後≪レイアスside≫
「教皇より国王陛下へ!!!」
ある日、教会の使いの者が王宮に駆け込んできた。
見たこともない慌てようだった。
「何事だ!」
使いの者は枢機卿の中でも最も教皇の信頼の厚い者。ただ事ではない。すぐに国王の御前に通された。わたしも勿論王太子として同席する。
枢機卿は居住まいを正すと、国王に告げた。
「今朝、ご神託が下りました」
神託と言う言葉に、皆に緊張が走る。この国で神託が下るのは、あの時しかなかったからだ。およそ170年振りの…。
わたしも心づもりをする。
「黒魔が、国の北に現れます」
やはり…。
黒魔とは、数十年から百数十年に一度現れる、瘴気の塊だ。放置すれば、国中に影響が現れ、これを機に他国に攻め込まれればひとたまりもない。歴史上では、成す術なく国が衰退した記述もあった。
しかし、ここ何度かの黒魔は、国中に瘴気をばらまく前に祓うことが出来ていた。
何代か前の聖女が神と契約し、黒魔の神託と同時に、それを祓うことが出来る聖女と、その聖女を守る勇者の神託が下されるようになったからだ。
「して、聖女のご神託は?!」
宰相が急かすように問いただす。
「ございます。赤き髪、緑黄色の瞳とのご神託が」
聖女の神託は、いつもその髪と瞳の色だけが告げられた。今回は比較的珍しい色だ。石板による選定が必要だが、その時は容易く見つけられそうに思った。
みなに安堵が広がる。過去聖女がいなかった場合、間違いなく国力が衰退したからだ。
「勇者のご神託は?」
聖女と異なり、具体的に在所や氏名がはっきりと告げられるのが勇者の神託だった。
しかしその問いに、枢機卿はわたしを一瞬見た。
もしやと一つの可能性が浮かぶ。
そして、その可能性は、そのまま事実となった。
「レイアスが勇者とは…」
国王である父上は、様々なことが脳裏をめぐっているのであろう。
あらゆるものを浄化する聖女と一緒とはいえ、勇者はその命をかけて聖女を守る。命の危険は当然伴った。
その勇者に王太子であるわたしが神託より選ばれたのだ。
わたしとて、この国難に自ら立ち向かうことの意義を感じてはいたが、王太子、将来の国王という役目も、この国でたった一人が背負う重責であった。
そして、その重責を担うために、これまでの19年の人生を費やしてきた。
勇者になるなら、必要のないものもあっただろうし、代わりにもっと努力せねばならないものもあっただろう。
しかし、この国の為に働くと言う意味においてはどちらも同じ。
そして、王太子は、わたしにしか出来ないものではない。有事に備え、弟である第二王子のアレクシスも、王族として厳しい教育を受けている。
勇者として立つ心は決まっていた。
「レイアス様…」
回廊から月を眺めていると、わたしの婚約者であるカミーユ姫が侍女を伴い現れた。
白皙の美貌が、さらに青ざめて見える。
「陛下より、お話を伺いました」
聡明で美しいカミーユ姫を、婚約者として大事にしてきた。しかし、正式に婚姻を結ぶ前に神託を得て、幸いだったというべきか。
「勇者としてのご神託が下ったと…」
「うむ。思っていたのとは違う形で、この国の為に働くこととなった」
月を見ながら答える。カミーユ姫の悲しそうな顔を見るのはつらい。
「…王太子位をアレクシス殿下に移譲されると聞きました」
彼女にとっても、今回のことは大きな転機だろう。
「そして、わたくしにレイアス様との婚約を解消し、アレクシス殿下と婚約するよう陛下から命じられました」
穏やかに心を交わしてきたわたしたちだが、このような事態は想定していなかった。
カミーユ姫は素晴らしい女性だ。わたしとて、このような形で婚約を解消することになるとは思っていなかった。
しかし、彼女ほど将来の王妃にふさわしい女性はいないことも確かだ。
アレクシスがこのような状況で立太子するなら、なおさら彼女の助力が必要だった。
「王妃として申し分ない資質であるがゆえに、王家に翻弄され、苦労をかける」
くるりと振り向いて声を掛けると、カミーユ姫はそっと首を垂れた。
「わたくしに待っているようにとはおっしゃらないのですね」
