第5話 迫り来る捕食者 (3)
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ニュースからついに、高村さんの名前が消えた。
夜中のニュース番組を見ていて強烈な違和感を覚えた私は、
テレビのチャンネルを変えていくつものニュースを見た。
高村葉月さん(15)の名前がどの番組内でも報道されていないことに不安を覚えた私は、縋るような思いでネットのニュース記事を漁る。
スマホの画面を幾度と無くスワイプして、何十もの記事を読んで―――そのどこにも高村さんの名前が記されていないことに絶望した。
世間の間では失踪者は全3名ということになっており、
最初の失踪者も2年の宮前すずこ先輩ということになっている。
つまり……つまりだ。
高村さんはついに食べられてしまったんだ。『もう一人の鬼』に。
そしていずれは他の失踪者も存在を消され、ニュースから名前が消えて……。
そして『もう一人の鬼』が、私を狙いにやってくるんだ。
私の肉を喰らい、血を飲み干し、命を奪うために。
赤月さんと違って、私には何の力もない。
攫われた人たちを助けることも、―――自分のことを助けることすらも出来ない。
このまま失踪者の名前がニュースから消えていくのを、
黙って見ていることしか出来ないんだ。
そのことが、たまらなく悔しくてたまらなく怖い。
けど、赤月さんは違う。彼女には『鬼』の力がある。
あの晩、卑劣な暴力から私を救ってくれた、残酷なほど強大な力が。
彼女がどれほど残酷で、恐ろしい人だったとしても、
私にはもう、赤月さんしか頼れる人がいない。
何度断られようとも、彼女に縋るしか生き残る道はない。
朝の教室。
いつもの儀式を終え、慈母のような表情を浮かべる赤月さんに私は縋った。
『もうひとりの鬼』をやっつけて欲しい。攫われた人たちを―――出来れば私のことも助けて欲しい。
私に懇願された赤月さんの答えはとてもシンプルだった。
「いやよ」
しかも即答だった。
「しつこいのね貴女も。昨日も似たような質問をしたばかりだというのに。
……私は、私のためにしか力を振るわない。
他の人間がどうなろうが知ったことではないわ」
「じゃ、じゃあ私の事は?」
「……なんですって?」
眉間に寄せた皺が、赤月さんの苛立ちを嫌でも悟らせる。
その冷たい声色は、"ふざけるな"と言っているようにも聞こえた。
これ以上食い下がってしまえば、彼女と言い争いになってしまいかねない。
というか、単なる言い争いでは済まない可能性が高い。
相手は正真正銘のバケモノ―――赤月美桜なのだ。普通の女子とは違う。
それでも―――。
「だ、だって、赤月さんと私は"お友達"でしょう?」
私は食い下がってしまった。
「最愛の友人だから、毎日毎日、不味いはずの私の血を啜ってくれて……」
赤月さんにとっての私が、
「それも全部、赤月さんにとっては"愛情表現"で……」
大切な存在なんだって、信じたくて。
「昨日だって……」
彼女の語る嘘の、その全てが偽りなわけじゃなくて
「『大好きよ』って言ってくれて……だから!」
ほんの1%くらいは、本心が混じっているんだって信じたくて。
「愛らしい子」
ニヒルな笑みを浮かべながら、赤月さんはそう言った。
その言葉が、言葉通りの意味じゃないことが彼女の表情で分かる。分かってしまう。
私は今、『愛らしい』という表現を持って、あざ笑われたのだ。
「言ったわよね?……私の言うことを簡単に信じてはダメだって。
『大好きよ』だなんて、その場限りの甘い嘘に決まってるでしょう?」
その言葉を聞いて、私の頭が真っ白になった。
……何でなんだろう?いつもこうだ。
誰かを信じようとすると、縋ろうとすると、絶対に裏切られてしまう。
中学時代、深紅ちゃんに突き放された時みたいに。
やだなぁ……。もう二度と、こんな想いしたくなかったのに。
また素直に他人なんか信じて。バカだなぁ、私。
……もう、涙を我慢できない。止められそうに、ない。
「……最低だね。貴女って」
掠れた声で、赤月さんを非難する。
それが、私に出来る唯一の仕返しで……。
その言葉を放った瞬間、私の頬を雫が伝った。
4時間目の授業が終わり、昼休み開始を告げるチャイムがなった。
隣に居る赤月さんが、すっと席を立つ。
今朝の一件以来、私達は一言も口を利いてない。
それどころか、目も合わせていない。
赤月さんは無言で私の横をすり抜けて行き、教室の外へと出て行くのだった。
赤月さん、怒ってるかな?怒ってるよね。当然だよ。
私が、『最低』だなんて言ったんだから。
……今日は、どこでお昼ゴハン食べようかな?
