待ち合わせ
雨上がりの空気が、夏の色をさらに濃いものとした。駅舎のコンクリートは熱を孕み、ひび割れた隙間から伸びる雑草が暑さに悶えるように揺れる。振り返り見た明治神宮外苑の向こう側の空に、大きな入道雲が広がっていた。
原宿駅の改札を抜けて、夏美は直樹の姿を探す。正面に見える表参道には、随分とヒッピーな格好をした若者が目立った。
夏美は、自分のワンピースを見下ろす。膝下ほどまで伸びた真っ白な生地が、蒸し暑い風に靡いている。あしらわれた水色の波模様が、ちょうどいい具合に揺れていた。直樹は、あぁいうのが好みなのもしれない。それでも、自分にはあまりに似合わない気がした。
腕に着けた時計を確認すると、約束の時間から五分少々遅れていた。夏美は、慌てて伝言板の方へと向かった。黒板の隅々を探すが、直樹の名前は見当たらなかった。
改札の中を見渡せるところまで戻り直樹を待つ。手に持った小さなカバンの中から、本を取り出し広げる。古めかしい匂いが鼻の奥を、ソワソワ、と擽る。適当なところから英文を読み始めた。記憶にないはずの懐かしい母の声が聞こえて来る気がする。
「夏美」
声がして、夏美は顔を上げる。軽く左手を上げた直樹が、改札から出てきた。開いていた本を閉じてカバンにしまう。小走りで、直樹の方へと夏美は駆け寄った。
「ごめん遅れた」
「ううん。私も今、来たところ」
首を横に振る。サラサラとした髪が視界の端で揺れた。
「行こうか」
そう言って、直樹は歩き始める。白いシャツの袖を捲り、男らしい筋が覗く。その大きな背中を夏美は追いかけた。
「お昼はなにを食べようか」
「なんでもいいよ」
「と言っても、ハンバーガーは嫌なんだろ?」
首をこちらに向けて、直樹の目が細くなる。だから、君が決めなきゃいけない。そう言いたげな瞳に、夏美は頬を膨らませる。
「嫌なわけじゃない。じゃないけど‥‥」
尻込みになる言葉に、直樹は足を止める。こちらを一瞥して、視線が街並に溶けた。
夏美も同じ方を向く。幼い頃、父に初詣へと連れて来られた記憶と重ねてみる。その景観は、随分と違った。大きなビル、カラフルな服を着た若者、派手な広告の看板。恐ろしさを感じてしまうほどの速さで、世界は変わっている。
直樹の目には、どう映っているのだろう。そう思って、彼の顔をじっと覗き込んでみる。
うるうる、とした双眸に、夏美と同じ色の景色が映る。彼がまばたきするたびに、ゆらゆらと揺れてその趣を変えていく。
彼は、この変化を望んでいるのだろうか。今に、どの街の景色もこんな風になっていく。抗えない運命が、目の前に横たわっている。きっと、彼はそれを受け入れているんだ。だから、新しいものを笑って迎え入れられる。
そう出来ない自分は、不甲斐ないのか。答えのない問いを、行き過ぎる時代に聞く。君は、彼といる資格はない、と返事が返ってきた気がした。
「どこかの食堂か蕎麦屋にでも行こう。夏美の手作りでもいいけどね」
「それなら、もっと早く言ってくれないと準備が出来ない」
それにうちに来るというのは‥‥ 。そう心の中で付け足した。
直樹は、すぐに歩き出す。今しかないこの景色を心のフィルムに焼きつけて。まるで、今のこの瞬間はそれで十分だというように。