暗闇の中で
――― 沢木雹SIDE ―――
ふわふわと浮かんでいるような心地だった。
周りのことはよく分からない。でも、なんだか暗いような気はする。
目を閉じている時のような感じだ。
自分が何を感じているのか分からない。
心地良いのかもしれないし、全然そんなことはないのかもしれない。
ただ、自分がここにあるといことだけは分かった。
頭の中がぼんやりとしている。
「………こんにちは」
不意に頭の中で、誰かの声がした。
あなたはだあれ?
「私はあなた」
あなたは私?
「そう」
……うそ。私はあなたを知らない。
「知っているわ。でも見ていないだけ」
……覚えがない。
「無理もないわ。私はあなたの中でも、あなたにとって一番、醜くて暗いものだから」
私の醜くて暗いところ?
「そう。コインに例えるなら、あなたが表で私が裏。船に例えるなら、あなたが舵で私が波ってところかしら。
常にあなたと一緒にあって、あなたにとって害悪と思われている存在。
だけど、常識とか、観念とか、そういう無意識的に向けられている外部からの拘束からは一切自由な存在」
……おかしい。そんなものあるわけない。
「そうかしら? 神様なんかいい例じゃない? あの人たちは他人を拘束する側であって、拘束される側じゃない」
………私は人間。
「そうね、あなたは人間。だけど、私はそうじゃない」
さっき、あなたは私だって言った。
「そう。私はあなた。だけど私はあなたの中でも、縛られていない存在。人間でない、本質のあなた」
……よく分からない。
「感じたことはなかったかしら?」
意地悪そうな声音になった。
「道場で訓練していて、誰かと戦っていて、街中を歩いていて、誰かと話しているとき、そう、いつものように暮らしているときに」
言われた時のことを1つ1つ思い出してみるが、さしたることはなかったように思う。
仏頂面をした自分が、戦ったり、歩いたりしているのを思い出すだけだったから。
「例えば、あなたにはお爺さまがいるでしょ?」
いる。
「あなたにグレイスの杖を与え、あなたに行動規範の全てを押しつけた人。杖を自在に操り、轟の流派を完成させる。そんな理想を、自分ができないからってあなたに押しつけたとても卑怯な人」
………お爺さまは、そんなんじゃない。
「そうね。お爺さまはまた、あなたを育て、愛してくれた人だもの。悪し様には言いたくないよね? だけど………」
「一緒にいるとき、苦しくなかった? なんでこんなことをしているんだろうって、疑問に思わなかった?」
……そんなこと、思ったことない。
「それはうそ。だって私、その時見てたもの。あなたの内から」
……見てた?
私の内から?
「縛られる必要はないのよ?
あなたの生は、あなたのためにあるの。他人に操られていいなんて道理、どこにもないわ。あなたの中にある私は、それを貫くための意志であり、力」
………力?
「………あなたは、私を受け入れる。それだけでいいの」
まるで心をなでつけられているように、その言葉は心を軋ませ、また麻薬のように甘く聞こえた。
「それだけで、あなたは自由になれるわ」
「………こんにちは」
誰だお前?
「私はあなたよ」
………えー。
「………ものすごく変な反応ね」
だって俺、男だし。そんな口調してねーし。
「……この際、口調ぐらい目をつぶりなさいな」
……まあいい。んで、お前だれ?
「私はあなたの中でも、一番、醜くて暗いところよ」
………言ってる意味が分からん。
「なんで?」
俺の醜いところなんていっぱいあるし?
だから一番とか言われても。
「……そう。珍しいわね」
どこが?
「あなたは私の存在を認めている」
認めた覚えはないが?
「自分の暗闇を知っているっていうのは、そういうことよ。
だったらなおさら。私を受け入れなさい。私はあなたの中で最も自由な存在。
私を受け入れれば、あなたはより自由な存在になれるわ」
………よく分からんが、知らない人の言うことは聞くなと、死んだばーちゃんの遺言で……
「こんな状況で冗談を言えるのは大したものだけど………
あなたには、家族なんていないでしょ?」
ぎしりと。
心が軋むのがわかった。
俺が不機嫌になっていくのとは対照的に、その声は逆に機嫌よく笑った。
「本当、珍しいわ。あなたほど外から縛られている人間もいないのに、あなたほどそれを感じさせない人間もいない」
黙れ。
「呪文が使えない。生来からのハンディキャップ。
苦しくはなかった?
悲しくはなかった?
そしてそれを生み出した人間を、殺したいと思わなかった?」
………
「あらら、だんまり。でもね。あなたのその苦しみの原因を、私なら取り除いてあげることができる。私にはそのための力がある」
………あー、わかった。
この身体でいろいろ不自由してきたし、苦しかったのは認める。
「ありがと」
だが、受け入れるつもりはさらさらないぞ。
「………なんで?」
そういうのは自分でどうにかするもんだ。
面倒くさいが、俺なりのやり方でゆっくりどうにかするさ。
「なんで? 自分の言っていることがどれほど難しいか分かってるの?
人間が人間である以上、外部からの圧迫や生来の運命を振り払うことなんてできないのよ? けど私を受け入れれば、楽にそれが達成できるのよ?」
お前なんかに頼らんでも、俺ならそれぐらいできるさ。
「無理よ。だってあなたは存在からして縛られているもの」
縛られているんならほどけばいいし、それが無理かどうかは俺が決めることだ。
それに………
「………」
声の気配がさっきとは違って、とげとげしいものに変わった気がした。
俺はお前に縛られるつもりはない。
「……………………」
お前のものさしで俺をはかるなよ?
「くくくく………」
先ほどの声と同じ声とは思えないほど威圧的な声が聞こえた。
「後悔するなよ、小僧」
声の気配が消える。
それと同時に、ふわふわと浮かんでいるような気配が消えた。
トッ
足元に地面の感触がした。
「………ったく、なんだったんだあの変な声は」
周りは相変わらず暗いままだ。
気配は感じない。
……まぁさっきまでのよくわからない感じよりマシだが。
とりあえず適当に歩いていると、
「………ん?」
目の前に、人間大の気配が現れた。
「誰だ?」
「………」
問いかけるが、返答はない。
手を伸ばして目の前の物体を触ってみる。
さらっ
綺麗な髪の毛の感触がした。
そして髪の毛越しに感じるのは……頭か?
「………ん」
「お」
そいつがようやく声を出した。
「………おじいさま?」
「誰がおじいさまだ」
思わず突っ込む。
「………誰?」
「なんで名乗らにゃいかん」
「………」
「………」
沈黙が支配した。
あ、しまった。
「先にそっちから名乗れ」
それでも先に名乗らない俺。
「……沢木、雹」
なんと。あの無口ドS娘か。
「なるほど。俺は三河正志」
「………さっき戦ってた人?」
「そ」
「………」
「………」
またしても沈黙が支配した。
なんという会話のしづらいヤツだ。
人のことは言えないが。
「こっから出たいんだが、出る方法を知らんか?」
「………出てどうするの?」
「ここにいてどうするんだよ。お前はひきこもりか」
「………」
「………ああ、もういい」
「…?」
「俺独自で出る方法を見つけるから」
「………できるの?」
「知るか。とにかく探す。イジケ虫は一生そこにいろ」
「………イジケてない」
「じゃあなんでそこでじっとしてるんだよ」
「………さっきの声が、待ってたら助けてくれるって」
「待ってるだけで誰かが助けてくれるわけないだろ?
自分で動かねーと」
いろいろ考えてたら、執筆時間がもの凄く長くなりました。哲学は苦手です。




