1話:旅立ち
何の前兆も無くパチリと目を開けると、そこに映るのは一瞬間前に見た天井だ。
左から差し込む淡い光に照らされて、俺は眠気を一切感じない、心底気持ちの良い目覚めを迎えた。
「ん、んんっー!!」
布団の中で両手を大きく伸ばし、体をDの字に湾曲させる。暫く同じ体勢をとったあとの伸びは、実に気持ちいいものだ。この感覚を味わわずして一日は始まらない。誰になんと言われようと、俺はそう断言しよう。
「そしてグッドモーニングだ! スイちゃんや!」
未だベッドから体を起こさない俺は、自分の胸に乗っているぷにぷにの存在を確認。両手でその存在を優しく掴み、天高く持ち上げる。
青く透明なひんやりボディは極上の弾力を誇り、寝起きの俺の意識をより一層覚醒させる。
――そう。朝早くから俺を虜にするこの小悪魔的存在は、俺の愛しの従魔。スライムのスイだ。
「さぁ! 今日から一緒に、張り切って行こうじゃないかー!」
スイを抱え上げ、俺は漸くベッドから体を起こす。
そして今日は、俺とスイの冒険者生活初日。夢にまで見た冒険者が、今日から漸く始まるのだ。
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時間は実に、丸一日ほど遡る。
レッドボアを倒し、スイをテイムした俺はあのまま母さんの待つ家に戻った。
そして父さんからは俺の知らなかったことを色々と学び、色々と呆れさせた。
父さんが呆れた理由は、「何で無駄な知識があるのに肝心なことを全然知らないのだ」ということだ。まぁ、無駄と言われる知識の大半は前世の知識で、こっちの世界に来てからはそこまで何も教わっていない。学校も無いし訓練ばかりだったから、これは致し方ないことだろう。
そしてそのままその日は眠り、今再び目を覚ました。
「父さん、母さん。おはよう」
「おはよう、アル。昨日はちゃんと眠れた?」
そんな遠足の前日に楽しみすぎて眠れない小学生じゃないんだから……
まぁ、中三で修学旅行に行く時は楽しみで眠れなかったんだけどさ。
「大丈夫。しっかり寝たよ」
しかし、昨日は初めての狩りで疲れていたのか、ぐっすり眠ることが出来た。
「まぁ、睡眠不足で体調崩したら折角の門出の日が台無しだもんな」
そう。今日は俺にとって、大事な大事な門出の日。冒険者になるべく、王都へ独り立ちする日なのだ。
「昨日のうちに大体の荷物はまとめてやったぞ。お前の武器も一応用意したが、冒険者になったらもっといい武器を買えよ。今の武器じゃお前の実力について行けない」
「ん、分かった。ある程度したら武器は買い換えることにする」
リビングで朝食を済ませた俺は、父さんと一緒に庭へ出た。外に置いてある馬車の前には俺の武器がズラリと並んでいて、当面の着替えなどの必需品も纏めてある。
「それと、こっちは俺らからの餞別だ。武器一式や当分の宿代はこれを使え。勿論、出世払いな!」
そう言うと、父さんはジャラジャラと音のなる薄茶色の袋を笑いながら俺に手渡した。確かに、冒険者という職業は軌道に乗るまでに金が掛る。武器の調達から冒険者登録、いざと言う時のためにはポーションなども持っておかなければならない。
これは遠慮すると絶対に苦労するので、有難く頂戴しておこう。
「分かった。強くなって稼げるようになったら、こっちから村に持って行くよ。帰れそうな時はたまに帰って来るから」
「おう! いつでも帰って来いよ。お前の部屋はしっかり残しておいてやるから」
そう言って、俺は荷物を纏めて馬車に乗り込む。今回は月に一度ある魔物を王都に持って行って売り捌く日のため、御者は村の自警団の人だ。
俺は馬車の窓から父さんや母さん、村の人々に手を振り、そのまま村を離れる。
「じゃ、行ってくる!」
「おう、元気でな! ヘマと無理はすんなよ!」
「頑張ってらっしゃい! いつでも戻ってきてね!」
父さんと母さん、そして村の人々に見送られ、俺は王都へ旅立つ。
家族と離れるのは心細いが、今の俺にはスライムもいる。決して孤独にはならないし、向こうでの出会いもあるだろう。
この別れが齎すものは、新たな出会いと生活。冒険者としての華やかな道だ。
「そう言えば名前付けてなかったな。スライムって呼ぶのも何か味気ないし、お前にも名前を付けよう」
「ピュピュ?」
青くて透明で冷たくて、液体と個体の間みたいな柔らかさ、んでもって種族名がスライムなら……
「やっぱスイしかないな! 安直なネーミングだけど、いざと言う時は呼びやすい方がいいからな! どーだ?」
「ピュピュイ! ピュピュ、キュゥ……『スイ! 気に入ったー!』
うお!? え、何!? 今の声どっから聞こえたの!?
