めた。

「……無事なのか」

はい(S I)

「なぜ残念なんだ」

「あんな不甲斐ないお父上なら、さっさと身罷(みまか)ってくださった方がすっきりしませんか」

 しれっとアノニモは言った。

 ランベルトは、仮面の顔を暫くぽかんと見詰めた。

「他人に親のことをどうこう言われる筋合いはない」

「そうですね。他人なら」

 アノニモは言った。

「まあ良いでしょう。ランベルト、銃を」

 すっと方向転換すると、アノニモは扉の傍に歩み寄りそこに立った。

 腰に手を当て、扉の向こう側を伺うように横を向く。

「部屋を出るのか?」

「出なければ食事が出来ません」

「……何かお前は食事に(こだわ)るな」

 ランベルトは、乗せられて渋々という気分で読書机の引き出しを開けた。フリントロック式の銃を取り出す。

「三日間食べていないんですよ。お腹空きませんか?」

「落ち着いたら一気に来るのかもしれないが、今はまだ」

 ここ暫く、父の代理の執務で銃の鍛練もしていなかった。安全装置や劇鉄を確認する。

「薬包も出来る限り持って……」

 アノニモは言った。

 こちらを向き、弾丸を手にしたランベルトを見ると、ああ、と呟いた。

「今は弾丸を詰め込む方法でしたね」

 そう言った。

「お前の生きていた頃は違ったのか」

「薬包の火薬を入れるタイプがまだありました」

 そんなに大昔の時代ではないのだな、とランベルトは思った。



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