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ケガレナキ クモツ  作者: 仙崎サルファ
第一章 ウツクシキ キョウキ
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第4話 蝶の叫び (4)


「はっ!?」


ベッドから飛び起きた深紅の目に、真っ白な部屋の光景が映りこんだ。

部屋の空気からは薬品めいたニオイを微かに感じる。

―――ここは……保健室か。


寝ている間に少し汗を掻いたらしく、うっすらと汗に濡れた肌着の感触を気持ち悪く思った深紅は、ブラウスの襟を持ち上げて仰ぎ、服の中に空気を送った。

寝起きの倦怠感からか、身体が重く感じる。それに、なんだかとても……。

喉 が 渇 い て 仕 方 な い。


「あら、気がついたかしら?」


ベッドの周囲を覆っていた白いカーテンが開かれる。

カーテンの向こうから、保険の先生がひょっこりと顔を出した。

―――この人は確か……吉田とかいうセンセーだっけ?

綺麗な(ヒト)だ。


「昨日の東雲さんに引き続き、最近はなんだか来客が多いわね。良くないことだわ。

……気分はどうかしら?蘇芳村さん」

「えっ、あっ、はい。まだなんか……身体がキツイみたいです」

「そうよね。まだしばらく休んでいったほうがいいわ」


吉田と言葉を交わす最中、深紅は吉田の端正な顔を直視することが出来ず、視線を逸らして声を上擦らせた。

―――まただ。今日はアタシホントにヤバイ。

綺麗な女と話していると緊張しちゃって仕方ない。

さとぴーにしろ、このセンセーにしろ、フツーに会話することすらままならない。


緊張して、目を合わせられなくて、手汗が滲んで―――喉 が カ ラ カ ラ に な る。

潤 い が 欲 し く て 仕 方 な く な る 。


「せ、先生!……あの……その……お水、貰ってもいいですか?」


深紅に求められた吉田は、冷蔵庫からピッチャーとグラスを取り出し、ベッドの脇に備えられた小さなテーブルに置いた。

八分目ほど水を入れられたグラスを受け取った深紅は、「あっ、ありがとうございます……」と消え入るような声で受け取る。


深紅は一瞬だけ吉田と目を合わせた後、視線を逸らした。……かと思えばチラチラと吉田のことを見ているような素振りをする。

そんな挙動不審な深紅のことを吉田は、まるで自分に好意を抱いている男子学生のようだと感じていた。


吉田が水を注いでいる間、深紅はずっとグラスに添えられた吉田の指を見ていた。

―――綺麗。綺麗だ。

グラスを持ち上げるセンセーの白くて細い指。赤いマニキュア。綺麗な爪。

……早く水が飲みたい。もう、喉 が カ ラ カ ラ で 耐 え ら れ な い。


グラスの水を少しずつ飲み干していく深紅だったが、

喉の渇きが癒えることはなかった。

むしろ、吉田の隣で彼女の存在を感じるたびに、喉の渇きは加速していく。


ウェーブのかかった、いい匂いのする長い髪。

大人びた容姿に反して、甘ったるいアニメ声をしている。

意外にも低身長だけど、グラマラスな容姿をしていて胸元からは豊かな母性を感じさせた。


ゴクリ。

生唾を飲み込みながら深紅は思った。

このセンセーは、東雲ももかと似たタイプの容姿をしている。

ももちーが大人になったら、こんな風になるのかな。


そんなことを考えているうちに、

グラスの中の水を全て飲んでしまったことに深紅は気づいた。

そして、一向に潤わない喉に苛立ちを感じる。

苦しい。どうしたら、どうしたらこの渇きを癒せる?


