騒がしい朝
水をせき止めていたガラスは割れた。
流れ出る水と共に、心の中にあった幸福感も少しずつ流れ出して行く。
変わりに増えていくのは、しこりのような、不安。
「どうするんですか!?」
焦りをおびた声がはっきりと聞こえる。
「ふん………幸いデータはこちらにある。研究施設を整えて、また作り直すさ」
苦虫を噛み潰したかのような声が、場に反響して聞こえた。
「NO、013はどうします?」
「いつものように、捨てとけばいい」
その声と同時に、ピッピッピッ、と機械的な音が聞こえた。
「我々は広大なゴミ捨て場を知っているのだからな」
瞬間。
心が巨大な不安で完全に埋め尽くされた。
「……………………うぉい」
気づくとそこは自分の部屋、ベッドの上で大量の寝汗を掻いていた。
………また、あの夢だった。
「気分……最悪、だな」
涌き出てくる嫌悪感を我慢しながら、ちらりと窓を見ると空が明らみ始めていた。
時計を見ると、6時30分。
………いつもよりかなり早いが。
このまま寝直そうにも、寝れないのはわかりきっていた。
………仕方ない。
俺は静かに立ち上がり部屋を出ると1階に降りていった
気分の悪さを引きずったまま台所に行った。
するといつもより少し早い起床時間であるにもかかわらず、パンとサラダで構成された朝食が置いてあった。
「あら、まーくん。おはよう」
スクランブルエッグを作っている途中であるらしい野原聡美さんが、フライパン片手に挨拶してきた。
「おはよう聡美さん」
そしてリビングのテーブルには、パンをかじっている今井と八巻がいた。
「おはよ、魔ー」
「おう」
「……………」
八巻は軽く挨拶してきたが、今井は黙ったままこちらに目を向けてこなかった。
………?
「早いね。また悪夢でも見た?」
「まあな」
コーヒーを飲みながら八巻が聞いてきたので、適当に答えた。
「ごちそうさま! マッキー!」
がたん、と今井が立ちあがった。
「マッキー言わないで」
「行くよ」
今井は八巻の言動は無視して強引に手を取って立たせた。
「………まだ早いと思うけど?」
「いいから!」
そしてまだ食べかけのくせに、今井は八巻の手を引っ張って2階の部屋に行ってしまった。
しーん、と辺りが静かになる。
………何怒ってんだ? あいつ。
「はい、コーヒー」
「あ、どうも………」
手持ち無沙汰になった俺に、野原さんはコーヒーを出してくれた。
そして朝7時30分。
やることがなかった俺は、どこぞの一家の親父みたいに新聞を流し読みしていた。
片手には2杯目のコーヒーを持って、ちびちび飲んでいる。
そうしていると、キィ……と玄関の扉が開く音がした。
寝癖ばっちりの桃ちゃんが、ふらふらと入ってきた。
いつもはツインテールにしている長い髪をおろし、その髪はぶかぶかのパジャマの中にしまわれている。
………ちなみにパジャマはまた熊柄だった。
「うううー………」
いかにも私眠いんです、って感じで半分目を閉じていた。
「おはよう桃ちゃん」
とりあえず挨拶する。聞こえていないだろうが。
「ふわぁぁー………」
桃ちゃんはここまで来て安心したのか、テーブルにつっぷすと、またぐー……と寝てしまった。
形容するなら授業中に堂々と居眠りをこく生徒の図、である。
桃ちゃんはは筋金入りの低血圧であった。
………せっかく台所まで来たんだからいい加減起きようよ。毎朝のことだけど。
「あらら……また寝ちゃったわね、先輩」
苦笑しながらも野原さんは、桃ちゃんがが寝ぼけて料理をひっくり返されないように、少し皿を離した。
「悪いけどまーくん、起こしてくれる?」
「了解」
俺は桃ちゃんをゆすって普通に起こそうと試みた。
ゆさゆさ
「もーもーちゃーん……あさだよー」
「むぅー?」
「あさだよー。起きろー」
「むにゅ………まーくん」
とろんとした目でこちらを見る桃ちゃん。
うわ。かわええ。
「………あと5分」
桃ちゃんはそうお約束の言葉を言った。
こてん
とまたしてもテーブルにつっぷす。そしてその後。
