Tu sei il mio importante committente. あなたは大事な契約者 I
寝台の上で、バフッと大きめのものが跳ねる音がした。
寝具の中に詰められていたと思われる羽毛が、僅かだが飛び散る。
何事かとランベルトは振り向いた。
先ほど無反応になった女中が起き上がっていた。細い手がこちらに伸び、ランベルトの首を掴む。
「ぐっ」
ランベルトは嘔吐のときのような声を上げ、反射的に女中の手首を掴んだ。
「やれ」
背後の厳つい男性に、アノニモは冷静な口調で命じた。
女中が、ググッと酷く強い力で首を締める。
やはり女性の腕力ではない。
ランベルトは抵抗を試みたが、細い手首はびくともしなかった。
アノニモの使役する男性が、火焔を灯した手を後ろに引いた。
吼えるような声を上げながら寝台に走り寄り、女中の顔を肉厚の手で掴む。
女中は顔を仰け反らせ、ランベルトの首から手を離した。そのまま男性に投げ飛ばされ寝台横の壁に激突する。
ごほっと咳をしてランベルトは身を屈めた。
男性は天蓋の垂れ布を雑に退かすと、土足で無遠慮に寝台に上がった。
その気になれば三人は並んで寝られそうな寝台が、大柄で厳つい男性が乗ると非常に狭く見える。
男性は反対側に飛び降りると、動かなくなった女中の顔を、再び大きな手で掴んだ。
男性の太い腕に、濃い橙色の火焔が渦巻いて絡む。
「ちょっ、ちょっと待て!」
寝台を這うようにして男性の背後に近付き、慌ててランベルトは止めに入った。
「何を待つんです。それは死体ですと何度言ったら」
アノニモは言った。
「だとしても、もういいだろう。あとは埋葬すれば良い」
アノニモは進めろと言うように、男性に向けて顎をしゃくった。
「骨だけにする気か!」
「違います」
アノニモは言った。
「骨も残すな」
男性の太い腕に絡んだ火焔が、蛇のように畝って拳に集まった。
女中の顔の皮膚が溶け、どろどろと首から垂れる。
嫌な臭いを立てて煙が立った。
剥き出しになった骨が更に溶け落ち、上質の絨毯の上には、女中の細い両脚だけが残った。
「ぐ……」
ランベルトは口を抑え身を折った。
不快な焦げの臭いが、空っぽになった胃袋に強烈な刺激になった。
「うっ」
幸い胃の中には吐くものも無かったが、それでも喉の奥から突き上げる吐き気をランベルトは抑え続けた。
「うえっ……」
「大丈夫ですか?」
アノニモは身体を屈め、ランベルトの背中をさすった。
横目で覗き見た仮面の下の口元は、微笑していた。酷く的外れな表情にランベルトは感じた。
「……何か理由があったのか?」
ランベルトは言った。
「遺体も残せない理由が」
「私の大事な契約者に手を出した」
ランベルトの背中をさすりながらアノニモは言った。
「立派な理由でしょう」
ランベルトは、ゆっくりとアノニモの顔を見た。
「……何だそれは」
仮面を付けた顔を見上げ、眉を寄せた。
「そんな理由で」
うっ、と再び吐き気を催して、ランベルトは口を抑える。
女中を焼き溶かした不快な臭いが、部屋に漂い続けていた。
「窓を……」
ランベルトは、口を抑えたまま立ち上がろうとした。
上体を曲げた途端、空の胃が圧迫され、もう一度吐き気が込み上げる。
「うっ」
ランベルトは、おえっと舌を出した。
「あーあ」
アノニモは横に座り、再び背中をさすった。
「どうしたいんです」
「……窓を」
ランベルトは前方を指差した。
アノニモは立ち上がり窓の方に向かった。部屋中央の窓を開け、窓の下の方を覗き込む。
ややして顔を上げると、傍らに飾ってある大量の薔薇を眺めた。
「薔薇の匂いがまたしていると思うのですが」
「……してる」
吹き込んだ微風で不快な焦げ臭さは散らされたが、薔薇の匂いは再び室内に向かって漂い始めた。




