Il profumo delle rose e la fanciulla cadavere. 薔薇の香りと死体の女中 II
「……こ、困っている」
女中の肩を押し戻しながらランベルトは言った。
「困っていたんですか」
アノニモは、ランベルトと女中の顔を交互に見た。
「何だと思っていたんだ」
「もう少し楽しんでからにして欲しいのかと思っていたのですが」
「楽しくない!」
ランベルトは声を荒らげた。
「肩しか触らなかったら、そりゃ楽しくはないでしょう」
「なっ」
ランベルトは動揺し、やや力が抜けた。
グググ、と女中が顔を近付ける。
女中が舌を伸ばした。
舌がだらりと長い気がするのは、暗闇で見えにくいせいの錯覚なのだろうか。
女中はランベルトの唇を舐めようとした。
本能的な嫌悪感を感じ、ランベルトは顔を僅かに逸らした。
唇の端に、再びべったりと甘酸っぱい唾液を付けられる。
「他に何を触れと言うんだ」
「言わせるんですか」
アノニモは身を屈ませランベルトの顔を見た。
「ランベルト、女性と経験無いんですか」
「この状況で何を」
アノニモは真面目な口調で続けた。
「男性の方が好きなんですか」
「何を聞いているんだ!」
「ただの確認です」
アノニモは言った。
「私は常々思っていたのですが」
アノニモはおもむろに寝台から離れると、革靴の音をさせて読書机の方に向かった。
顔の前で人差し指を立てる。
指先に、手品のように火が付いた。
「男性に従者、女性に侍女をそれぞれ付けるのは、間違いを起こさないためもあるのだと思うのですが」
燭台にあった蝋燭を一本取ると、指先を付け火を灯す。
「では同性が好きな主人ならどうなってしまうのかと」
火を点けた蝋燭を斜めにし、他の蝋燭を次々灯す。
「間違いが起こりまくるではありませんか」
暗かった室内が橙色に照らされ、先ほどより女中の顔がはっきりと見えた。
アノニモは再び革靴の音をさせこちらに戻ると、ランベルトの顔を覗き込んだ。
「どう思います」
「それ、今必要か?」
「いえ、いつでも結構です」
力が抜けるから、やめてくれんかな、と思いランベルトは眉を寄せた。
アノニモは腰に手を当てると、女中に目を止めた。
「こら女中」
がらりと態度を変えた。
威圧的な低い声色だった。
「私の契約者に汚い唾液を付けるな」
仮面から覗き見える瞳が、すっと冷酷に眇められたのが見えた。
空気が赤く、ぐらりと揺れた。
アノニモの前に、厳つい体つきの男性が現れた。
盛り上がった肩の筋肉、驚くほどに太い両腕。
筋骨隆々だが猫背気味のその姿を、労働者のような簡素な服装で包み、表情もなく片膝を付いていた。
死体を焼くときのような嫌な匂いがした。
男性はゆっくりと立ち上がると、火焔の点いた握り拳を左から右に動かした。
「やれ」
アノニモは言った。
握り拳に点いた激しい炎が、男性の腕の動きに沿って宙を流れる。
「ちょっ、ちょっと待て!」
女中の肩を押し退けながら、ランベルトは声を上げた。
「殺す気か!」
「はい」
「私ごとか!」
アノニモは首をやや傾げ口角を上げた。
「大事な契約者に、そんなことをする訳がないでしょう。その女中だけです」
「うちの女中だ!」
「知っています」
ググ、と近付けられた肩を、ランベルトは再び押し返す。
女中は笑うように口を横に開いた。
「お前に、扱いを決める権利はない!」
「その女中はもう、元には戻りません」
アノニモは言った。
「なぜ分かる」
「もう死体になっています」
上にのし掛かった女中の肩を両手で押し退けながら、ランベルトは目を見開いた。
先程からの疑問に、合致する答えに気付いた。
甘酸っぱい匂い。
発酵臭と体液の混じったような、濃厚で嫌な甘酸っぱさは。
腐乱し始めた死体の匂いではなかったか。