其ノ弐 日宮村
「ここが日宮村です」と琴葉が言ったのは紅牙達が八代村を出て一刻が経ってからの事だった。日宮村は八代村から南西に約一里程離れた場所にある人口百人余りの農村で当然ながら百性達が暮らしており、あばら家の様な家が畑を挟んで点の様に建っている。風馬が村の入口から周囲を見渡しながらこう言った。
「畑がいっぱいあるね!」
「そりゃあそうだろう」
「当たり前じゃない!」
「うふふ、農村ですからね」
紅牙達は談笑しながら琴葉の家に向かい歩き始めた。端から見れば琴葉も家族に見えるかもしれない。しかし明るいのは紅牙達だけで畑を耕す周囲の百性達の表情は何とも言えない陰鬱な暗さを孕んでおりまるで葬式その物だ。辺りを見渡しながら風馬が言う。
「なんかみんな暗いね」
「そうなんです、不作が続いてて、、」
「でもこの辺りは年貢の取り立てが厳しいんでしょう?」
「はい、殿様が変ってから特に。だから一揆を計画してる人もいるくらいなんです」
「そりゃダメだよ!一揆は一気にやらないと!」
「あんたは黙ってなさい!」
風馬の頭に華輪がポカンと拳を振り下ろした。
「痛ぇー!!」
「お前は凝りねぇなぁ、はっはっは!」
姉弟の漫才を見ながら紅牙が笑う。しばらく歩くと畑を耕していた男がこちらに目を向けた。年の頃は四十くらいだろうか。男は桑をゴミを捨てる様に投げると目を細めて眉間に皺を寄せながらこちらに向かって来た。すると琴葉の前に立ち嗄れた声を荒らげて言った。
「おい琴葉!」
「あ、隣のおじさん、、」
「そいつら他所者か?」
男はそう言うと懐疑的な眼差しで値踏みする様にジロジロと華輪達を見回している。
「は、はい。こ、この前も言いましたけど邪妖の森に行って帰って来なくなった家族を一緒に探してもらおうと思って、、」
琴葉は男に気圧されながらおずおずと答えた。すると男は
「ぎゃっはっはっはっは!」
「ど、どうかしたんですか?」
「お前があんまりめでたいからおかしくてよぉ!はっはっはっは!」
「、、え?めでたい?」
両手で腹を抱えながらゲラゲラと人を馬鹿にした様に嗤う男をきょとんとした様子で見ながら琴葉は鸚鵡返しに聞き返した。その様子を見た男は残酷な言葉を吐き捨てた。
「お前の親は子供を捨てに行ったんだよ!口減らしだ!不作が続いてるからなぁ!子供を捨てに行って邪妖に殺されちまったっていう間抜けな話だよ!」
「そ、そんな事、、な、ないよ!」風馬は琴葉を庇う様に言う。
「その様子じゃ初めから気付いてたみたいだなぁ!まぁ余程の馬鹿じゃない限り気付くだろうがな!」
「い、生きてるかもしれないじゃないか!」
「だったらどうして帰って来ねーんだよ!?」
「、、き、きっと、、きっと何か理由があるんだよ!」
「そんなわけねーだろ!帰って来たとしても親父はこいつを人買いに売るに決まってるんだ!赤ん坊を森に捨てる様なクズなんだからな!」
心無い言葉だった。紅牙達の心に嫌悪感が広がる。クズとはこういう男の事を言うに違いない。琴葉は思った。この人はどうしてこんな酷い事を言うのだろう。すると琴葉の目に涙が溢れた。少女は両手で目を隠す様に泣いている。その涙は川に似ていた。
「おい、てめぇ!」
紅牙が怒鳴った。少女の涙を見た紅牙の心を怒りが満たした。紅牙は物を握り潰す様に拳を握り締めると男の胸ぐらを掴もうと前に出た。この男は殴った所で変わるとは思えない。しかし紅牙は殴らなければ気が済まなかった。すると紅牙の右肩が背後からガシッと掴まれた。華輪だった。彼女は紅牙と男の間に割って入ると黙ったまま男の顔をじっと睨みつけている。重い空気と沈黙が場に流れている。男はその沈黙に耐えかねたかの様にこう言った。
「な、なんだよ?俺は何か間違った事を言ったか?」
「あなたはこの子の涙を見て何も思わないの?」
「ああ、思わないね!涙は体液に過ぎないからな!」
何て酷い言葉だろう。この男には心が無いのかもしれない。華輪は能面の様な顔で黙って見ている。そして
「そう」
彼女は一言静かに呟いて冷笑を浮かべた。相手を軽蔑する様な冷笑だ。すると次の瞬間、音がした。バキッという音が。男の顔面に血の花が咲いた。華輪の拳が男の鼻を潰したのだ。殴られた男は、ぶは!と言うと仰け反る様に倒れた。
「何しやがる!血だ!血が出たぞちくしょう!」
男は鼻を抑えながら叫んだ。女に殴り飛ばされた屈辱に震えながら。その様子を見ながら華輪が事も無げに言う。
「体液がどうかしたの?」
「どうかしたの?じゃねーよ!暴力だぞ!」
「この子の心はあなたの言葉で血を流してるのよ!思っても言っちゃいけない事があるの!覚えておきなさい!」
「ああ、そうかよ!だったらさっさと森に行って現実を見て来い!俺が正しいって事が分かるぜ!」
男は両手で鼻を抑えながら吐き捨てる様に言うとよろめきながらおぼつかない足でその場を去って行った。琴葉が泣きながら華輪に駆け寄る。
「華輪さん、、!」
「大丈夫よ!お母さん達はきっと生きてるわ!あたし達が必ず見つけてあげる!」
華輪は琴葉を包み込む様に抱き締めてそう言った。