それはほとんど消え入りそうな声であった。カミーユ姫の心の声を聞いたのかと錯覚するほどに。
わたしが無事に勇者の勤めを果たし戻ってきた時、再び王太子にという根強い意見があるのは耳にした。
しかし、わたしの中にその想定はない。
「勇者の使命には、命が懸かっている。無責任な言葉は出せぬ」
翌日、アレクシスの立太子と、カミーユ姫とわたしの婚約解消、そしてアレクシスとの婚約が、内々に発表された。
聖女の選定は時間がかかっていた。
その間、わたしはひたすら剣と肉体の鍛錬に時間を費やしていた。
選定に使われる石板は、神託が下ったのち、一つしか作ることが出来ない。
それを枢機卿が持ち、候補の女性が多い地域から周っていた。
「今日の選定でも聖女は現れなかったようです」
今回の地域には、治癒師として名高い女性が候補の一人としてあげられていた。聖女らしい清廉な見目らしく期待されていたが、石板は何ら反応を示さなかったようだ。
教会と王宮では焦燥感が広がっている。本当に聖女は現れているのか…と。
しかし、その知らせはある日突然早馬でもたらされた。
「聖女様が選定されました!石板に手をかざした瞬間、光り輝き粉々に割れてしまったとのことです!」
それは、西部の貧しい地域、フランガードルからの知らせだった。
聖女は、その地域に荘園を持つ、サセライド男爵家の長女、コレット嬢だと告げられる。
教会関係者が少し安堵したのが分かった。下位ではあっても貴族だ。国への忠心を期待できたし、聖女として修練するにしても、読み書きの出来る出来ないで要する時間と浄化の力が大きく変わる。
前回の黒魔から170年もの長きにわたり再来がなかったのは、前の聖女が修道女で教養も高く、高い位の浄化の御業をもって深くまで瘴気を祓うことが出来たからだ。
今度の聖女も貴族出身ならば期待が寄せられるだろう。
黒魔の瘴気は北部で最初の現象が報告されていた。
出立までの時間は、短ければ短いほど被害が少ないだろう。
わたしは勇者として、この聖女を守り瘴気を祓う。
そのことだけを考えた。
数日後、聖女が王都の大聖堂に到着したと報せが来た。
ほとんど休みなく馬を走らせて、馬車で来たと聞いた。成人したばかりと聞いているが、大の男でもきつい行程だ。いかほどに疲れているだろうか。
しかし、すぐに顔を会わせたいのも事実。わたしは無理を承知で大聖堂に向かった。
聖女は聖水による禊を行っているらしい。その水が、せめて温かいことを祈る。
貴賓室で待つよう案内され、窓の外をぼんやり眺めていると、ざわざわと人の気配が近づいた。もとより扉は開けたままだ。多くの司祭に囲まれて、その人はいた。
わたしと同じ燃えるような赤い髪。神託の通りの、優しい緑黄色の瞳が瞬く。
あどけなさの残るまろやかな頬のラインと、唇の赤に視線を吸い寄せられた。あまりに可憐だ。
白のドレスとローブが恐ろしく彼女を清らかに見せ、わたしに彼女が『聖女』であると、その全てで伝えるかのようで…。
「サセライド男爵が娘、コレットと申します」
貴族の令嬢らしく、礼をされる。
だが、気づけば勝手に体が動いていた。
わたしは生まれて初めて女性の前にひざまずき、彼女の手をそっと押し頂く。
「聖女殿。勇者に礼はいりません。わたしがお仕えするのはあなたただ一人ですから」
見上げると、視線がぶつかった。
途端に体の中を何かが満たす。
聖女を得た勇者とは、このような気持ちになるのかと、わたしは喜びに震えた。
彼女が手をわたしから取り返そうと力を入れる。離すまいとギュッと握ると、その手指の貴族令嬢らしからぬ感触に気が付いた。
彼女の手指はささくれ、常に働いている人間のものだった。
そして彼女がそれを恥じ入っているのに気が付いた。恥じ入る必要などない。
それすらも彼女の美点だ。
この聖女の勇者として、神が決め給うたこの運命を、喜んで受け入れる気持ちになっていた。
コレットは、素晴らしい女性だ。
神は御目が高い。
何より、聖女の使命を正確に理解し、努力を怠らないだけでなく、一切の不満を口にしなかった。