机の上のピッチャーに手を伸ばし、二杯目の水をグラスに注ぎながら、

深紅は一行に癒えない渇きに苦しんでいた。




結局、深紅はその日の授業を全て放って早退することに決めた。

鞄を持って保健室を出ると、タイミング良く一時間目終了のチャイムが鳴り響く。

それまで静かだった校内が、生徒たちの話し声で騒がしくなっていく。

騒々しくなった校舎を見て、うっとうしいな、と深紅は思っていた。

普段ならともかく、倦怠感と喉の渇きにうなされている今、知り合いと顔を合わせて会話をするのすら億劫だ。早く、校内を出てしまおう。


「深紅ちゃんってさ~」


ビクッ。

自身の名を呼ぶ声に、深紅が反応した。


今しがた、自分の名を呼んだその声には聞き覚えがある。

さとぴーの、声だ。


物陰に隠れた深紅が、声のした方を覗くと、佐藤こずえと後藤みゆきが一緒に歩いている。


深紅やももかの通う1年C組の教室は2階にある。1階に位置する保健室の付近にまで取り巻きの二人が来ているのは、深紅のお見舞いに来てくれたからに他ならなかった。

しかし、深紅がそれよりも気になったのは、二人が話している内容についてだ。

今、さとぴーはアタシの名前を呼んでた。一体どんな話してたんだろう?


「深紅ちゃんって、やっぱソッチの気があると思うんだ~」

「アハハハハハ!分かる~!!!」


なん……だって?

佐藤の言葉を聞いて、深紅は頭が真っ白になった。

それはよりにもよって深紅が一番言われたくない言葉で、ずっと否定し続けてきた言葉だ。


「あの子さ、可愛い子見てるとき、視線がなんだかねっとりしてるもんね」

「そうそう!ウケル~!」


ウソ……。ウソだ。

あの二人からアタシは、そんな風に見られてたの?

今まで自分の性癖を隠そうと散々努力してきたのに、

そのために、好きでもない男をとっかえひっかえしてきたのに。

本当のアタシは、周りには全部筒抜けだった?


―――ふざけんな。ふざけんなよ。

レズじゃないって証明するためにアタシが今までどんだけ色んなモン捨ててきたと思ってんだよ。

『正常』になるためにどんだけ自分のこと壊してきたと思ってんだよ。


ロリコンのおっさんにショジョ捧げて遊び人の大学生だかバンドマンだか知らない悪いオトコ共とつるんでエッチしまくってあんた達がカレシ欲しいっていうからテキトーにオトコ紹介してあげて恋愛相談にも乗って恋愛強者としての自分を演出して一番好きだった子のコト遠ざけるために傷つけていじめまくってそれでもアタシはあの子のこと嫌いになれなかったからこれ以上あの子に期待しないで済むようにあの子がオトコに襲われるよう仕向けて全部全部全部全部全部自分が『正常』で在るために!!!!!レズビアンなんかじゃないって、周りにそう思ってもらうために!!!!!自分で自分を信じるために!!!!!!大切なもの何もかも捧げてきたのに!!!!!!!



……なにもかも全部、無駄だったのかよ。




「深紅ちゃんってば、帰るなら一言ラインくらいくれれば良いのに」


教室へ戻る途中で、佐藤こずえは唇を尖らせながらぼやいていた。

こずえの隣に居た後藤みゆきは「まぁ、深紅もさ。よっぽどキツかったんじゃない?」といってこずえを宥めている。

せっかく保健室までお見舞いに行った二人だったが、

既に早退した後だった深紅とはすれ違いになってしまい、会うことは叶わなかった。

階段を上りきった先で尿意を覚えたこずえは、「ごめん。お手洗い行ってくるわ。先、教室帰ってて」と言ってみゆきと別れ、一人で女子トイレへと向かう。


手洗い場で手を洗い終えたこずえは、

前髪の位置が気になって、鏡を見ながら手櫛で髪を梳いた。

鼻歌を歌いながら顔を右に左に振り、角度を変えながら前髪の調整具合を見る。

「よし!」と小さく呟いたこずえが出入り口へ向き直ると、


早退したはずの深紅が、入り口から差し込む光を遮るように立っていた。


「あっ!深紅ちゃん。もう帰ったんじゃなかったの?」

「うん……。帰る前に一度、さとぴーに会っておこうと思って……」


体調不良のせいだろうか?

