野原さん
翌朝。
「………おはようございます」
「おはよう」
午前8時少し前。
いつも通り少しぼーっとした頭でリビングに降りると、コーヒーを入れている途中の野原さんに会った。
うむ。桃ちゃんほどではないが、野原さんの笑顔もほんわかして癒される。
今井と八巻のかしまし2人組はソフト部の朝練。関西弁セクハラ女、湊は昨日の盗難事件を記事にして朝一で掲示板に張るんだと、早朝に張り切って行ったらしい。桃ちゃんは昨日から学校に泊まり込んでいる。
ゆえに、寮には俺と野原さんだけで、静かなものだった。
………落ち着く。
テーブルに用意されたパンとサラダを食べ終え、コーヒーを飲みながらゆったりとした時間を味わう。
そして食事を終えると、登校するのにちょうどよい時間帯になった。
「ごちそうさま」
食器を洗い場に持って行き、それから机の横に置いてあるスカスカの鞄を手に取った。
「いってきま……」
「あ、ちょっと待って」
「……?」
そのまま登校しようとしたら、野原さんに声をかけられた。
「私も一緒に登校していいかしら?」
「え?」
俺は間の抜けた声を出した。
野原さんは、管理人兼、この荒田学園の大学生だ。
当然、俺たち高等部とは学部棟が離れている。
普段も当然登校時間も目的地も違っており、一緒に登校、などということはこの寮に来てから今まで1度もなかった。
「私、今朝の事件に興味があるから。先輩に詳しい話を聞きたいのよ」
「あ、そうですか」
納得。
「いいですよ、大歓迎です」
「ありがとう。すぐ支度するからね」
そう言いながら、野原さんはエプロンを外した。
野原さんはパッと見、月並みな言い方だが10人いたら10人とも振り向きそうなかなりの美人だ。
その上家事はうまいし優しいし、嫁にしたいランキングなんてのがあったらダントツで1位を取るだろう。
カジュアルな女子大生風の格好をした野原さんに、周囲の登校中の生徒たちの視線が集まる。
(はっはっは! いーだろう!)
俺は堂々と胸をはりながら、野原さんの横を歩いた。
「学校はどう?」
「へ?」
振り向くと、野原さんは優しく微笑んでいた。
「楽しい?」
「楽しくはないですが………まあ退屈ではないですね」
当たり障りのない答えを出す。
「そう、よかったわ」
その答えに満足したらしく、野原さんは笑みを深めた。
「楽しいことだけをやりなさい」
「え……?」
野原さんを見ると、どこか懐かしそうな顔で前の、学校の方を向いていた。
「どんなことでも、楽しくなければ人生損しますよ?」
いたずらっぽい笑いで、こちらを向いた。
「先輩に言われた言葉なの」
「桃ちゃんに?」
「ええ………そして私の座右の銘なの」
恥ずかしそうに首の後ろ辺りをかいた。
「………桃ちゃんらしい言葉ですね」
元気いっぱいにいかにも言いそうな言葉だった。
「そうね、先輩らしいわ」
そう言って、野原さんは笑ったのだった。
「聞いたか聞いたか!?」
野原さんと別れ、教室の机につっぷしていると、興奮気味の茶髪男が話しかけてきた。
「………………誰だっけ?」
「洋太だ! 上野洋太! 確かに最近忘れられ気味だったけど! それでも親友を忘れるなよ!」
……親友? そだっけ?
泣きそうな顔で詰め寄ってきたが、「わかったわかった。んで、なんだ?」となだめたらようやく気を取り直した。
「昨日資料庫に泥棒が入ったんだと!」
「………へー」
もう聞き飽きたよ、その話題。
俺は顔を窓の方に向けてぐでーんとしたが、洋太はますますヒートアップしていった。
「犯人はどうやってあの鉄壁と名高いあの部屋に侵入したのか!?」
……普通に職員室から鍵盗んでるんだが。
「………それは!」
洋太はびしいっと天井を指さした。
「天井に穴を開けたんだ!」
……うん。予想を上回るアホだな、コイツ。
「俺はこれから資料庫の上、図書館地下3階を調べる! 新聞部の威信にかけて! 隅々まで調べつくしかならずや穴を見つけてやるぞおおおお!」
そう雄叫びをあげ、洋太は図書館まで走っていった。
……授業はサボる気らしい。
(………ま、頑張れ)
昨日1日考えつかれたため(最も、推理のほとんどは人任せだが)、机から顔をあげる気力がわかなかった。
「おはよう」
「………………」
「返事ぐらいしなさいよ」
頭上から、ソフト部の朝練が終わったのだろう、八巻の声が聞こえた。
………が、正直返事するのも面倒くさい。
「………ねむい」
「……あっそ」
むこうも簡単に返事を返しただけだった。
俺はそのまま寝ることにした。
そのまま、普通の日になる予定だった。
洋太が「あったああああああ!」とか叫ばなければ。
くくく……これから怒濤の展開が!(たぶん)