彼女はもともと、家族の為にずっと自己を犠牲にしてきた女性だった。
この年齢でここまで考えて行動できる人が、果たしてどれだけいるだろうか。
責任感も強く、努力家でもある。
しかし、こんなに素晴らしい資質を持ち、容姿までそばにいる人間を魅了して止まない愛らしさなのに、自己評価が非常に低く、何かと自分に対して厳しい。
聖女としての修練も、コレットの能力が高いがゆえに求める基準が高くなっているというのに、高等教育を受けていないからと寝ずに努力をする。
わたしは何か彼女の助けになりたくて、一緒に大聖堂での修練を受けることにした。
理解が難しい場面で、後からでも彼女がわたしと一緒に考えられるようにだ。
ともに過ごす時間が増え、わたしはお互いを愛称で呼ぶように彼女に懇願した。
初めて彼女を「ココ」と呼び、彼女から「レイ様」と呼ばれた時には、胸が高鳴った。
明らかにわたしは、ココに生まれて初めての特別な感情を抱いていた。
それを自覚した瞬間、わたしは強烈な自らに対する忌避感に襲われた。まるで聖女を冒涜するかのような気持ちになったのだ。悩んだわたしは、教皇にどうすべきかを問うた。
しかし教皇は、わたしからこのような問いかけが来るのを分かっていたかのように即答した。
「何ら問題ありません。勇者は聖女を愛するのが当然なのです」
「それは神の御意思か?」
教皇はゆるく頭を振る。
「これは自明の理、です」
肯定された。それも必然なのだ。
「聖女に選ばれるに足る女性の、最も近くにいることを許されたのが勇者です。勇者が聖女を愛さずにおる方が難しいのではないですか?」
わたしは思わず晴れやかに笑ってしまった。その通りだ。教皇はそんなわたしを、微笑んで見守る。ただし、使命を果たすまでは、くれぐれも聖女に無体は働かないように…と、最後に釘は刺されたが。
言われるまでもない。
二人で過ごす時間が増えれば、彼女の個人的な憂いも察する。
聖女に選定された当時、男爵家は財政的にひっ迫していたと聞く。
聖女の実家に対して、教会からも王家からも支援を申し出たが、男爵は貴族としての矜持が高い人物で、受け取らない。
幼い弟妹だけでもなんとか出来ないかと案じていたら、男爵の方から直接わたしに書簡が来た。
長男が文官の登用試験に合格し、王宮で仕官することになったと。
以前、ココから、兄が王都で行方知れずとなっていると聞いていたが、捜索の手配をかけたところ、男爵から止められたのだ。どうやら、男爵と兄は連絡を取っていたらしい。
調べればすぐに判明した。内政省の下級官吏の中にその名前を見つける。
聖女の身内だと名乗れば、教会関係ででもすぐに職を得られるものを、この兄は実力で試験に合格して仕官していた。
会ってみれば家族思いの人物で好感を持つ。
すぐにココを兄の元へ連れて行った。
その会話の中で、気になる名前を耳にした。
『デュラン』という名を兄が口にしたとき、ココが明らかに動揺した。
しかも、二人の幼馴染だという。
カッと胸の内が焼ける。
後日、どうしても気になったわたしは、再びココの兄、ザハレルを訪ねた。
そこでわたしは彼の懺悔を聞いた。
「母が亡くなるまでの数年、その治療費で我が家の財政状況は今以上に困窮していました。その時、出入りの商人の跡取り息子のデュランが、コレットとの婚姻と、支援を申し出てきたのです」
嫌な話の展開に、聞きたいような聞きたくないような気分になる。
「父は、裕福な商家に嫁ぐのは、コレットにとっても悪くない話だと考えていました。何より、デュランがコレットを幼い頃から好いているのは、誰の目にも明らかでしたから」
過去、コレットが結婚を申し込まれていた事実に腹の底がふつふつし出した。
「ですが、自分がそれを断ったのです。ちっぽけなプライドの為に」
そこでザハレルはさらに項垂れ、髪に手を入れかき混ぜた。
「しかも最悪なことに、実はコレットもデュランのことを好いているのだと、断った後に分かったのです」
ココが好いていた男の話に、わたしの理性が一瞬で焼けそうになる。
あの動揺。もしや今でもその男のことを想っているのだろうか…?!