深紅の声が普段と違っているように、こずえは感じていた。

今の彼女の声は掠れきっていて、普段のような溌剌(はつらつ)さに欠ける。

まるでホラー映画に出てくる、暗闇の中を彷徨う幽鬼のようだ。


「えっ、なになに?私になにか用事でもあった?」

「うん」

「どしたの?」

「言ってたよね?さっき。アタシのこと。ソッチの気があるとかなんとか」

「あ……」


しまった、といった表情でこずえは固まった。

―――保険の先生は、こずえ達が保健室を訪れる少し前に深紅ちゃんは早退していった、と言っていた。

深紅ちゃんは恐らく、みゆきと会話をしていたときに実は近くに居て、

私たちの会話を偶然聞いてしまったのだろう。



「ご、ごめーん!別に悪気があって言ったわけじゃないんだよ。ほんの冗だ……」


言い終わる前に、こずえの身体は深紅の腕に掴まれ、壁へと押し付けられた。

ぐふっ、と肺から息が吐き出て行く音が、こずえの口を漏れる。


「良く知ってんじゃん。アタシのこと」

「ごっ、ごめんってば!私が悪かったから!許してってば!ほんの冗談じゃない!」


両手を使い、深紅の腕を引き剥がそうとするこずえだったが、深紅の腕はピクリとも動かなかった。

いくらこずえが非力でも、体重を掛けてですら深紅の片手をピクリとも動かせないのはおかしい。


ふと、こずえの視界の隅に黒く細長い棒のようなものが映った。

なんだろう?と、疑問に思ったこずえが目を凝らすと、驚くべきことにその棒が深紅のスカートの中から生えていることに気づき、こずえは小さな悲鳴をあげた。


棒が、一本、また一本、と深紅の下半身から生えてくる。

棒が8本生え揃ったときに、こずえは気づいた。

―――これは棒じゃない。虫の手足だ。虫の手足を生やした人間なんて、バケモノじゃないか。


「た、助けてっ!誰かっ!誰かっ!」


必死に助けを呼ぶこずえだったが、粘々したもので口を塞がれ、声を遮られた。

こずえの口を覆ったもの―――それは強固な銀色の糸だ。


パニックになったこずえに、深紅の唇が迫る。

深紅の牙がこずえの首を噛み、白い肌を突き破って毒液を流し込んだ。


「がっ……は……深紅ちゃん、なんで……なんで……?」


こずえの身体がピクピクと痙攣しだす。

押さえつけられ、抵抗する意思も体力も失っていく綺麗な女の姿に、深紅は興奮を覚えていた。

―――綺麗。綺麗だ。綺麗な女が死んでいく様って、こんなにも美しいのか。

深紅はこずえが絶命するまでその瞬間まで、一切手を出さなかった。

毒液によってこずえの心臓が停止するまで、苦痛に歪むその美貌をジッと見ていた。

深紅の頭を、幼い頃の思い出が過ぎる。


―――あの時のアタシは、ジョロウグモがミヤマカラスアゲハを食い殺す様をずっと眺めていた。

あのとき覚えた感情は、幼いアタシには一切理解出来なかったけど、今なら分かる。

そうか。アタシは、レズのサディストなのか。なんだそれ。終わってる。


死体となったこずえの身体に牙を立て、その肉を一気に噛み千切って咀嚼した。

溢れてくる血を飲み干すと、灼熱の熱帯夜に炭酸飲料を飲んだみたいな清涼感が、深紅の身体を駆け巡る。


そのとき初めて深紅の喉から、癒えない渇きが消え失せた。



 隣の席に座っている赤月さんが、澄ました顔で教室の外を見ていた。

青空の向こうで白い雲が流れて行くのを、彼女はじっと見つめている。

今、彼女は何を考えているのだろう。

私は今朝、彼女の言っていた『極上の肉』というのが一体誰のことなのか気になって仕方なかった。


赤月さんが人間の道理なんて通用しないバケモノなのだということは理解してる。

でも、なんとかして彼女に人を食べることをやめさせることは出来ないんだろうか?

