第一章 神命樹の下で 其ノ壱 琴葉
鬱蒼とした草木が生える夜の森だった。雨が叩く老樹蛇走した道を野生動物が走り去る。その先には巨木がそびえていた。木は巨大な腕が大地を掴む様にそびえ立っており他の木々よりも飛び抜けて大きい。まるで千年以上前からこの場所に生えていた様な雰囲気と神話の中から抜け出した様な神々しさがあった。すると木の下に男女がやって来た。二人は百姓のようだ。女は腕に赤ん坊を抱き抱えている。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
女の腕の中で無防備に体を預けながら鳴いている赤ん坊は純粋無垢だ。しかし女の表情はそれに反して暗かった。女は思い詰めた表情で口を開いた。
「ねぇあんた、やっぱりこんな事やめようよ、、」
「大丈夫さ、ここは邪妖が棲んでるから誰も近付かねぇ、子供を捨ててもバレやしねぇよ」
「そういう事じゃなくて、、」
「、、お前まさか、子供を捨てたくないとかほざくつもりじゃねぇだろうな?」
「だって可哀想よ、、、、」
「俺だってこんな事したくねぇさ、でもしょうがねぇだろう、他にどうしようもねぇんだからな」
「でも、、、、」女は泣き始めた。
「泣く事か!子供なんかまた作ればいいだろうが!」
「嫌よ!お腹を痛めて産んだ子供だもの!」
「うるせぇ!お前が出来ねぇなら俺が捨ててやる!」
男はそう言って唾を吐くと赤ん坊を取り上げようと掴みかかる。
「嫌!離して!」
「寄越せー!!」
何という男だろう。男は女から赤ん坊を取り上げると女を右足で扉を蹴破る様に蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた女はうつ伏せになって倒れた。数秒両目を閉じて痛みに悶えたあと男の方に目を向ける。女は凍りついた。男の姿が赤ん坊と共に消えていたからだ。走り去ったわけではない事は男が立っていた場所に残っていた草履が証明していた。
「、、、あんた!?何処に行ったの!?」
女は驚きながら周囲を二度、三度見渡したが男の姿は何処にも見当たらない。すると音が聞こえてきた。不気味な音が。
〈フシュウウウウウ、、〉
「何の音、、?」
〈フシュウウウウウ、、〉
「まただわ、、」
〈フシュウウウウウ、、〉
「何処から聞こえるのかしら、、」
不意に女は上を向いた。その瞬間女の頭上から巨大な影が降って来た。覆い被さる様に。そのあと夜の森に響き渡ったのは女の悲鳴だった。
八代村は快晴だった。紅牙が華輪と風馬の家に居候する事になって二週間が経った日の昼である。雲一つない空の下、姉弟は庭で竹刀を構えて向かい合っていた。稽古である。真剣な表情でお互いの隙を探してじりじりと間合いをはかっている。風馬の汗が額から頬に伝い顎で雫になった。真剣勝負の様な空気の中で先に攻撃を仕掛けたのは風馬だった。
「てやぁー!」
竹刀を大上段に構えた風馬が威勢よく打ちかかった。面打ちである。
「甘い!」
その声と竹刀がぶつかり合う音が重なったのはほぼ同時であった。華輪が風馬の面打ちを受けたのだ。
「もういっちょ!」
今度は銅突きだ。しかし華輪はこれも避けると風馬の小手を打った。
「ぐあ!」
風馬が声をあげると竹刀が地面に落ちた。
「まだまだね風馬!」
「痛てててて、、ち、、ちくしょ〜、、」
竹刀を落とした風馬は膝を着いたまま痛がっている。華輪は竹刀を下ろすと腰に手を当てて言った。
「立ちなさい!そんなんじゃまだまだ邪妖と戦わせられないわよ!」
「少しは手加減しろよ、、全くもう」
「男が泣き言言わないの!邪妖は手加減してくれないんだから!」
華輪の言葉は厳しいが口調は何処か優しげだった。風馬が立ち上がると縁側から男の声が聞こえた。
「そうだぞ風馬」
紅牙の声だ。ニヤリとズルそうだが憎めない笑みを浮かべながら縁側に腰を掛けて団子を食べている。
「ああ!それは俺のみたらし団子!後で食べようと思ってたのに!」
「風馬!まだ稽古の途中よ!紅牙も邪魔しないで!」
「お前は真面目だなぁ華輪」
「当たり前じゃない!稽古は真面目にやるものよ!」
「そうだけどもう少し息を抜かないと男が寄り付かないよ姉ちゃん」
華輪は無言で風馬の頭にポカンと拳骨を振り下ろした。
「痛ぇー!」
「稽古はもういいわ!夕飯の買い出しに行って来て!」
「分かったよう!」
風馬は返事をしたあと家の中に入っていった。
「もう!稽古の時はだらしないのよね!」
「お前は姉っていうか親みたいだな、はっはっは!」
「くそー、打たなくてもなくてもいいじゃんか、、」
ぶすくれた少年はたんこぶを右手でさすりながら青屋に向かう途中で呟いた。しばらく歩いて煮売屋の前を通った時、店内から店主が声を掛けてきた。
「やあ風馬ちゃん!お使いかい?」
「こんにちはおじさん!うん!おじさんは今日も元気だね!」
「おうよ!元気がなきゃあ商売は出来ねぇからな!はっはっは!」
商人らしい威勢の良い張った声である。しかしその声を掻き消す様に向かい側の店から男の怒鳴り声が聞こえてきた。武士らしき男に怒鳴られているのは少女だ。年の頃は風馬と同じくらいで十三歳くらいに見える。栗色の長髪を後ろで束ねた可憐な少女である。
