結晶
ジャリジャリ、と二人のスニーカーが玉砂利を弾く。凛とした雰囲気が、その音を仰々しく響かせる。玉砂利の奥に残る昨日の雨の感触が、その音にわずかな丸みを加えた。柔らかな土が、二人の足取りを支えた。
青々と生い茂る木々の隙間から、夏の日差しが差し込む。椎や樫の葉が揺れるのに合わせて、斑な影が地面に可笑しな模様を刻む。葉の隙間からキラキラした光が漏れて、それがいくつもの筋のように降り注いだ。
「涼しいね」
直樹は、歩きながらグッと腕を伸ばす。蝉しぐれとともに流れていく風が、緑の爽やかな空気を連れてくる。ひんやりとした参道は、外の暑さなど嘘のようにしていた。
鳥居をくぐり石畳の客殿へと入る。日曜ともあって、多くの人が参拝をしていた。楠の木の向こう側に、大きな入道雲が広がる。ふわふわ、とした真っ白なその輪郭が、青い空をじわじわと侵食していた。
「ここは変わらないよね?」
不安は、ふいに口から漏れた。足を止めた夏美の横を、何人もの人が通り過ぎていく。ざわざわ、とした雑談の声が、耳の奥で反響する。夏のざわめきが混ざりあったその音に、夏美の意識は、すっ、と遠くへいってしまうようだった。
こちらを向いた直樹は少し屈んで視線を夏美に合わせた。
「すべてが変わるワケじゃないよ」
口端を上げた直樹は、踵を、ひゅい、と返す。
君の心は? そう問いかけたかった。直樹の心は、流れ行く時代のように変わってしまうのだろうか。移り変わる彼の趣味のように、夏美という存在もそのひとつに過ぎないのだろうか。真っ白なシャツを眺めたまま、夏美はそのあとをついて行く。
神宮殿の中にある、御神木の影に入る。ジリジリと石畳が跳ね返す日差しから逃げてきた。午前中のこの時間は、参拝客が多い。本堂の前には、人だかりが出来ていた。少しの時間、ここでやり過ごすことにした。
頬を伝う汗を、夏美は小さなハンカチで拭う。二本の御神木が作る影が、包み込むような清涼を与えてくれる。横に立つ直樹に目をやると、落ちる汗を拭うことなく、じっと遠くを眺めていた。
好きだ。無性に感情が湧き上がってくる。ゴツゴツとした男らしい腕に、飛びついてしまいたくなる。
右手がふいに、直樹の腕の方に伸びる。視界に入った自分の手を見て、慌ててそれを引っ込めた。滑らかな手の甲を、反対側の手のひらで擦る。夏の空気が染み込んだ肌は、少しだけしっとりとして、熱を持っているように思えた。
「まるで結晶だ」
直樹が言った。遠くを見ていた双眸が閉じられる。男にしてはしっかりとした睫毛が、閉じられた瞼の輪郭を鮮明にする。目尻に雫が光る。汗か涙か、夏美の目には、どちらにも見えた。
どういうこと? と夏美は、首を傾げる。
開かれた直樹の瞳が、夏美を捉えた。くっきりとした冷たい色の瞳に、子どものように無垢な顔をした自分が映り込む。
「時代という結晶が、今まさに出来上がっていっているんだ。変わりゆくのは、仕方ないんだよ。その形を、今、織りなしているところだから」
ただ黙って大切なものが変わっていくのを見ていろ、と直樹は言うのだろうか。それは、まるで言い訳のように聞こえる。夏美への興味という結晶もまだ織りなす途中なんだ、だから将来どんな形になったって仕方のないことだ、と。
まだ形を成さない心の結晶をイメージする。今にも溶けてしましそうな脆い構造が、不安と悲しみを掻き立てる。
「どうして、紗智に話したの?」
ワンピースの裾に皺が寄る。腿の辺りの波模様を握りしめた手のひらが、ジリジリと熱を持つ。薄い布越しに、爪が柔い皮膚に食い込む。刺すような痛みは、心のそれに似ていた。
「相談してた」
夏美は、はっと顔を上げる。直樹の優しい双眸がこちらに向く。カサカサ、と音を立てた葉がその瞳を悪戯に光らせる。力の抜けた手のひらがひんやりとした。
「気にかけられていない、と夏美が思っているんじゃないかと思って。そういうのが苦手だから。もう少し恋人として、うまくやれたらいいんだけど」
瞼の奥が熱くなる。視界が、ぼんやりと滲んだ。ツーン、と鼻に刺激が走る。涙は、堪えることが出来ずにこぼれ落ちた。
三年の時をかけて、気づかぬうちに結晶は出来ていた。
いつか溶けて無くなってしまうものでも構わない。今は、この美しい形を愛だと信じていたい。
夏美は、ギュッ、と直樹の手を握りしめた。
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シリーズですので、続けていくつもりです。
前作の「夏の向日葵」もよろしくお願いします。