生きるために人を食べなければならないのならそれは仕方のないことかもしれない。

だけど彼女の頭の中を占めているのは、"もっと美味しい肉を食べたい"という、

行き過ぎた欲望だけだ。


それに昨日のお昼、美味しそうにミネストローネを食べていたところを見るに、

普通の食事からだって栄養を摂ることも可能なんじゃないかな、って気がする。


このまま私の血を吸い続けていれば、食欲を失って人間を食べることをやめてくれないだろうか、なんて都合の良いことを考えてしまう。


赤月さんが誰も殺さずに居てくれるのなら、恐ろしい思いなんかしないで済むのだ。

私達人間は、彼女に抵抗する術を持たない。彼女が一度、人間を喰らおうと決意したなら、人類は彼女に対して白旗を上げるしかない。

彼女は人間にとって、荒れ狂う祟り神のようなものだ。


だったらせめて、お供物を捧げることで怒りを鎮めてもらう、みたいな感じに出来ないのかな……?

有名な学問の神様だって、元々は祟りをもたらす神様だったわけだし……。

だがしかし、私一人では赤月美桜という一柱の邪神に対して、満足できるものを一切捧げることは出来ない。……この身を流れている血液以外は。

すごく不味いらしい私の血なんかを捧げたところで、彼女は一切満足しないはずだ。


「……目覚めたようね」


視線を窓の外に向けたまま、赤月さんが小さく呟く。

その声は、ゾクリとするほど冷たい声だった。

お供え物を捧げることで共存しようなんていう私の考えが、どれほど甘い考えか、否が応にも本能で思い知らされるほどに。


目覚めた、ってどういう意味なんだろう?

その言葉の真意を聞きたくて、私は赤月さんに話しかけようとしたけど、教室に入ってきた先生の号令によって、私の行動は阻まれた。


「よーし。授業始めるぞー。皆席に着けー。」


ちょっとやる気なさげな先生の声を合図に、クラスの皆が一斉に着席を始める。

先生が点呼を取り始め、私は赤月さんに話しかけるタイミングを完全に失ってしまった。


「絢瀬ー」「はい」「小原ー」「ハーイ」


生徒からの返事を受け取りながら、先生は小気味よく生徒の名前を読み上げていく。


「国木田ー」「はい」「黒澤ー」「はい」「小泉ー」「はい」


だんだん私の番が近づいてくる。

授業のたびに先生が毎回点呼を取るものだから、私の耳は完全に点呼のリズムを覚えてしまっていた。

小泉さんの次は後藤さん、桜内さん、佐藤さん、その次に東雲―――つまりは私だ。


「後藤ー」「はーい」「桜内ー」「はい」


いよいよだ。先生は次に、佐藤さんの名前を呼ぶはずだ。


「―――東雲ー」

「……え?」

「おーい東雲ー?今日は休みかー?」

「い、いえ、居ます。すみません」

「おう、ぼーっとすんなよー。……蘇芳村ー、は早退で……園田ー」「はい」


なんで?先生は今なんで、佐藤さんのこと飛ばしたの?

それとも単に私が聞きそびれただけ?


点呼を取りおわった先生が、


「今居ないのは早退の蘇芳村だけかー?」


と問いかけてくる。私はすかさず手を挙げて答えた。


「あの、佐藤さんが居ません……私の前の席の……」


私の言葉を聞くなり、先生は怪訝な顔をする。

3秒ほどしん……とした空気が流れたあと、先生は答えた。


「そんな奴、このクラスにいないだろ。ウケ狙いか?東雲」


先生の返事を皮切りに、教室中が笑いの渦に包まれていく。


……嘘でしょう?

この感じ……身に覚えがある。この教室に確かに居たはずの佐藤さんのことを皆忘れてしまっている。これじゃ、これじゃまるで……。

新田くんが食べられたときと一緒だ。


佐藤さんはきっと、鬼の力によって『存在しない人』に変えられてしまったに違いない。

そんなことが出来るのは、私の知る限りでは一人しか居ない。

まさか……まさか……赤月さんの言っていた極上の肉って……まさか……!

隣の席に座っている赤月さんを見る。私と目が合った赤月さんは、切れ長の瞳を三日月のように歪めて、不敵に微笑むのだった。

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