1話:死、そして転生(前編)
――全く、どうしてこんなことになったのだろうか。
そんな考えても仕方の無い事を考えながら、俺は自分の腹部に手を当てる。
――あぁ? これ全部、俺の血だって言うのかよ?
腹部に滲む、ドロリとした何とも気持ち悪い液体。傷口に当てた手にベトりと纒わり付くそれは、人間が生きる上で必ず必要となるものの一つ。そんな生きる源とも言える血液が、今現在俺の体から、絶賛大量流出中だ。
「く、そが……」
こんな激痛、真正面から受け止めることなんて出きっこねぇ……
そもそも何でこうなったんだ?
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事の発端は、今から遡ること十分ほど前だろうか。友人たちと遊び、時刻は十一時前だった。俺たち中学生が補導の対象とされるギリギリの時間だ。
少しはしゃぎ過ぎて時間がギリギリだったため、普段は通らない路地裏を近道として通っていた。
「――くっそ、これで十一時超えて塾とか行かされんの、マジ勘弁だぞ……!」
「別に俺はそういうのないから急がなくてもいいんだけどー」
「そーゆーこと言うなよ! いつも俺だって色々付き合ってやってんだろ!」
正直、補導の対象となっても警察に見つからなければいい話だ。それは余裕。今までも何回か過ぎたことはあるが、見つかりそうになったことすらない。
だが、今の俺は受験生。それなのに遊び歩いてばかりだからと、今後一回でも十一時を回ったら塾に入れると言われてしまった。せっかく一日一時間の勉強で勘弁してもらってるのに、この上さらに塾など行かされたら気が狂う。
タイムリミットまでは残り五分。この路地裏を通れば直ぐだ。この路地裏を通れば確実に十一時を越すことは無い。越すことはないのに――、
「――ッチ、ツいてねぇ……」
少し前からガヤガヤとした声が聞こえていたからまさかとは思っていたが、やはり予想が事実に変わるとどうも受け入れ難い。
目の前に見える複数の影。行く手を阻むようにして屯しているそれらは、俗に言うヤンキーと言うやつだ。
「あ、あー、あのー……通ってもいーですかー?」
「お、おいばか……! ここはスルーだろ! 普通に引き返せばよかっただろ!」
目の前の、如何にもガラの悪そうな男たち。そんな男たちに話しかけた俺に、友人が小声で囁く。確かにそれは一理あるし、普通なら俺もそうしていた。でも、やっぱり塾は嫌だ!
ヤンキーは話せばなんとかなる確率があるが、塾は決定事項だ。この路地を抜ければ直ぐなのだから、そうするしかない。別に道を通るくらい、なんの問題もないだろう。
「あぁ? 何だお前」
「もしかしてお前らも俺らに金くれんのか?」
「ははは! そりゃいーや! 金出してくれんなら通ってもいいぜー」
道通るだけで金強請るやつとか本当にいんのかよ……
ってか待てよ? お前らも? ってことは既に他にもやってたのか? まぁこういう奴は大体常習犯か……
「お、おい! 奥にいるのって……」
「ん――?」
肘で俺の脇腹を小突きながら、友人がまた小声で囁く。そんな言葉に目の前のヤンキーたちの後ろを覗き込むようにすると、その奥にもまだ人影があった。
そしてその人影を見るや否や、俺は言葉を失った。得体の知れない何かが、喉の奥に詰まった感覚だ。
「あ、いつら、は……」
ヤンキーたちの奥に、身を寄せ合うようにして震えているのは、俺の性癖に超絶ストライクだった後輩たちだ。容姿と性格と、話し方や仕草など、それら全てが愛くるしかった後輩。手塩にかけて指導していた後輩が、目の前で怯えている。
「――金を払えば通してくれるんすね? なら、これ俺の財布なんで。これでここにいる全員、許してくれないっすかね?」
ゴクリと息を飲み、今にもぶん殴りたい気持ちを押し殺して俺はポケットから財布を取り出す。そして手渡すようにしてヤンキーに近付き、さり気なく反対側――即ち後輩たちのいる方へと位置取った。
そして後輩たちと一度目を合わせ、そのまま庇うようにしてヤンキーたちの方へ向き直る。
「全員って……そのチビたちもか?」
「ああ。コイツらは俺の後輩なんすよ。足りないってんなら後日俺が払うんで、今日のところは勘弁してくれないっすかね?」
元々あったプライドと、後輩に見られているというプレッシャー。恥は晒したくないと、どうも真面な敬語が使えない。元々得意じゃない敬語が更にプライドに邪魔されれば、相手を余計刺激してしまう可能性も――、
「てめぇナメた態度取ってんじゃねぇぞ!」
ですよねーーーー!!! 分かってましたー! ごめんなさーい!!
俺の中途半端な言葉遣いにキレたのか、ヤンキー集団の中の一人が突然怒鳴り始める。
これはあれだな、そう簡単に許して貰えないやつだわ……
「てめぇよ、自分の立場わかってんのか? あんまナメてっと殺すぞ?」
出たよ殺すぞ! こういう類いの人って皆これ言う! 実際殺す人っていんの? いたらいたでそれは馬鹿過ぎるだろ!