「お嬢ちゃん!俺の袴が泥で汚れちまったじゃねぇか!どうしてくれるんだ!?ええおい!?」
「ご、ごめんなさい、、ごめんなさい、、」
どうやら少女が男の袴を汚してしまったらしい。見かねた風馬は目を細め武士と少女の間にずいっと割って入った。
「やめろ!泥なんか洗えば落ちるだろ!」
「あ?なんだてめぇは?関係無ぇ奴は引っ込んでろ!」
「おいヘボ侍、その袴を自分の血で汚したくなかったらとっとと消えなよ」
「な、、な、、何だとコラァー!」
その言葉に激怒した武士は風馬の胸ぐらを掴んだ。すると風馬は武士の鼻を狙って全力で頭を降った。頭突きである。
「ぶげう!」
武士は血が吹き出した鼻を両手で押さえながら悶え苦しんでいる。
「今のうちに逃げよう!」
「あ、はい!」
風馬は少女の手を引きながら人混みの中をするすると掻き分けて走り去った。しばらくして袋小路に入ると息を切らしながら言った。
「ここまで、、来れば、、大丈夫、、でしょ、、」
「あの、、ありがとうございました!」
少女はニコッと花が咲いた様に笑った。その笑顔には花畑が似合う様な可憐な可愛さがあった。花が人間になったとしてもこんなに可愛くはなれないだろう。そんな可愛いさだ。少年は少女のその笑顔に見惚れながら頬を桜色に染めて時が経つのも忘れてこう言った。
「あ、、う、、」
「どうかしました?」
きょとんと首を傾げる琴葉の言葉に風馬は照れ臭そうに目を逸らしながら頭を掻く。
「い、いや何でもない、、俺は風馬。君、見ない人だけど他所の村の人?」
「はい、あたし、琴葉って言います。実は魔討士の方に用があって日宮村から来たんです」
「奇遇だね、その魔討士、俺の姉ちゃんなんだよ」
「え!本当ですか?」
「うん!立ち話もなんだから詳しい話は家で聞くよ!」
「はい!ありがとうございます!」
「、、、あ!」
「どうしました?」
「か、買い物忘れたー!!」
風馬はがっくりと肩を落とした。鴉の鳴き声が聞こえた。
「はっはっはっはっは!は、腹痛ぇー!!」
紅牙が大笑いしたのは風馬が琴葉を家の居間に案内した時だった。
「もう!何しに出掛けたのよ!」
「いいじゃんか、結果的に依頼が来たんだから!」
「そういう問題じゃないのよ!」
「まぁまぁ、そう怒るなよ。わざと買い物忘れたわけじゃねーんだからよ」
「紅牙は黙ってて!大体あんたはね!」
「あ、あの、、」琴葉が割って入った。
「あ!ごめんね!それじゃお話聞かせてもらえる?」
琴葉はその言葉に頷くとおずおずと話始めた。
「実は一昨日両親が一歳になったばかりの弟を連れてあたしが住んでる日宮村から西にある森に行ったきり帰って来ないんです、、。自分で探しに行きたいんですけどその森は邪妖が出る事で有名で、、だから一緒に探してもらいたいんです」
「赤ん坊を連れて森に、、?それって、、」
「どうかしました?」
「いや、、何でもないわ、、」
「こんな依頼無理ですよね、、村の人達にも相談したんですけど諦めろって言われて、、」
「そんな酷い事を言う人がいるのね、、 分かりました、その依頼、お引き受け致します」
「え!?本当ですか!?」
「ええ、勿論!」
「あの、、言いにくいんですけど、、あたし、、あんまりお金、、持ってなくて、、」
「それなら大丈夫よ、魔討士は式神に認められた人間だから国から報酬を貰ってるの。依頼を引き受けるかどうかは個人の判断に任されてるけどね」
この大和の国では式神は特別な存在で神や仏と同じ様に崇められている。それ故に式神の力を宿した魔討器を操る魔討士は国から報酬を貰っている。必要であれば大和の国の首都である皇都に赴き軍と協力して邪妖と戦う事もある。
「そうなんですか!魔討士って凄いんですね!」
「じゃあ今日はこれから琴葉ちゃんの家に泊めてもらって明日森まで案内してもらいましょうか」
「はい、分かりました」
「じゃあ紅牙、一緒に来てくれる?」
「おう、任せな」
「風馬、留守番よろしくね!」
「何でだよ!?」
「何よ?」
「何よ?って何だよ?」
「何だよ?って何よ?」
「何よ?って何だよ!?」
「何だよ?って何よ!?」
「あ、あの、、」
「あ!ごめんね!いつもの事だから気にしないで!、、風馬!あんた一緒に来てもしょうがないでしょ?この前痛い目にあったのに凝りてないの?」
「そうじゃないよ!琴葉ちゃん一人なんだよ?姉ちゃんと紅牙を森に案内したあと村に戻るまで付き添いが必要でしょ?」
「う、うーん、、そういう事ならしょうがないわね、、でも森までよ!危ないから!」
「やったー!姉ちゃんありがとう!」
「それじゃあ琴葉ちゃん、支度するからちょっと待っててね!」
「あ、はい!」
華輪は言って立ち上がると奥の自室に入り荷造りを始めた。するとしばらくして風馬が入って来た。その表情は何か心配事をしている様なそんな風情である。
「、、姉ちゃん、、あの子、、」
「ええ、、そうね、、」
華輪はその言葉にゆっくりと頷いた。




