第6話 浅ましき下郎 (6)
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宍色が目を覚ますと、目の前には化粧の濃い女が居た。
香水とタバコのニオイをプンプンとさせ、
濃く施されたアイシャドウによってバッチリと開かれた眼で宍色の顔を覗いている。
水商売の女だ、ということは一目で分かった。
まだ10代と言って差し支えないほど若い見た目なのに厚化粧をしているのは、
幼い顔立ちにコンプレックスでもあるからなのだろう。
その容姿が、雰囲気が、
宍色の"最初の女"に、とてもよく似ている。
「あ、アンタ、目を覚ましたのかい?大丈夫かい?」
「あ、ああ……」
先ほど、バケモノに変身して戦う姿を見られたのだろう。
宍色に見つめられた女は、彼からすぐに目を逸らし、気まずそうに冷や汗を垂らした。
昼ごはんでも作っていたのか、女の身体からは酒とタバコのニオイに混じって、
美味しそうなシチューの香りが漂っていた。
美味しそうな、シチューの香り。
それは、宍色が|獲物≪えさ≫として好む、家庭的な女のニオイでもある。
『鬼』の『嗅覚』が、宍色の理性を狂わせていく。
心臓の鼓動が早まり、強烈な喉の渇きが、彼を再び支配した。
女を食え。
オンナヲ、クエ。
地獄の底から響いてくるような本能の声を、宍色は確かに聞いた気がした。
ばきばき。ごりごり。
骨の軋むような嫌な音を上げて、宍色の身体が"カゲロウ"へと変わっていく。
異形の手足、4枚の薄羽根。赤い頭髪と瞳。
バケモノと化したカゲロウを見た女が、悲鳴を上げる。
しかしその悲鳴は異形の右手のひらに阻まれて、周囲に響き渡ることはなかった。
「きゃ……っ!?ムグ、んんーっ!?」
「大人しくしろ……大人しく……俺のガキを孕め……っ!」
カゲロウは右手で女の顎を掴みながら、
左の手のひらから触手のようなヒモ状の物体を伸ばした。
エイリアンを彷彿とさせるぬらぬらとした粘液にまみれたそれは、
タマゴを産み付けるための産卵管だ。
カゲロウは手元に発生させた小さなワームホールの中へと、その産卵管を侵入させた。
触手で繋がれたワームホールとカゲロウは、
まるでへその緒に繋がれた母と子のように一心同体となった。
産卵管の中をタマゴが伝う。
ドクドクと触手が脈打つたびに、カゲロウの口からは「ふぅっ、ふぅっ」と息が漏れ出た。
至福の表情で脂汗を垂らしながらビクビクと腰をくだけさせる醜いバケモノ。
彼が産卵管を侵入させた砂の渦の出口―――バケモノのDNAが吐き出された場所は、
カゲロウに襲われている女の、胎内だった。
「あ……あぁ……やだ……お腹が気持ち悪い……いや、いやあああああああああああ」
「へ、へへ……喜べよ……今日からお前も"かぁちゃん"だ……」
カゲロウが渦の中から産卵管を引き抜き、手を離すと、
女は立つ力も残っていないのか、あっさりと地面に倒れた。
女は今、自分がバケモノに何をされたのかよく理解出来てはいなかったが、
下腹部から伝わってくる強烈な違和感によって、
自分が穢されてしまったことだけははっきりと分かってしまっていた。
絶望で唇をわなわなと震わせる女の腹部が、
一秒、また一秒と経つたび、まるで風船のようにいとも容易く膨らんでいく。
腹を膨らませ、妊婦になった女を見たカゲロウは、『ソイツヲサラエ』という本能の声に従うまま、砂の渦の中へと女を引きずりこんでいった。
真っ暗闇の世界。
光すら届かない異空間の中を、腹を膨らませた数人の女たちが、フワフワと漂っていた。
女たちは例外なく、恐怖に顔を引きつらせて、その身をガクガクと震わせている。
無理もない。彼女たちの目の前には今、
自身をこんな目にあわせている張本人―――ウスバカゲロウのバケモノが居るのだから。
「な、なんなのよアンタ……っ、は、はやく私達をここから出して!出してよぉ!!!!」