「デュランは良いやつで、断られた後も商人としての節度を守って我が家に出入りし、コレットを見守ってくれていました。しかし彼も商家の跡取りです。コレットが彼を好いているのをわたしが知った頃には、結婚を約束した恋人がいました」
固唾をのんで、ザハレルの話の続きを聞く。
「コレットが、恋人がいると知りながらも、直接気持ちを伝えていたら、どうなったかわかりません。しかし、妹はそんな人間ではありません。その姿を見ているのも辛くて、わたしは仕官の口を求めて王都に来たのです」
そこでやっとザハレルは顔を上げた。
「妹は今まで苦労を重ね、わたしのせいで恋にも破れ、それでも懸命に生きてきた人間です。聖女としても、きっと全力で命を懸けて使命を果たそうと努力するでしょう。今までは家族の為に犠牲になり、今度は国の為に犠牲になるのかと思うと…。どうか、王子殿下!妹を守ってやって下さい」
その顔は、様々な思念の涙で濡れていた。
「もとより」
力強くわたしが言うと、ザハレルは椅子から降りて地に伏した。
「妹をよろしくお願いいたします!」
デュランと言う男の存在に、わたしの心はかき乱され焼けつくようだ。
しかし、聖女であるココの横に寄り添えるのは、勇者である自分だけだと、何とか暴れる気持ちを落ち着ける。
二人きりで旅をする日々を思えば、それが命懸けであろうと、わたしにとっては、ただ1日も早くと待ち遠しいだけだった。
とうとう明日が出立という夜、王宮では家族だけの晩餐の場が持たれた。
ココは男爵家の家族と。
わたしは両陛下、アレクシス、他の弟妹、そしてアレクシスの婚約者であるカミーユと。
両陛下とも、ここでは父親、母親の顔でわたしの無事を祈ってくれているのが分かった。
明日はきっと国王と王妃として、勇者を送り出してくれるのだろう。
晩餐会の後、アレクシスがわたしの部屋にやって来た。
立太子してから日に日に頼もしくなる弟に、後顧の憂いは何もない。
「とうとう明日ですね」
一杯だけ酒に付き合うことになった。
「勇者として、立派に使命を果たされるであろう兄上にお喜び申し上げる」
アレクシスが杯を掲げる。
わたしも高く掲げた。
「そして、心より愛する方との旅立ちにも」
そのアレクシスの言葉に、わたしは眉を上げた。全く間違っていないが、黒魔を祓い終わるまで、聖女は不可侵の存在。教皇に内々にはお許しを得たとは言え、わたしのせいでココにおかしな評判が立っても困る。
「ふふ…。この祝辞は自分の為です」
アレクシスが目を伏せる。
「今日も、カミーユはあなたばかり見ていた…」
アレクシスらしくない弱々しさに目を見開くと、弟はぱっと顔を上げ、笑顔を作った。
「兄上が帰ってこられるまでに、きっと彼女の心をわたしのものにしてみせますよ!」
アレクシスはカミーユを愛しているのだ。
こんな男に日々そばで愛されて、心が傾かない女がいるだろうか?
「わたしも同じだ。この旅が終わるまでに、ココの心をわたしのものにしてみせる」
わたしたちはぐっと手を握り合った。
一杯のつもりだったが、もう少し付き合ってやろう。
いつかいつかと待ち望んだ、ココと二人きりの旅の出立は、もう明日なのだから。
「ココ」
最愛の人の名を呼ぶ。白馬にまたがるココは、まさに聖女の清涼な空気をまとっている。
「ここからは、二人きり。黒魔を祓うまで、頼りは互いだけだ。わたしは必ずココを守り抜く」
何度も心に誓ったことを、もう一度君に声を出して誓おう。
国を国民を、そしてココを守るために。
「わたしも、レイ様だけを頼りに、必ず黒魔を祓って見せます」
ああ、わたしだけを頼ってくれ。必ず、あなたを守ってみせるから。
***
黒魔の瘴気を完全に祓うことが出来たのは、それから2年と8か月後のことだった。
勇者は傷つき片目を失い、聖女は浄化の力を全て使い果たしながらも、それから半年をかけて、二人寄り添うように王都に戻って来た。
王都の外れ、リューラント川のほとり、仲睦まじい公爵夫妻がいる。
かつて勇者と聖女であったことを、孫たちは知らない。
いかがでしたでしょうか。
初心者ですので、優しい気持ちでお読みいただけましたら、幸いです。
本編終了したのですが、一個考えてたエピソード入れ損なったので、また追加したいと思います。