ぐー
とまた寝てしまった。
んー。個人的にはこのまま寝かせといてあげたいんだけど………
「先輩〜?」
野原さんがほかほかのコーヒーを持ってやって来た。
そしてコーヒーをテーブルに置くと、ゆさゆさ桃ちゃんの肩をゆすり始める。
「起きましょうよ。今日は職員会議があるんじゃありませんでしたっけ?」
「あー………」
そだった、と桃ちゃんは顔をあげた。
「はい。あーん」
野原さんは嬉しそうにそう言いながらジャムを塗ったパンをちぎると、桃ちゃんの口の前に持ってきた。
「あー」
桃ちゃんは素直にあー、と小さな口を開ける。
野原さんはちぎったパンを桃ちゃんの口に入れた。
むぐむぐ
桃ちゃんはそれを寝ぼけ眼でゆっくり食べる。
『………………(ほわん)』
ぽわぽわとした雰囲気が辺りを支配していた。
………とかさすがにいつまでも和んでいるわけにはいかなかった。
「あ………」
最初に気づいたのは野原さんだった。
その声につられて、俺は野原さんの視線の先を見る。
「げ………」
その先には時計があった。
午前8時10分。
俺はまだまだ余裕だが。
「あ――――!」
桃ちゃんにとっては遅刻寸前を意味した
さきほどまで寝ぼけていた桃ちゃんは一気に覚醒した。
「遅刻するー!」
桃ちゃんは大急ぎで残った朝食を口に押し込んだ後、まだ寝ぼけてるのか「いってきまふー!」と何も持たず出ようと………っておいー!
「待って桃ちゃん! 服パジャマー!」
桃ちゃんの家はラボだが、着替えなどは寮にあるのだ。
しかしそのまま桃ちゃんは外に出た。
俺は慌てて追おうとして腰をあげると………
「みぎゃ!」
何か猫みたいな声で桃ちゃんが悲鳴をあげた。
なんだなんだ……と思って、とりあえず聡美さんから桃ちゃんの着替えを受け取って玄関に行ってみる。
そこにはぼさぼさ髪の少女が呆れ顔で桃ちゃんの首ねっこを掴んでいた。
「パジャマで外に出たらあかんで桃ちゃん。……あ、はよ。まーやん」
「おお、湊。久しぶり」
この元気そうな関西弁の少女は谷口湊といい、新聞部部長。
究極のじゃじゃ馬娘である。
童顔で中学生ぐらいに見えるが、一応魔術科2−Dの生徒である。
この寮の近くの家に住んでいる、いわゆるお隣さんだ。
「ていうかいい加減その呼び方よせ」
なぜかこいつの中で俺の呼び名はまーやんだった。
「えーやんまーやんでも。かわいいやんか!」
かかか! と女の癖に豪快に笑った。
「は、離してくださいー!」
「あ」
湊は慌てて桃ちゃんを離した。
「ごめんな、桃ちゃん」
「ほい。桃ちゃん着替え」
「ありがとうございます! ですがそれはそうと急がないと遅刻しますー!」
桃ちゃんは大急ぎで寮の真正面にあるラボの中に入っていった。
ばたばたと家中を駆ける音と、なぜかギィー! キュルルルル! バッタン! と変な音が響く。
「最近これ聞くと、ああ朝だなあと実感させられるな」
「………それはそれでどーかと思うで、まーやん。ま、確かにウチもそー思うけど」
「そういや、終わったんだな。魔術科の合宿」
2−C、Dの魔術科の連中は、新春早々とある寺に泊まりこみの合宿に行っていた。
ゆえに、湊と会うのは1週間ぶりぐらいだったと思う。
「あー、まーな。………泣きそうなぐらいつらかったんやけど」
湊はなんか遠い目をしていた。
どたどたばたばた………
「行ってきますー!」
ばたん! と大きな音と同時にスーツ姿の桃ちゃんがラボから飛び出てきた。
……………髪がところどころはねていたが。
「あーもう! 桃ちゃんまた髪はねてるで!」
「えー嘘ー! あー!」
桃ちゃん。中々のぬけっぷりだった。
「ちと待ちい。ウチ櫛持っとるさかいな」
「うう、ごめんね、毎日毎日………」
そう、結構いつものことだったりする。
「よっしゃ! 終わったで!」
「今度こそ行ってきまーす!」
「「行ってらっしゃーい」」
そんな感じで、騒がしい朝だった。
ついに出ました谷口湊!
谷口湊! 谷口湊をよろしくお願いします!