『スイだよ! スイ! スイが話してるー!』
「え、これ……スイなのか?」
「ピュピュー!」
ん? 今のは普通にスライムの鳴き声……待てよ? もしかして……
――スライム(ユニーク)――
【名前】
スイ
【種族】
スライム(ユニーク)
【年齢】
不明
【性別】
無
【能力】
念話>>ネームドモンスターにのみ使用出来る能力。心の中で話しかけることにより、言語の違う種族や生物との対話を可能にする。
捕食>> 魔術介し>> 伸縮>> 収納>> 変形>>
【称号】
ユニーク、ネームド
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やっぱり。俺が名前を付けたことで念話の能力を会得したのか。因みに俺の従魔術の欄には、従魔との意思疎通が記されていた。どうやら俺の場合は念話では無いらしく、言葉で伝えないと届かないらしい。
まぁ一応、これでスイとの意思疎通を可能にした訳だが……可愛いな。
「スイは何で俺を選んだんだ?」
『スイはアルより弱いから、スイからテイムは断れないよー』
あ、確かにそう言えば懐柔の説明にそんなことが書いてあったな……だとしたら、スイからすれば無理矢理テイムされたことになるのか……
「な、なんかごめんな……? 勝手にテイムしちゃって……」
『え? んーん! スイは確かにテイムは断れないけど、嫌なら逃げれたもん! アルと一緒にいるの楽しそーだったから、全然だいじょーぶ!』
フルフルと滑らかなボディを震わせ、スイは否定らしき態度を取った。頭と胴体の区別が分からないスライムの動きは、見ているだけで面白いな……てゆか可愛い。
「ま、まぁ……それなら良かった。でも勝手に従魔にするのも可哀想だし、これからはちゃんと考えないとな」
『んー……でもスイの他のスライムはそーゆーのあんまり考えないよー。スイだけ特別! すごーでしょ!』
そう言えば、スイはユニークの個体だったか。だとしたら、ユニークじゃないスライムにそう言った自我と言ったような概念はないのか?
まぁそうだとしてもスライムだけしかテイムしないわけじゃないんだけど……
そんな可愛らしいスイとの談笑をしながら、俺は約十年ぶりの王都へ着いた。
「――それじゃ、俺はこの後魔物を売って直ぐに村に帰るから。アルも明日から頑張れよ」
「はい! ここまで送ってくれてありがとうございます!」
今回御者として王都まで馬車を出してくれた自警団の人は、俺が泊まる予定の宿屋まで送ってくれた。そしてそのまま宿泊の手続きを済ませ、なんと荷物運びも一緒に手伝ってくれた。何と優しい人なのだろうか。
「良いってことよ! んじゃーな!」
「はい! お気をつけてー!」
宿屋の前で、左腕にスイを抱えたまま俺はギルドに向かう馬車が見えなくなるまで手を振った。右手を高く伸ばし、背伸びをして、馬車が小さくなり、見えなくなったところでスっと手を下ろす。
「キュキュ?」
「――なーんで念話使わねーんだよ。安心しろ、寂しくはあるが泣きはしねぇ。一丁前に変な気使ってんなよー」
腕の中から俺の顔を見上げ、高い声で心配そうに鳴くスイ。そんなスイの額(?)辺りをツンっと指で弾き、俺はそのまま宿の部屋へ戻る。
――今日、今をもって、俺は漸く自立する。前の世界ではなし得なかったことが、これから始まる。
大小を問わない困難も、それに対する失敗も、この先何回もあるだろう。でも、俺はこの人生を決めた。今回こそは、努力が完全に報われるまで絶対に生き抜いてやる。
初めて出来た従魔のスイと共に、俺は今、改めて固く決心をした。