人目につかないところ、どこかにないかな?
ここ10日ほど、毎日楽しみにしていたお昼の時間が、今日に限っては酷く憂鬱だ。
"毎日楽しみだった”。
いつのまにかそんな風に思っていた自分に、私は今更になって気づいた。
赤月さんが来てからというもの、
私達はいつも欠かさず二人でお昼ゴハンを食べていた。
……私はいつの間にか、それが楽しみで仕方なかったんだ。
この学校に入ってからずっと、お友達が欲しかった。
"ヤリマン"とか"ビッチ"とか、そんなヘンな目で私を見ないで居てくれて、
一人の女の子として扱ってくれる……そんなお友達が出来ることを、中学のときからずっと夢想し続けてきた。
赤月さんは怖いバケモノの人だけど、
私の噂を知ってもなお、態度を変えないで居てくれるただ一人の存在だった。
この息苦しい教室の中で、人間同士のしがらみをモノともしない彼女だけが、
ありのままの私と接していてくれていた。
……謝ったら、許してくれるかな?
喧嘩の後って、どうやれば仲直り出来るんだっけ?
そんな当たり前なことすらも、私はすっかり忘れてしまった。
一人で過ごした期間が、あまりにも長すぎたんだ。
とりあえず、購買でパンでも買ってこよう。
赤月さんと出会うまでは、ずっと一人でお昼ごはんを食べてた。
寂しいけど、元に戻っただけだと思えば、辛くない。
……出来れば、赤月さんには後で謝りたい。
購買へ向かうため立ち上がろうとしたとき、
私の机の上に突如、蘇芳村さんが断りもなしにお尻を乗せてきた。
この子と接するのも大分久しぶりだ。
赤月さんと一緒にいる時は、あんまり絡まれることはなかった。
……ダイエットでもしてるのかな?
前よりなんだか顔が痩せてるし、目も窪んでる気がする。
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「ねえ、アンタも知ってるよね? 最近この学校で美人の女の子ばっかりが行方不明になってるってウワサ。なんか保険のセンセーも居なくなったらしいけど」
「う、うん……」
深紅の問いに、ももかは恐る恐る頷いた。
昨日、高村を食い殺して喉を潤すことが出来たはずの深紅だが、
今こうしてももかの姿を見た瞬間、その程度の潤いなど一瞬で吹き飛んだ。
―――ももちーが欲しい。ももちーを食いたい。
今の深紅は、強烈な渇きに突き動かされている。
深紅には不思議に思うことが一つだけあった。
―――何でアタシはももちーのことを真っ先に襲わなかったんだろう。
確かに、他の女のこともアタシはずっと手にしたかった。
だけどアタシの一番は―――。
一番いじめ倒してグチャグチャにしてやりたかったのは、ももちーのはずなのに。
「アタシ思うんだー。その犯人ってさぁ。ゼッタイにキモイ変態の親父とかだと思うんだよねぇ。この学校で言うとさぁ。日本史の三浦とか怪しくない? アイツ絶対ヘンタイでしょ?キモイしクサイしロリコンっぽいし」
深紅の発したあまりにも辛辣すぎるその言葉に、
ももかはパッと目を伏せて頷くのをやめた。
ももかは他人の悪口を言ったり、
誰かが悪く言われてるのを聞いたりするのが苦手だ。
たまに感情に任せて他人を悪く言うことがあっても、
大抵その後には自己嫌悪で落ち込んでしまう。
―――昔からそうだ。ももちーはとってもとっても優しい。
周囲から少し浮いてしまうほどに優しい。……だからこそいじめてやりたくなる。
「けどさ、アンタはロリコンのオヤジ、好きでしょ?チューガクの頃、ロリコン教師とヤリまくってたくらいだもんねぇ!?」
出来るだけ大きな声で。出来るだけ人目につくように。
深紅は周囲の目すら利用して、ももかの心をいたぶり、辱める。
「はずきん、いっしー、すず先輩……。
皆の代わりにアンタが変態に捕まればよかったのに。
捕まって変態セックスされまくればよかったのに。どーせこの間アタシが会う予定入れてあげたリューとそのバンド仲間ともヤりまくったんでしょ!!?」
「あ……あぁぁ。やめて……やめてぇ!! そんなこと、言わないで……お願い……」