それでも、ここで暴れられると困るな……後輩には何があっても怪我なんてしてほしくないし、仕方ねぇか。一回くらい、誰かのために痛い思いでもしておこう。
今の俺じゃ、お世辞にも天国なんて行けそうにないしな……
「――おい、皆連れて逃げろ。最悪の場合俺の家入っていいから、そしたら警察とかに連絡してくれ。お前らも、分かったな?」
今度は俺が小声で友人に耳打ちし、その後で後ろの後輩にもそっと囁く。
正直言ってかなり怖いけど、こんなシチュエーションに憧れてたのも事実だ。莫大な恐怖の中にほんの少しだけ、満足感のようなものがあった。
「な、なんで……庇ってくれるんですか?」
ふむ、これは後輩に思いの丈をぶつける良いチャンスだ。だけど、残念ながらそんな余裕はない。細かいことは後から伝えるとして、今はあざとくないくらいのカッコイイセリフを……
「――だってさ、好きになっちゃったんだもん。そればっかしは……まぁ、仕方なくね?」
カッコイイーー!! キタコレ! コレだろ! 全国の先輩諸君よ! どうだこのカッコよさ! この首の角度と笑顔はキザ一歩手前の絶妙なラインだろ!
我ながらカッコイイことを言えたと思う。後は皆に逃げてもらって、少しの間時間稼ぎすればいいんだな。何だ、思ってたより楽勝じゃね? 怖いけど……
「――さぁ、早く行け!」
「~~~!! 行くぞっ!」
「あっ、おいコラ! 待ちやがれ!!」
俺の合図に少し躊躇いながらも、友人は後輩を引き連れて路地裏の外へと走って行った。そんな彼らを慌てて追いかけようとヤンキーの中の一人が足を踏み出す。
「申し訳ないですけど、ここで皆さんを行かせたら俺のカッコイイセリフが台無しになるんで。ちょっと相手してくださいよ」
さぁ、これもまたクールに決まったな。まぁ、ここでカッコつけても後輩いないし意味ねぇけど……と、まぁやるしかねぇ! 喧嘩くらい日常茶飯事だし、まぁ多勢に無勢だけど、やれるだけやって、後はてきとーに任せらァ!
「相手しろだァ? てめぇの金はもう貰ってんだよ。これ以上、てめぇに用なんてねぇ! 邪魔すんなら死ねや!」
「来いや――ァって、は……?」
おいおいおい、待てよ。聞いてねぇぞ。何だその右手に持ってるやつ……それはやべぇだろおい。んなもんマジで持ち歩いてんのかよ? いやいや、そんなん持ってるやつに勝てるわけ――いや、流石に刺しては来ねぇか? んならいつも通り相手の攻撃を誘って……よし!
「何があっても、アイツらは守ってやらなきゃなんねぇんだ!」
刺す刺さないに関わらず、刃物を持ってるヤツを後輩たちの所に行かせるわけには行かない。何がなんでも、コイツはここで食い止める。
奥歯を噛み締め、若干の恐怖に震える足を一歩前に出す。それが出来れば、あとはなんてことは無い。恐怖を押し殺して一歩踏み出すことが出来たなら、あとはそのまま反対の足でも繰り返す。
そうして距離を詰めることが出来れば、相手が威嚇でも本気でも、そのナイフを振り翳した瞬間に合わせて一回だけ避ける。そしてその隙をついてナイフを取り上げることが出来れば、こっちにも勝機はある。
「アァァァァァ――ぁッ!?」
相手との距離は、そんなに遠くない。元々狭い路地なのだから、数歩で辿り着けるはずだ。なのに、それなのに、辿り着けたはずなのに――。
「なっ……かっ、くはっ!?」
あと三歩ほどという所で、俺の足は力が入らなくなった。そしてそのまま体勢を崩し、腕で支えることも出来ずに顔面から地面に転倒。
激痛の走る腹を見てみれば、俺の腹に異形な突起が――、
「お、お前! やりやがったのか!?」
「――あ?」
「あ? じゃねぇよ! 馬鹿! マジで刺してどうすんだよ! そいつ死ぬぞ!?」
――否。ヤンキーが持っていたはずのナイフが、俺の腹に刺さっているのだ。
なんで……? 投げて来たのか? は? 普通投げるか? 避けられてたらお前丸腰だったんだぞ? もう刺すぞって言う脅し出来なかったんだぞ!? ――いや、そーだよな!? 普通脅しだよな!? え、刺すか普通!?
――つか、これはヤバいだろ……マジでヤバいだろ……
「ッチ、さっさとしろ! こっから離れるぞ! そのナイフしっかり回収しろよ!」
「――」
「ぇはっ……!」
ちょ、待てよ……! この状況で抜かれたら血が……!
あ、ダメだ……これは死ぬ……
くっそ、こんなとこで……こんな薄汚いところで、一人静かに、死ぬのかよ……
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