ヒステリックな声を上げてカゲロウを非難したのは、最初にこの異空間に連れて来られた女。
あの路地裏で、カゲロウにタマゴを産み付けられた10代の水商売女だ。
あの日、彼女がワームホールの中に連れ去られてから既に数日が経っている。
―――そろそろ、いい頃合か。
カゲロウは水商売女を見てそう思い、舌なめずりをした。
そろそろ腹の中のタマゴが孵化する時期だろう。
カゲロウは『鬼』の本能によってそれを悟っていた。
女にタマゴを産みつけ、成熟させる。
それが、『鬼』と化した宍色なりの、獲物の『調理』法だ。
カゲロウが4枚の羽をわななかせ、水商売女に近づく。
女はカゲロウを拒むため、赤いメッシュの走る彼の頭髪を足蹴にしようとしたが、
あっさりと片足を掴まれて抵抗力を失った。
掴んだ女の足に、カゲロウが牙を立てた。
「うああっぁぁぁぁ……!」
痛みに喘ぐ女のことなどお構い無しに、カゲロウはその牙から消化液を注入する。
実在のウスバカゲロウの幼体―――アリジゴクは、捕らえた獲物の体組織を消化液によって分解し、溶けた体組織をすすることで獲物を捕食する。
消化液を注入された水商売女の身体は、見る見るうちに体の密度を失い、
空気の抜けた風船のように萎んでいく。
カゲロウが、じう、じう、と体組織をすすり上げるたび、
女の体はそこからさらに萎み、ついにはカラカラに干からびたミイラと化した。
腹の中のタマゴたちは宿主の死によって、永久に孵ることなく、
ミイラの胎内でその未完成な生命を終了させた。
女の腹にタマゴが産み付けられたことは、結果的に何の意味ももたらさなかった。
腹部だけが不自然に盛り上がった、妊婦のミイラが一体出来上がっただけだ。
カゲロウの、"妊婦を喰らいたい"という欲望のみが、満たされただけだ。
そこにはなんの生産性もない。何一つこの世にもたらさない。
ただ己の食欲を満たすためだけに、そのためだけに、
尊い生命を弄び、冒涜し、食いつくす。
己の遺伝子を継いだ卵ですら、
メスを孕ませたいという欲望のためだけに利用し、
それが達成されれば宿主ごと殺して捨てる。
まさしくそれは、完成された『鬼』の性。
血も涙もなく、殺戮のみに喜びを見いだすバケモノの習性だ。
カゲロウは目の前に手をかざし、自分の身長ほどもある砂の渦を発生させた。
それは異界の出口―――陰泣市のどこかに通じている、出口となるワームホールだ。
カゲロウは妊婦のミイラの首根っこを掴むと、ワームホールの中へと"それ"を投げ捨てた。
路地裏に通じていたワームホールの出口から、妊婦のミイラが飛び出してくる。
ゴミ捨て場の真上に放り出されたミイラは、
大量に積み上げられたゴミ袋のピラミッドの中に、粗大ゴミの如く捨てられた。
周辺住民が通りかかったが、
暗がりだったためにうち捨てられたミイラには気づかなかった。
手に提げていたゴミ袋をミイラの上に投げ捨てて、住民は何食わぬ顔で家の中に戻っていく。
ミイラが変死体として発見されたのは、その数日後。
ゴミ処理業者がゴミのピラミッドを崩していた、その時だったという。
ミイラを捨てたカゲロウは、異空間の中に漂う他の"メス"たちを見て舌なめずりをした。
今しがた食い尽くした女の生命力が"妖力"となり体中を駆け巡っていくのを感じ、
その高揚感に打ち震える。
―――このまま"妖力を付けていけば、きっとお前にたどり着けるはずだ。
へへへ……楽しみだぜ……!お前を孕ませて、極上の快楽を貪る、その時がよぉ……!
美桜の白い肌を脳裏に浮かべ、彼女の女の扉の奥深く―――神秘の海を己の遺伝子で埋め尽くす光景を想像するたび、カゲロウの胸の灯火は熱く燃え盛っていく。
美桜の妖力に追いつくには、まだまだ喰い足りない。
更なる獲物を狩るために、カゲロウは薄羽を羽ばたかせ、砂の渦から下界へと降りていった。