ついに泣き出してしまったももかの顔を見て、深紅はエクスタシーに昇り詰めそうなほどの興奮を感じていた。
―――そう。その顔だよ。もっとアタシにその泣き顔を見せてよ。
アンタは泣いてる姿が一番綺麗だ。アタシにいじめられて辛くて苦しいのに、その優しさのせいでアタシを本気で憎むことも仕返しすることも出来ずに一人で抱え込んでやつれていくしか出来ない弱くて弱くて可愛い可愛いアタシのももちー。
アタシはずっと、アンタの泣き顔を隣で見ていたいんだ。
そうだ。今日にしよう。
アタシの『巣』の中に、ももちーを連れ帰るのは今日にしよう。
『巣』の中で一杯、アンタのこと可愛がってあげる。
もっともっと、アタシ好みの顔が出来るように調教してあげる。
そして最後は……食べてあげるよ。
お腹の中で、アタシと一つになろうね、ももちー。
深紅は泣き崩れたももかの腕を掴み、人気の無いところへと連れて行こうとした。
ももかを連れ去ろうとしたその腕は―――しかし、横から現れた白く細い腕に阻まれ、その目的を達せなかった。
「私の"お友達”を、これ以上いじめないでくれる?」
天使のようなウィスパーボイス。悪魔のように端正な容姿。
ももかを救ったのは、深紅を狂わせた張本人―――赤月美桜だった。
「は?何アンタ?アンタには関係ないでしょ?」
横槍を入れられた深紅は、美桜を睨みつけ、ドスの聞いた声で凄んで見せた。
美桜はそんな深紅に対して全く臆することなく、深紅の瞳を見つめ返している。
そんな美桜の毅然とした態度に、表情には出さなかったが深紅は気圧されてしまっていた。
深紅は美桜のことを恐れている。
美桜は学校に居る間、己の気配を隠し、『鬼』に正体を悟られないようにしているため、深紅は美桜の正体―――冷酷無比なバケモノとしての顔を知らない。
『突然キスをかましてきた歌の上手いワケの分からない女』というのが、
深紅から見た美桜に対する印象の全てだった。
その正体を知らない深紅は、
美桜のことを"その気になれば簡単に食べてしまえる相手"だと思っている。
絶品の肉であるはずの美桜からニオイがしないというのに、『鬼』のチカラに関する知識が不足しているが故に、深紅はそれを不自然なものとは思わなかった。
食欲は抱けるがニオイを悟れないももかの存在と相まって、"そういうもの"なのだと思っていた。
だが、いかに美桜を普通の人間だと思い込んでいようとも、
深紅は美桜に対して説明のつかない恐怖や忌避感を覚えていた。
いくら『鬼』の気配を消したところで、美桜の魂に刻まれた大いなる殺意は、そうそう消せるものではない。
『鬼』と化したことで動物的な第六感も研ぎ澄まされた深紅は、その殺意を捉えていた。
「関係ないわけないでしょう?」
毅然と言い返した美桜に、深紅はたじろいだ。
「大事なお友達が誰かに傷つけられている姿を見たら、嫌な気持ちになるでしょう?
傷つけた人のことを許せなくなって、嫌いになってしまうでしょう?……私は、お友達である東雲さんが傷つけられるのを見るのも貴女を嫌いになるのも嫌。
前にも言ったわよね?私は、貴女みたいな人が好きだって。
だから私に、貴女を嫌いにさせないで頂戴」
整然と言葉を並べる美桜に対し、深紅は何も言い返せない。
その言葉からにじみ出る美桜の"清らかさ"に、深紅は己がいかに穢れた存在かを思い知らさせて惨めな気持ちになった。
無言になった深紅を見た美桜は、ももかの腕を引っ張って教室の外へと連れ出す。
美桜と深紅の言い争いを見守っていた教室の中はすっかり静まり返っていた。
静かな教室内に、美桜がその手に持っていたビニール袋の擦れる音が響き渡る。
―――なんだあの女。なんなんだよアイツ。
深紅の胸のうちに湧いてくるのは、激しい嫉妬だった。
自分の獲物を横取りした美桜に対する激情。
―――それは、地獄の業火のごとく激しい嫉妬だ。
去っていく二人の背中を見送りながら、深紅は歯軋りをしてこぶしを握り締める。
ネイルの先端が掌に突き刺さり、真っ赤な鮮血をその手に滲ませた。




