Il profumo delle rose e la fanciulla cadavere. 薔薇の香りと死体の女中 I
蝋燭の灯りを消して眠りに就いたのは、どれくらい前の時間帯だったか。
ランベルトは、間近に人の気配と重さを感じて目を覚ました。
目を開けたはずなのに、真っ暗で何も見えなかった。
視線を感じるのだが、どこからの視線か分からない。
光を探ろうと懸命に目を大きく見開いた。
部屋の灯りを落としたとはいえ、月明かりで少々なら見えるはずだが。
どうにも部屋の景色が見えない上に、自分のものとは違う息遣いが聞こえる気がする。
太く荒い、やや興奮したような息遣いだった。
「えと」
自身の感覚を確認するために、声を出してみる。
発音が出来、自身の声が耳に届いたことで少々ホッとしたが、それでも視界は不明瞭なままだった。
「あー」
意味のない声を出してみる。
興奮した獣のような息遣いが、耳元で聞こえた。
頬に冷たい息がかかる。
これは。
何者かに、上にのし掛かられているのか。
そうと気付き、恐怖で身体が硬直した。
「アノニ……」
思わずそう言いかけた。
普段なら執事か従者を呼んでいるところだが、なぜあの正体不明の霊の名前が真っ先に出たのか。
のし掛かっていたものが、僅かに位置をずらした。
窓のカーテン越しの月明かりが視界に入り、白っぽいものなら判別できるようになった。
のし掛かっているのは、女性のようだった。
どこかで見た顔だと気付き、記憶を探る。
昼間、生けた薔薇を運んで来た女中に似ている気がした。
薔薇は窓の横に邪魔な感じで飾られたままだ。暗い中で金色に近い黄色が映えて見えた。
「……えと、君?」
ランベルトは戸惑った。
女中は再び身体をずらすと、衣擦れの音をさせて顔を近付けた。
寝具から出たランベルトの肩に手を掛け、唇を近付ける。
身体の奥から絞り出すような深い息が、唸り声のように聞こえた。
「何か……身体の具合でも」
「お慈悲をくださいませ」
女中は、不自然に身体をがくがくと揺すりながら言った。
「慈悲……」
「ランベルト君と夜を過ごしたく思います」
「は?」
何だこれはとランベルトは戸惑った。
噂に聞く、主人の愛人狙いのあれとかか。
今までそんなものに会ったことはなかったが、父がいよいよあれだとなると来るものなのか。
「いや……ちょっと待て」
こんな状況で、据え膳がどうこう言う者は、警戒心が無さすぎだろう。
怪しすぎて、その気になる以前に怖い。
「お慈悲をくださいませ、ランベルト君」
女中は、バフッと音を立て勢いよく腹の上に跨がった。
いきなり圧迫され、ランベルトは、ぐっと息を吐いた。
続けて身を屈めると、ランベルトの両の頬を乱暴に掴む。
口づけをするような動作をしたが、ランベルトは顔を逸らして避けた。
唇の端から頬にかけて、甘酸っぱい匂いの唾液をべっとりと付けられる。
匂いの奇妙さにランベルトは眉を顰めた。
「ちょっ……君」
ランベルトは女中の肩を押し退けようとしたが、グググ、と肩で押し返される。
女性にしては、随分と力が強くはないかと思った。
「お慈悲を、どうぞ」
女中は喉風邪のときのような濁った声でそう言った。
「ランベルト君」
「いや……ちょっと待て」
ランベルトは懸命に押し返した。
女中は、柔らかい寝具にめり込ませるようにして手を付き、ランベルトの抵抗を更に渾身の力で押し返した。
女中の吐き出す甘酸っぱい臭いのする息が顔にかかる。
何の臭いだろうとランベルトは思った。
果物の爽やかな甘酸っぱさとは違う。
発酵した臭いと体液の臭いとが混じったような、嫌悪感を覚える甘酸っぱさ。
何か、知識の片隅にあった気がする。
渾身の力を込めようやく少し押し返すと、寝台の横に誰かが立っているのに気付いた。
白い服を着た人物のようだった。
執事だろうか。
手を借りようと、ランベルトは顔をそちらに向けた。
寝台の横にいた人物は、こちらの状況を何だと思っているのか、ゆっくりと胸に手を当て呑気に一礼した。
折り目正しい仕草で上げた顔には、白い仮面を付けている。
アノニモだった。




